ヘルムート・リリング
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ヘルムート・リリング(Helmuth Rilling, 1933年5月29日 - )はドイツの合唱指揮者・音楽教育者。
シュトゥットガルトの音楽家の家庭に生まれる。ヴュルテンベルクのプロテスタントの神学校で早期教育を受ける。1952年から1955年までシュトゥットガルト音楽大学でオルガン・作曲・合唱指揮を学ぶ。ローマでフェルナンド・ジェルマーニに師事し、シエナのアッカデミア・ムジカーラ・キジアーナにも学ぶ。
まだ在学中の1954年に、最初の自前の合唱団、ゲッヒンガー・カントライ(Gächinger Kantorei)を設立する。1957年に、シュトゥットガルト記念教会(Stuttgart Gedächtniskirche)オルガニストならびに楽長として1998年に教会音楽家を定年退職するまで活動開始。1963年から1966年まで、オルガンや合唱指揮を指導する傍ら、シュパンダウ合唱団を育成した。
1967年にニューヨークでレナード・バーンスタインに師事。同年フランクフルト州立音楽大学に合唱指揮の教授に任命され、1985年まで同校で教鞭を執る。1969年にフランクフルト合唱団の指揮者に着任。1965年から寄せ集めのシュトゥットガルト・バッハ・コレギウムを設立。同団体は必ずゲッヒンガー・カントライとも共演しており、リリングは両団体と幅広く演奏旅行を行なっていて日本にも数回以上来日し講習会などを通じて多くの教え子を持つ。
リリングはバッハの専門家として世界的に定評がある。リリングはバッハの合唱曲を全曲録音した最初の人物であり、170点以上にのぼるCDは優に1000曲以上が収録されている。古典派やロマン派の、管弦楽伴奏つき合唱曲の専門家としても評価が高く、ブラームス作品などのレパートリーがある。1988年には、再発見されたばかりの《ロッシーニのためのレクイエム》を世界初演し、録音した。長らく現代楽器による現代奏法による素朴でオーソドックスな音楽作りであったが、2000年代になってからはガーディナーやロジャー・ノンリントンの古楽の奏法をようやく受け入れ、以後それに従って演奏解釈を実施している。現代音楽はシュトットガルトのバッハ・アカデミーが主催する初秋の「ヨーロッパ音楽祭」への委嘱作品として湯浅譲二らを含む世界の14名の作曲家が出演した「和解のレクイエム」が最大であったが、決して現代音楽の専門家とは言えない。その故はシュトットガルト市が後発ながら芸術・観光事業にも多大な財政を投入している為、その事によって予算の増大と安定を確保しザルツブルク音楽祭のようなヨーロッパ有数の音楽祭への発展につなげていく為の準備の役割を果たしている。また北・南アメリカにも知名度がありオレゴン州バッハ音楽祭の共同主宰者でもあり、弟子が選任指揮者をやっているスペインのガリシア交響楽団の常任指揮者も務める。ライプチヒの国際バッハ協会の会長を勤め、自ら委嘱した現代音楽の初演でさえも暗譜を自分に課し、弟子達にも同じ事を要求する厳しいレッスンで知られる。
[編集] 外部リンク
- Helmuth Rilling(ドイツ語)