ホアン・クリソストモ・アリアーガ
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ホアン・クリソストモ・アリアーガ(Juan Crisóstomo Jacobo Antonio de Arriaga y Balzola, 1806年1月27日 - 1826年1月17日)はスペインの作曲家。バスク人。スペインのモーツァルトとの異名をとる。
ビルバオに生まれ、この地で父親と兄によって神童に仕立て上げられた。パリ音楽院に留学して、ヴァイオリンをピエール・バイヨに、対位法と和声をフランソワ=ジョゼフ・フェティスに師事。優等生だったため、間もなくフェティスの講義の助手となる。19歳でパリで没した。死因は今なお判然とせず、肺疾患ないしは慢性疲労と伝えられるが、肺病にともなう衰弱・消耗との見方もされる。
今日に伝わるアリアーガ作品の数はかなり少ないが、早すぎる死にも関わらず、歌劇「幸せな奴隷」(Los esclavos felices, 1820年)、「ニ調の交響曲」、3つの「弦楽四重奏曲」などの作品を残した。
アリアーガの死後に、信用できる唯一の評伝的資料がフェティスによって書かれたにもかかわらず、アリアーガの生涯のエピソードは脚色され、スペインのナショナリズムに利用された。