郵政解散
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郵政解散(ゆうせいかいさん)とは、2005年8月8日の衆議院解散の俗称である。
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概説
2005年8月8日、参議院本会議で郵政民営化関連法案が否決された(詳しい経緯は郵政国会を参照)。
これに伴い当日午後2時から、緊急の自由民主党役員会が開催された。会議上小泉純一郎内閣総理大臣が衆議院解散の意思を表明し、また同時に衆議院で反対票を投じた全議員に自由民主党の公認を与えず、郵政民営化賛成派候補を擁立することを命じた。
午後2時30分から与党党首会談(自民党と公明党)が開催され、小泉首相は「選挙日程は8月30日公示、9月11日投票」ということを公明党側に伝えた。その後午後3時より臨時閣議が開催された。
臨時閣議では島村宜伸農水相、麻生太郎総務相、中川昭一経産相、村上誠一郎行政改革担当相の4閣僚が解散に反対する意見を述べたため、小泉首相は最終的に解散に同意した中川経産相を除く3閣僚を別室に呼び、個別に説得をした。しかし、島村農水相のみ最後まで解散詔書への署名を拒否して辞表を提出した。これに対し小泉首相は辞表を受理せず、閣議を中断して天皇の認証を得て島村農水相を罷免、首相自身が農水相を兼務して解散詔書を閣議決定した。
そして午後7時に招集された衆議院本会議において、衆議院は日本国憲法第7条に基づき、2003年10月以来1年10か月ぶりに解散した。
- その後の経緯は第44回衆議院議員総選挙を参照。
呼称
この解散を、自見庄三郎は「自爆解散」、森喜朗は「花火解散」、加藤紘一は「干からびたチーズ解散」、民主党の岡田克也は「日本刷新解散」、共産党の志位和夫は「ゆきづまり解散」、社民党の福島瑞穂は「八つ当たり解散・わがまま解散」と呼んだが、総選挙後は「郵政解散」が定着した。
解散直後の首相演説
衆議院解散をした同夜、小泉首相は首相官邸の記者会見で衆議院を解散した理由と総選挙に対する意気込みを表明した。その中で、「郵政民営化が、本当に必要ないのか。賛成か反対かはっきりと国民に問いたい」「郵政民営化に賛成する候補者しか公認しない」と主張した。そして、自らを中世イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイになぞらえ、この解散を郵政・ガリレオ解散と名付けた。このときの瞬間視聴率は21.8%に達したといわれ、選挙の流れを決定付けたとの評もある。
8月解散
8月解散は日本政治史上では2例目。前回の8月解散は1952年8月28日の衆議院解散であり、53年ぶりとなった。
8月解散があまりなかったのは、8月の国会は閉会や休会になっていることが多く、与野党共に政治休戦の時期に当てることが多いこと、各省庁が来年度予算案の概算要求基準策定時期に当たること、猛暑の中での選挙戦が候補者にとって体力的に負担になることなどが配慮になって避けられていた。
1952年の解散は8月下旬だったので選挙戦は9月に行われ投票日は10月となったが、2005年の解散は8月上旬だったので、8月から9月上旬までの猛暑の中で事実上の選挙戦に突入した。
解散権濫用議論
参議院否決を原因として衆議院を解散すること、解散に反対する閣僚を罷免してまで衆議院解散を閣議決定したことは憲政史上初の事態であるため、解散権の濫用ではないかとの議論になった。それに対して、参議院での否決はあくまで原因に過ぎず、目的は衆議院単独での法案再議決を可能とする3分の2以上の議席確保とみなし、衆議院の解散を正当であるとの論評もある。また首相による閣僚罷免は、日本国憲法第68条において明記されている権限であり、問題ないとされる。
解散違憲訴訟
2005年9月15日、郵政法案が参議院で否決されただけで衆議院を解散したのは憲法に違反するとして、宇都宮市議が衆議院解散の無効確認を求める訴訟を東京高裁に起こした。原告は「憲法第59条に基づき、両院協議会や3分の2以上の賛成による法案再可決をしなければ解散ができない」と主張した。しかし、法案の採決が両院で異なる場合の両院協議会開催や3分の2以上の法案再可決の実施は法律上は強制ではなく任意である。12月15日、東京高裁は訴えを棄却し、その後最高裁第三小法廷も上告棄却決定を2006年3月28日に出しており、類似の訴訟も同じく上告棄却となっている。