ハンス・アスペルガー
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ハンス・アスペルガー(Hans Asperger、1906年2月18日 - 1980年10月21日)は、アスペルガー症候群を名付けた、オーストリア・ウィーン生まれの小児科医である。
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[編集] 概要
1944年、彼はアスペルガー症候群の最初の定義を著した。4人の男児において、彼が「自閉的精神病質」と呼んだ、自閉症(そのもの)と精神病質(人格の疾患)を意味する行為や能力のパターンが見られた。そのパターンには、「共感能力の欠如、友人関係を築き上げる能力の欠如、一方的な会話、特定の興味における極めて強い没頭、ぎこちない動作」が含まれる。彼はアスペルガー症候群(AS)の子供達が、興味のある事柄について非常に詳細に語る能力を持っていることから、彼らを「小さな教授たち」と呼んだ。
彼は多くのアスペルガー症候群の子供達が、大人になった時にその特殊な才能を生かすと確信していた。彼はフリッツ・V(Fritz V.)という子供が成人するまで追跡調査をした(症例サンプルのフルネームを出す事は人権上の問題から禁じられている)。フリッツは天文学の教授になり、もともと子供の頃から気付いていたというニュートンの業績の間違いを解決した。ハンス・アスペルガーのアスペルガー症候群に対する肯定的な見解は、レオ・カナー(Leo Kanner)の自閉症の記述とは実に対照的であるが、両者は同じ状態を述べている。(訳注:カナー型自閉とアスペルガー型自閉はスペクトラム(連続性)はあっても、異なるものという見解が一般的で「同じ状態」ではない。ナチスの障害者への迫害に代表される当時の政治的背景が、彼にポジティブな形でアスペルガー症候群を表現させたとも言えるかもしれない。
皮肉なことに、ハンス・アスペルガー自身も子供の頃、彼の名に因んだまさにその状態の特徴を現していた。彼は人と距離を置いた孤独な子供で、友人を作ることが困難だったと述べている。彼には語学の才能があり、とりわけドイツ語の詩人、フランツ・グリルパルツァー(Franz Grillparzer)に興味を持った。彼はフランツの詩を、興味のない同級生に対しても繰り返し引用していた。
アスペルガーは、この行為のパターンの同定が広く認識される前に死亡した。なぜなら、彼の仕事はほとんどドイツで行われ、ほとんど翻訳されることがなかったからである。「アスペルガー症候群」という術語を初めて用いた人物は、イギリスの研究者、ローナ・ウイング(Lorna Wing)である。彼女の論文、「アスペルガー症候群-ある臨床報告」が1981年に発表され、1943年にレオ・カナーが発表した従来の自閉症モデルに異議を申し立てた。
国際アスペルガー年の2006年は、ハンス・アスペルガーの生誕100周年、そして、ウイング博士の画期的な論文の発表25周年に当たる。国際アスペルガー年は、Greater Washingtonのアスペルガー症候群の成人たちによって考えられたものである。
[編集] 参考文献
- Uta Frith (ed.): Autism and Asperger Syndrome (Cambridge University Press, 1991; ISBN 052138608X) — in which Asperger's 1944 paper is translated and annotated
[編集] 論文
- Asperger, H. (1944), Die 'Autistischen Psychopathen' im Kindesalter, Archiv fur Psychiatrie und Nervenkrankheiten, 117, pp.76-136.
- Asperger, H. (1968), Zur Differentialdiagnose des Kindlichen Autismus, Acta paedopsychiatrica, 35, pp.136-145.
- Asperger, H. (1979), Problems of Infantile Autism, Communication, 13, pp.45-52.
[編集] 関連用語
[編集] 外部リンク
カテゴリ: オーストリアの医学者 | 精神科医 | 1906年生 | 1980年没