ボブ・オートン・ジュニア
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カウボーイ・ボブ・オートン | |
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プロフィール | |
リングネーム | カウボーイ・ボブ・オートン |
本名 | ボブ・オートン・ジュニア |
身長 | 185cm |
体重 | 110kg |
誕生日 | 1950年11月10日 |
出身地 | フロリダ州タンパ |
デビュー | 1972年 |
ボブ・オートン・ジュニア(Bob Orton Jr.、1950年11月10日 - )は、アメリカのプロレスラーである。フロリダ州タンパ出身(公称はミズーリ州カンザスシティ出身)。父親のボブ・オートン、兄弟のバリー・オートン、息子のランディ・オートンもプロレスラーである。カウボーイ・ボブ・オートンのリングネームで知られる。愛称は「エース」。
1980年代を代表する名脇役ではあるが、今一つスター性に欠けルックスが地味だったこともあって主役クラスの活躍はできなかった。しかしその技術と独創性は飛び抜けており、レスラー仲間や関係者、玄人筋のファンからの評価は非常に高い。
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[編集] 経歴
ヒロ・マツダ、エディー・グラハム、ジャック・ブリスコらにトレーニングされた後に、1972年にプロレスデビュー。NWA加盟団体、AWA、ICW(ランディ・サベージの父アンジェロ・ポッフォの団体)を中心に活動し、1984年にWWF(現WWE)へ入団する。ロディ・パイパー、ポール・オンドーフと共にハルク・ホーガンに敵対する悪役三人組の一人として活躍した。またこの頃から2年以上、左前腕にギプスを装着し、凶器として用いることもあった。第一回レッスルマニアのメインイベントでは彼の凶器ギプス攻撃が決まり手となっている。程なくオンドーフがグループを離れて以後も、パイパーとは名コンビを組み続けた。WWFは1987年頃、パイパー、オンドーフと同時期に退団する。
WWF退団後はNWAやSMW、UWF(日本のUWFではない)、各地のインディー団体で活動し、1999年頃からはセミリタイア状態だが、現在でも年に数回は試合にも出場している。
2005年に入り、レッスルマニア21でのランディ・オートン対ジ・アンダーテイカー戦のストーリーを盛り上げるために、息子とともにスマックダウンへの出演を開始する。レッスル・マニア前日にはWWE殿堂入りを果たす。レッスル・マニア21ではオートン対テイカー戦に乱入、往年の凶器ギプス攻撃をみせた。その後も息子のマネージャーとして活動、試合も僅かながらだが行っている。
2005年のアルマゲドンにおいて、ジ・アンダーテイカーとの試合中にストーリー上吐血した。オートンはかつて血液から感染する肝炎をわずらっていた事があり、かつこの事を知りながらストーリーを変えなかったWWE脚本陣に対してジ・アンダーテイカーが激怒し、結果ボブ・オートン・ジュニアが絡むストーリーラインは終了することとなって2006年2月13日にWWEから解雇された。
1980年代後半に新日本プロレスに現れた「海賊男」ビリー・ガスパーを演じた一人といわれている。
[編集] 得意技
- 雪崩式スープレックス(オートンが開発者ともいわれる)
- スパイク・パイルドライバー(同上)
- オクラホマ・スタンピード
- 滞空式ブレーンバスター
- ニードロップ
- ギプス攻撃
[編集] タイトル履歴
- NWA
- NWA世界タッグ王座 : 1回(&Don Kernodle)
- NWAジョージア タッグ王座 : 2回(&Tim Woods、Dick Slater)
- NWAフロリダ タッグ王座 : 3回(&ボブ・オートン、Bob Roop x2)
- NWAフロリダ ヘビー級王座 : 1回
- NWA南西部 タッグ王座 : 4回(&Bob Roop、Ron Garvin x2、Jerry Blackwell)
- NWAジョージア ジュニアヘビー級王座 : 1回Junior Heavyweight Champion
- WWE
- 2005年WWE殿堂入り
- その他
- AWFヘビー級王座 : 1回
- 中南部ミシシッピー ヘビー級王座 : 1回
- PCWヘビー級王座 : 1回
- UWF南部州王座 : 2回
- WWS TV王座 : 1回
- ICW 南東部ヘビー級王座 : 1回
- ICW 南東部タッグ王座 : 2回(&Bob Roop、バリー・オートン)
- ICW TV王座 : 1回
- 中西部パワーハウスレスリング ヘビー級王座 : 1回
[編集] 外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国のプロレスラー | WWE | 1950年生