フランク・ペーター・ツィンマーマン
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フランク・ペーター・ツィンマーマン(Frank Peter Zimmermann、1965年2月27日 - )は、ドイツのデュースブルク生まれのヴァイオリン奏者。ドイツ若手の正統派ヴァイオリニストとして評価が高い。戦後のドイツからは、長らくヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ、特に男性ヴァイオリニストは表れていなかったので、今後の活躍にも高い期待を寄せられている。
[編集] 略歴
ヴァイオリニストの母親から手ほどきを受け5歳からヴァイオリンを始める。なお父親はチェリストであった。1975年、10歳でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番を弾いてデビューを果たしている。1976年にエッセンのフォルクヴァング音楽院に入学してヴァレリー・グラドフに師事する。同年には全国青少年音楽家コンクールで優勝して「天才少年出現」として評判になる。その後、ベルリン芸術大学でサシュコ・ガヴリーロフに師事する。1979年にはわずか14歳でルツェルン音楽祭に出演してヨーロッパ中で評判となる。1980年からはヘルマン・クレバース(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団コンサートマスター)に師事する。以後、1981年にはソビエトでデビュー演奏、1984年にはロリン・マゼール指揮ピッツバーグ交響楽団の演奏会でアメリカデビューを果たすなど、10代から華々しい活動を行う。なお初来日は、1983年6月、若杉弘指揮ケルン放送交響楽団のソリストとしてだった。
[編集] 評価
2歳年上のアンネ=ゾフィー・ムターとともに、ドイツ若手ヴァイオリニストの逸材として期待を集めている。戦後ドイツは、ナチス時代にユダヤ系音楽家を追放した影響で、長らく世界的なヴァイオリニストが生まれなかったのである。フランク・ペーター・ツィンマーマンは、デビュー当初モーツァルトの演奏で評価を得るにもアルテュール・グリュミオーの演奏を理想とし、レパートリーを広げていく過程ではダヴィッド・オイストラフから多くの影響を受け、メニューイン、ミルシテインから教えを受けるなど、ドイツ国外から多くのものを吸収している。
優等生的で安定感ある演奏は、無個性な演奏ともなりがちで、ドイツ人ヴァイオリニストとしての評価もムターに次ぐ存在になりがちであったが、最近は変貌を見せつつあり、今後の活躍に期待されている。先鋭的な演奏ではなく美音を尊ぶ演奏で、間違いなくこれからのヴァイオリニストの頂点に立つ逸材。