フランチェスコ・パオロ・トスティ
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サー・フランチェスコ・パオロ・トスティ(Sir Francesco Paolo Tosti, 1846年4月9日 - 1916年12月2日)は、イタリアの作曲家、声楽教師。歌曲の作曲家として知られる。
現アブルッツォ州キエーティ県オルトーナに生まれる。幼くしてヴァイオリンの神童として知られ、1858年、12歳にしてナポリの音楽院に入学、ヴァイオリンと作曲の研鑽を続ける。当時の作曲の師にはサヴェリオ・メルカダンテも含まれる。教官助手を務めたことの激務などから20代前半で健康を害し、故郷で静養に入る。そこで書き溜めた小歌曲集が認められ、1875年頃からはローマで盛んにサロン用歌曲を発表する。やがてトスティはイタリア王室の声楽教師、1880年からはロンドンに移住しイギリス王室の声楽教師となる。1906年には英国臣民となり、1908年にはナイトに叙せられた。1912年に引退、イタリアに戻って余生を送り、ローマで他界した。
英語は一言も解さなかったとの説もあるが、母語のイタリア語のみならず、英語やフランス語を原詩とする多くの歌曲の小品を作曲、その多くが今日でもリサイタル用ピースとして愛されている。イタリア語に関しては17歳年下の詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオとのコラボレーションが特に有名であった。
[編集] 著名な作品
歌曲
- セレナータ La Serenata (詞:チェザーレ)
- 夢 Sogno(詞:ステッケッティ)
- 秘め事 Segreto (詞:ステッケッティ)
- さらば Addio!(詞:パリアーラ)
- もはや君を慕わず Non t'amo più(詞:エッリコ)
- 祈り Preghiera
- 暁は光と闇とを分かつ L'alba sepàra dalla luce l'ombra (詞:ダンヌンツィオ)
- 最後の歌 L'ultima canzone