ポスト・セリエル
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ポスト・セリエルとは文字通りセリエル音楽のあとに来た音楽の一種の意味である。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 前期
当初はヤニス・クセナキス、ジェルジ・リゲティ、ルチアーノ・ベリオ、マウリツィオ・カーゲル、クシシュトフ・ペンデレツキ、ハインツ・ホリガーあたりらが含まれていたが、すなわち繰り返しを徹底的に否定するという思想は特に引き継がれないで、十二音化の秩序付けや厳格なメソッドは棄てられ、クラスターや微分音・ミクロポリフォニー、ハプニング、雑音などのセリエルの本道とは特に関係のないそれぞれの個性的なアイディアの進化だけに目を向けられ、また場合によっては擬似セリエルのような構成法で音楽が書かれた。
1960年代のヨーロッパの音楽文化はほぼポスト・セリエルに汚染されていくことになり、セリー音楽の正統な訓練をつんでいないものまでがこの様式で作曲したために、定義が曖昧で一種の無法状態に陥ったことは否定できない。この無秩序状態に対抗する形でミニマリズムやチャンス・オペレーション、偶然性などアメリカ実験音楽のイディオムが当時は対抗する存在であった。
[編集] 後期
その混沌の中でダルムシュタット語法を正確に受け継いだ作曲家としてヘルムート・ラッヘンマンとブライアン・ファーニホウの二人だけが頭角をあらわし、それぞれのパラメーターの発展と変容化だけに目を向けられる。前者は特殊奏法による音色、すなわち特殊奏法を使った音色の発展とそのホモフォニ-性もポリフォニー性も否定、後者は複雑なリズムポリフォニーを使った音価の発展に目を向けるが、もうこれは既にポスト・セリエルの単なる延命という意見も多く見られる。しかしながら、この延命であるにもかかわらずこの二人の音楽は強力であり影響力も衰えていない。
晩年のノーノはセリエル技法を捨て、微分音を十六分の一音まで細かく追求したが、音響作曲法的に点的に作曲する態度は変わっておらず、セリエルな感覚の作曲に徹していたという意見も見られる。これも、ポスト・セリエルの一種の進化系である。
[編集] 受容
重箱の隅をつつくようなこう言った作曲技法は、人間の耳にもすでに限界に達したと言う意見が現在多数を占めつつある。トータル・セリエルやポスト・セリエルを経験しない若い作曲家が特に日本では多くなったためであろう。