ポール・W・キャラウェイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・ワイアット・キャラウェイ(Paul Wyatt Caraway、1905年12月23日 - 1985年12月13日)は、アメリカの軍人。1961年2月16日から1964年7月31日まで琉球列島高等弁務官を務めた。アーカンソー州ジョンスボロー出身。
[編集] 経歴
1905年12月23日生まれ。1929年に陸軍士官学校を卒業する。その後ジョージタウン大学で法律を学び、1938年に陸軍士官学校教官に就任する。
第二次世界大戦中は中国戦線に従軍し、終戦を重慶で迎えた。その後、トリエステやフランスの駐留米軍に勤務し、在日国連軍及び米極東軍総司令部参謀長補佐などを歴任した。
1961年に第3代高等弁務官に就任する。強烈な個性の持ち主で、高等弁務官の権限を最大限に活用して施策にあたった。「ケネディ政権の日米協調政策は沖縄におけるアメリカの軍事的利益を損なう」と強く反発して日本への沖縄返還に反対の意思を表明した彼の強権発動政策はキャラウェイ旋風と呼ばれ、内外に波紋を広げた。主な施策として、日琉間の政治的・経済的離間策や琉球政府の自治権抑制や金融機関の粛正を図った。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|
|
カテゴリ: アメリカの沖縄統治機関の高官 | アメリカの軍人 | 1905年生 | 1985年没