ファージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ファージ (Phage) は細菌に感染するウイルスの総称。正式にはバクテリオファージと呼ばれるが、略称にあたるファージが定着しており一般にはこちらが用いられることが少なくない。
タンパク質の外殻に遺伝情報を担う核酸 (主に二本鎖DNA) を持っている。20世紀初頭に Twort と Herelle によって独立に発見された。ファージが感染し増殖すると細菌は溶菌という現象を起こし死ぬ。この現象によってまるで細菌が食べ尽くされるかのように消えてしまうため、これにちなんで「細菌(bacteria)を食べる(ラテン語のphagos)もの」を表す「バクテリオファージ(bacteriophage)」と言う名が付けられた。
初期の分子生物学においてモデル生物として盛んに用いられた。またファージのゲノムは改変され、遺伝子導入やDNA断片のライブラリ作成などにも用いられている。もっとも有名なファージの一つはラムダファージ(λファージ)で、大腸菌に感染する。全ゲノムの解読はラムダファージで行われた(ゲノムプロジェクト)。また、ウイルス粒子が非常に複雑な形態のT4ファージもよく知られている。
目次 |
[編集] 構造
バクテリオファージにはさまざまな種類があることが知られており、その大きさは25~200nm程度である。その形状もさまざまであり、中には真核生物に感染するウイルスと同様に単純な正二十面体様のカプシドを持つものもあるが、それを頭部としてそこから尾が伸びているものが多く知られている。
この尾は細菌の細胞外に発達した莢膜や、ペプチドグリカンから成る細胞壁を突破して、細胞内に核酸を送り込む機能を持っているとされている。例えば、T4ファージの尾の先端にある基盤を構成する蛋白質にはリゾチームとして機能する部分があり、これがペプチドグリカンを加水分解して細菌の細胞壁に穴を開ける。ファージの尾は長くて細菌細胞に核酸を送り込む時に収縮するもの、長くて柔軟に屈曲するが収縮はしないもの、短くて収縮しないものの3種類が知られており、T4ファージは長くて収縮するタイプ、ラムダファージは長くて屈曲するタイプの尾を持っている。
[編集] ビルレントファージとテンペレートファージ
ファージは、その増殖様式からビルレントファージとテンペレートファージに分類される。
ビルレントファージは、ファージが感染すると細菌内で増殖し、最終的には完全に溶菌させて宿主細菌を死滅させるものである。ファージの多くはこのビルレントファージである。
一方、テンペレートファージの場合、ファージが感染しても一部の細菌を除いて増殖が起こらず、部分的にしか溶菌を起こさない。このとき、ファージの増殖が起こらない細菌の内部では、ファージはプロファージと呼ばれる安定した状態で保存されており、細菌が分裂する際も子孫に伝達されていく。この現象は溶原化と呼ばれ、プロファージを保有する細菌を溶原菌と呼ぶ。プロファージのゲノムは溶原菌のゲノムに組み込まれたり、あるいはプラスミドとして宿主のゲノムとは独立して細胞内に存在する。テンペレートファージの例としては、大腸菌のラムダファージがよく知られ研究されている。
テンペレートファージの中には抗生物質への耐性遺伝子や毒素の遺伝子を持っているものがあり、ファージが感染することによってその遺伝形質を細菌が獲得することがある。この現象によって薬剤耐性や強毒性の細菌が出現することは、医学上重要な問題と考えられている。このような実例としてO157のベロ毒素が挙げられる。ベロ毒素は一部の赤痢菌が産生するシガトキシンと同じものであり、それらの赤痢菌に感染していた毒素遺伝子を含むファージが大腸菌に感染してベロ毒素産生大腸菌が出現したと考えられている。
[編集] ファージの応用
ファージは、遺伝子数が他の生物に比べて少なく、また増殖させて増やすことが簡単なことから、初期の分子生物学で研究されゲノムが解読され、モデル生物の一つとして用いられている。
またテンペレートファージを利用して宿主の細菌に任意の遺伝子を導入する技術も開発された。この技術は形質導入と呼ばれ、ラムダファージによる大腸菌への形質導入が、分子生物学分野で繁用されている。
ファージは種類によって宿主とする細菌が異なり、しかもその選択性が高い。このため同じ種に属する細菌であっても、株によって特定のファージに感染するものとしないものがある。この現象を利用して同種の細菌をさらに細かく判別することが可能であり、この方法をファージ型別と呼ぶ。ファージ型別による分類は黄色ブドウ球菌やサルモネラに用いられており、これらの菌の中でも特に病原性の高いものであるかどうかを識別することが可能である。
またビルレントファージが宿主を溶菌によって殺す性質と、その宿主特異性の高さを利用して、細菌感染症に対する治療薬として応用する試みも行われている。ただし変異株が出現する危険性など、本格的な実用化までに解決すべき問題点も多い。