ビアフラ共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビアフラ共和国 (Republic of Biafra) は1967年に連邦制であったナイジェリアの南東部に置かれていた東部州が独立を宣言したことで樹立されたその地の有力民族であるイボ族を主体とした政権。
- ビアフラ共和国
- Republic of Biafra
-
ビアフラの国章 (国旗) (国章) - 国の標語 : ・
- 国歌 : Land of the Rising Sun
-
公用語 イボ語・英語 首都 公式首都
エヌグ
臨時首都
アバ、ウムアヒア、オウェリ最大の都市 オウェリ 国家元首 チュクエメカ・オドゥメグ・オジュク 面積
- 総計
- 水面積率世界第???位
[[ m²|]]km²人口
- 総計(1967年)
- 人口密度世界第???位
13,500,000人
人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(Xxxx年)
xxx,xxxビアフラ・ポンドGDP(MER)
- 合計(Xxxx年)世界第xx位
xxx,xxxドルGDP(PPP)
- 合計(年)
- 1人当り世界第???位
ドル
ドル独立
- 宣言ナイジェリアより
1967年5月30日通貨 ビアフラ・ポンド(BIAP) 時間帯 UTC (DST: ) ccTLD 国際電話番号 - 1970年1月15日亡国
1966年、ナイジェリア軍部によるクーデター未遂が勃発、事態を収拾したイロンシ少将は北部と東部と西部の3州で州ごとに首相を持っていた連邦制を廃止して中央集権化を図るため、地方を12州に分割しようとした。しかし、これがイボによる支配を図っているとみられたために、イロンシは殺害され、北部や西部に移住していたイボへの虐殺が起こった。この際に権力を握ったゴウォン中佐はイボへの迫害を抑えることなく、連邦制は復活させたが州の細分化を進めようとした。
1967年5月30日、軍事政権に反発するイボ族を中心とした東部州の軍政官であったオジュク中佐が独立を宣言し、ビアフラ共和国を建国した。しかしこれを承認した国家は4カ国しかなかった。ナイジェリア政府は直ちにビアフラを経済封鎖し7月6日ビアフラ戦争に突入した。ビアフラ軍は一時は西部に攻め入ることもあったが、のち防戦に転じ首都もエヌグからアバ、ウムアヒアへと移転を強いられ、1969年にはオウェリに移された。1970年、臨時首都オウェリが陥落して終結した。
戦争末期に内陸部へ封じ込められたビアフラでは200万人といわれる餓死者を出し、「ビアフラの悲劇」と呼ばれて世界的に注目された。その後民族派などがビアフラ国亡命政府を樹立した。
[編集] 関連項目
- フレデリック・フォーサイス - イギリス人作家。
- ビアフラ物語 フォーサイスのルポルタージュ。