ネガティブ・キャンペーン
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ネガティブ・キャンペーン(Negative campaigning)とは、対立候補を貶めることにより、相対的に自候補を優位に立たせようとする選挙戦術。日本では、選挙以外でもある組織や業界にとって不利な情報を流す行為を「ネガティブ・キャンペーン」と呼称する事がある。略称ネガキャン。
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[編集] ネガティブ・キャンペーンの例
[編集] 汚いひなぎく
──『1、2、3、……』幼い少女が、ひなぎくの花を数えている。『……3、2、1、0』おおいかぶさるように、カウントダウンする男の声。轟音とともに立ち上るキノコ雲。そしてナレーション。『子供たちが生きる世界を作るか、それとも闇に沈んでいくか。これが選挙にかかっています。互いに愛し合わなければ、私たちは死に絶えることになるでしょう。11月3日は選挙に行き、ジョンソンに投票して下さい』
1964年のアメリカ大統領選挙は、民主党の現職リンドン・B・ジョンソンと共和党の対立候補バリー・ゴールドウォーターの戦いだった。
ゴールドウォーターは、極端な言動で知られる政治家だった。中には、「ベトナムの密林を焼き払うためには、核兵器の使用もためらってはならない」とまで発言したことがあった。そのため、ゴールドウォーターが大統領になったら核戦争が始まるのではないかという危惧を抱く有権者も多かった。
一方で、極論は、事象の一面をわかりやすく描き出してくれることは確かである。ゴールドウォーター陣営では、「あなたも心の底では、彼が正しいと思っているはずです」等といったテレビCMなど、巧妙な戦術によって、あたかもゴールドウォーターこそ尊敬すべき人物であるとの印象を作り出すことに成功していた。
ジョンソン陣営は対応を迫られた。そして放ったのが、冒頭のテレビCMである。このCMは、9月7日の晩に、一度だけ放映された。
アメリカ国民にとっては、キューバ危機の記憶もまだ生々しかった。そこに、「ゴールドウォーターが大統領になれば、核戦争が起こるに違いないぞ」とでも言いたげなこのCMである。人々がきわめて強い印象を受けたことは言うまでもない。
ゴールドウォーター陣営はすぐに抗議をしようとした。しかしそれは無駄だった。なぜならこのCMでは、ゴールドウォーターのゴの字も言っていなかったからだ。
放映が一度きりだったので、見ることができた人でも、あまり細部まで正確に覚えているわけではなかった。かつ、大きな反響を巻き起こしたため、その後人々は何かとこのCMを話題にした。その過程では、さまざまな解釈や尾ひれが加えられ、さらにジョンソンを利した。
もちろん放映直後からホワイトハウスには、抗議の電話が殺到していた。そのあまりの多さによって、ジョンソンはCMが有権者にもたらした効果を知った。彼は、とても満足したという。
一般投票において、ジョンソンが獲得した票は61.1%。ゴールドウォーターの38.5%に、実に22.6%もの差をつけて圧勝した。これは史上最大の差だった。
[編集] ウィリー・ホートン
ウィリー・ホートンについては、マイケル・デュカキスの項を参照。
[編集] 日本でのネガティブ・キャンペーン
1975年に行われた東京都知事選挙では現職の美濃部亮吉が三選不出馬を翻して出馬した際に「ほかの自民党候補ならまだしも、都政をファシストの手だけには渡せない」と対立候補の石原慎太郎に対するネガティブキャンペーンを行った。この件で石原は大ダメージを受け、35万票の僅差で落選の憂き目にあった。
1996年の衆院選では争点の一つとされた消費税の引き上げをめぐって当時新進党が消費税3%維持の公約を打ち出したことに対し自由民主党はこれまでの新進党幹部の発言を調べたうえで「7%増税を提案した細川さん(細川護煕元首相)、10%増税論の小沢さん(小沢一郎新進党党首)、15%増税論の羽田さん(羽田孜元首相)。新進党は、本当は何%ですか?」との全面広告を掲載し新進党は防戦に追い込まれた。一方新進党も自民党が夢を訴えるテレビCMを批判するなどの自民・新進双方による非難合戦に発展した。こうしたネガティブ・キャンペーンがどれだけ選挙の大勢に影響を与えたかは定かではない。
2000年に行われた長野県知事選挙では当時立候補していた田中康夫に対し「卑猥な文章を雑誌に載せている」(当時田中が噂の眞相に連載していた『東京ペログリ日記』)とした文章を撒かれるなどのネガティブ・キャンペーンが行われたが田中にダメージを与えることが出来なかった。
2004年の参院選では、自由民主党が2004年7月7日の各一般紙の朝刊に民主党を徹底批判する全面広告を掲載させた。その内容は、「民主党はコロコロと主張を変える」「民主党は約束を守らない」と言う物であったが、これに対して藤井裕久民主党幹事長は「歪曲、虚偽で、自民党もこれだけ落ちたかと言う印象」だと述べ、岡田克也民主党代表も「政策を語るべき」だと一蹴して対抗措置を取らなかった。結果、自民党は民主党に敗北し、先のネガティブ・キャンペーンは成果を上げる事が出来なかったと言える。
その後の郵政解散によって勃発した2005年の衆院選では、小泉純一郎を筆頭とした自民党幹部は「改革を止めるな」と言うスローガンを掲げ、選挙戦で終始、「公務員等と癒着して改革(郵政民営化)に反対する族議員(抵抗勢力)」と言うレッテルを野党候補者に貼り続け、更に大勢の女性候補者を擁立してマスメディアの関心を集中させることに成功した。結果、自民党は連立与党の公明党と合わせて327議席を獲得し、大勝した。創価学会の組織票によって辛勝した選挙区が数多く在ったとは言え、自民党の296という議席数はネガティブ・キャンペーンが効した結果であると言える。
[編集] その効果
ネガティブ・キャンペーンは、有効に使えばきわめて大きな効果をもたらしてくれることは、これまでに見てきたとおりである。しかし当然ながら、自陣に有利な効果ばかりとはかぎらない。
2000年の大統領選挙における共和党の予備選挙で、一時台風の目となったのがジョン・マケインである。彼は予備選挙の口火となるニューハンプシャー州で、本命ブッシュに圧勝すると、さらに「ブッシュはクリントンのように嘘つきだ」というネガティブCMを流すことで、予備選挙の流れを決定づけようと試みた。
しかし、これは裏目だった。クリントンの名前を使ったことが共和党員の反発を呼び、マケインはこれをきっかけに失速していくことになった。
うまく使えば絶大な効果を発揮する一方で、失敗した場合に浴びる返り血もまた多いのが、ネガティブ・キャンペーンなのである。