トウショウファルコ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 尾花栗毛 |
白斑 | 三白流星 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1986年5月16日 |
死没 | 2005年10月21日 |
父 | グリーングラス |
母 | カメリアトウショウ |
生産 | 藤正牧場 |
生国 | 日本(北海道静内町) |
馬主 | トウショウ産業(株) |
調教師 | 新関 力(美浦) |
厩務員 | 多羽本 博 |
競走成績 | 31戦8勝 |
獲得賞金 | 2億2797万0000円 |
トウショウファルコ(1986年 - 2005年)は、日本の競走馬。父はグリーングラスで、三白流星・尾花栗毛という派手な馬体から人気を集めた。
目次 |
[編集] 馬名の意味
「トウショウ」は、馬主の冠名。「ファルコ」は、漫画「北斗の拳」の登場人物である「金色のファルコ」ことファルコ将軍に由来する。 なお、同時期には同漫画の人物から命名された「トウショウヒューイ」「トウショウジュウザ」「ハシノケンシロウ」などもいた。
[編集] 戦歴
デビュー戦は1989年2月4日3R・サラ系4歳新馬6着。続く2月18日3R・サラ系4歳新馬にて初勝利を挙げる。 容姿の優美さもあって人気が先行していたものの、4~5歳時は条件戦4勝を挙げるに留まる。
ようやく頭角を現すのが6歳時の夏で、重賞初挑戦となった七夕賞において3着に健闘した後、秋の東京スポーツ杯でオープン特別初勝利を飾った。その後アルゼンチン共和国杯9着、フェアウェルステークス優勝と遅咲きの活躍を見せ始める。
7歳時は、年明け緒戦の金杯(東)にて念願の重賞初勝利を挙げるや否や、続くアメリカジョッキークラブカップでメジロライアンを下して連勝。同レースは天皇賞馬でもある父・グリーングラスも優勝しており、それを髣髴とさせた同馬は一躍天皇賞(春)の有力候補と注目を集めた。
しかし、これからという時期に持病であった裂蹄が悪化。長期の休養を余儀なくされる。同年の天皇賞(秋)において復帰するも15着と奮わず、これを最後に競走馬生活を引退した。
[編集] 引退後
引退当初、グリーングラス産駒であることから種牡馬入りも期待されたものの繋養先に恵まれなかったため断念。 しかしその美しい肢体から東京競馬場の誘導馬に選ばれ、自身が立てなかった大舞台の先導という新たな馬生を、1993年からの6年間勤め上げた。
誘導馬を引退した後、横浜市の根岸競馬記念公苑に移送、展示馬として繋養されていた。現役時代を偲ぶファンが訪れることも多かったという。
2005年10月21日に老衰(※)で死亡。10月27日には同公苑根岸ポニーセンターにて、お別れの会が開かれた。同所には『トウショウファルコ号ここに眠る』の追悼石碑が設けられている。
※老衰と報道したマスコミは一社のみ。 死亡を発表したJRAのサイト(2005年9月22日に亡くなったメジロラモーヌの死因は「老衰」と記載されていた)やお別れの会当日でも一切死亡原因は触れられていなかった。
[編集] 主な勝ち鞍
[編集] 血統表
トウショウファルコの血統 (ハイペリオン系) | |||
父
グリーングラス 1973 黒鹿毛 |
*インターメゾ Intermezzo 1966 黒鹿毛 |
Hornbeam | Hyperion |
Thicket | |||
Plaza | Persian Gulf | ||
Wild Success | |||
ダーリングヒメ 1964 栗毛 |
*ニンバス | Nearco | |
Kong | |||
ダーリングクイン | *ゲイタイム | ||
ダーリング | |||
母
カメリアトウショウ 1982 栗毛 |
*ハンザダンサー Hunza Dancer 1972 鹿毛 |
Hawaii | Utrillo |
Ethane | |||
Oonagh | Sword Dancer | ||
Uvira | |||
ガールトウショウ 1975 栗毛 |
*チャイナロック | Rockfella | |
May Wong | |||
*ソシアルバタフライ | Your Host | ||
Wisteria F-No.1-w |