トラッシュ中沼
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トラッシュ中沼(とらっしゅ なかぬま、本名、中沼正樹(- まさき) 1975年2月19日 - ) 東京都文京区出身のプロボクサーである。
JBC(財団法人日本ボクシングコミッション)が認めている7タイトル中、世界タイトル以外の6タイトルを獲得しており、日本プロボクシング史上初のグランドスラムに王手を掛けている選手として注目を集めている。
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[編集] 略歴
両親が1歳の時に離婚。父に引き取られるも、ギャンブル好きで酒びたり暴力も常であった。17歳の時にその父が病没。姉が生活を支えるために働き、その反面自身は暴力行為を繰り返し鑑別所に入れられる状況であった。しかし鑑別所でボクシングを教えられ、亡き父、育ててくれた姉のためにも頂点を目指す事を心に誓う。
大のキャバクラ好きとしても有名。
[編集] デビュー~新人王
- 1993年12月4日、後楽園ホールで国際ジムからプロデビュー。大木亜弓を相手に2RTKO勝利。
- 1995年12月16日、東日本新人王決勝戦で長山俊一に6R判定勝ち。東日本ライトフライ級新人王タイトルを獲得。
- 1996年2月18日、大阪府立体育会館で福本義弘に2RKO勝ち。全日本新人王決定戦を制した
[編集] 病気、日本王座獲得
- 1997年10月25日、折原健也に6R判定勝ちした後、髄膜炎を煩い入院。後に「連日のように40度近い高熱に魘され、死ぬことを覚悟した」「毎日のように『ナ~カ~ヌ~マ~ク~ン』と呼んでいる男の幻聴が聞こえた」と闘病生活について語っている。
- 1999年2月17日、約1年半ぶりのリングで田中強士を相手に復帰戦を行い、8R判定勝ちを収める。
- 2002年4月30日、日本フライ級王者坂田健史とタイトルマッチを行い、10R判定勝ち。日本フライ級王座を獲得。
[編集] タイトルマッチ3連敗
- 2003年4月5日、日本フライ級王座3度目の防衛戦で坂田健史と再戦し、10R判定負け。日本フライ級王座陥落。
- 2003年8月24日、OPBF東洋太平洋フライ級王者小松則幸とタイトルマッチを行い、12R判定負け。東洋王座獲得に失敗。
- 2004年1月3日、WBC世界フライ級王者ポンサックレック・グラティンデーンジムとタイトルマッチを行い、12R判定負け。世界王座獲得に失敗。
[編集] 東洋王座獲得・引退
- 2004年9月20日、OPBF東洋太平洋フライ級王者小松則幸と再戦し、12R判定勝ち。世界挑戦に専念するため、同王座は防衛せずに返上。
- 2005年1月3日、WBA世界フライ級王者ロレンソ・パーラとタイトルマッチを行い、12R判定負け。世界王座獲得に失敗。この試合後、「三浦さんがいないなら、国際ジムでボクシングをやる意味がない。三浦さんのジムに移籍できないなら現役引退する」とコメント。トレーナーをしていたクラッシャー三浦が国際ジムから独立し、ドリームボクシングジムを開設したことを理由に現役引退を表明。
[編集] 現役復帰
- 2006年3月11日、引退を撤回し現役復帰。クリストファー・テポラに2RKO勝ちして再起に成功。所属は現在も国際ジムだが、指導は元国際ジムトレーナーで、現ドリームボクシングジム会長のクラッシャー三浦から受けている。
戦績は33戦27勝(12KO)6敗
[編集] 獲得タイトル
- 東日本ライトフライ級新人王
- 全日本ライトフライ級新人王
- B級トーナメント、ライトフライ級優勝
- A級トーナメントフライ級優勝
- 日本フライ級王座(2度防衛)
- OPBF東洋太平洋フライ級王座(0度防衛=返上)
※もしも中沼が世界王座を獲得すれば、日本プロボクシング史上初のグランドスラム(JBCが認めている7タイトルを全て獲得)を達成することになる。
[編集] 関連記事
前王者 坂田健史 |
第46代日本フライ級王者 2002年4月30日 - 2003年4月5日 |
次王者 坂田健史 |