マチカネフクキタル
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1999年5月2日 京都競馬場 |
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1994年5月22日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | クリスタルグリッターズ |
母 | アテナトウショウ |
生産 | 信成牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 細川益男 |
調教師 | 二分久男(栗東) |
競走成績 | 22戦6勝 |
獲得賞金 | 3億7024万6000円 |
マチカネフクキタルは、日本の競走馬で現在は種牡馬。1997年の菊花賞優勝馬である。馬主の細川益男が所有する同世代の競走馬にマチカネワラウカドがいる。
目次 |
[編集] 戦績
1996年暮れの阪神競馬でデビューし、翌1997年3月の未勝利戦で初勝利。その後500万下条件を勝ち上がり、東京優駿(日本ダービー)への優先出走権をかけ、トライアルのプリンシパルステークスに出走、2着に入り、日本ダービーへの切符を手にする。日本ダービーでは勝利したサニーブライアンから0.5秒差の7着と健闘する。その後福島競馬のさくらんぼステークス(900万下条件戦)に出走。圧倒的な1番人気に応えて勝利し休養に入ると、秋の神戸新聞杯ではサイレンススズカをゴール前で差し切り、続く京都新聞杯でもメジロブライトらを寄せ付けず完勝、菊花賞の有力候補へ躍り出る。しかし菊花賞では3番人気に甘んじる。これは父クリスタルグリッターズが短中距離馬という背景から血統的に長距離競馬には向かないとの見方が強かったためであると思われる。しかし武邦彦は「俺が乗ったら勝つ」とコメントを出している。結局レースではそんな不安説を一掃するかのようなレースぶりを見せ、見事優勝。900万下条件戦の勝利から4連勝と、その勢いをまざまざと見せ付けた。当時菊花賞の実況を担当していた杉本清アナウンサーの「神戸、京都に続いて菊の舞台でも福が来た!」は有名なフレーズとして語り草となっている。
しかし、蹄の病気に悩まされ、古馬になってからはGII2着2回とGI5着1回があったほかは着外ばかりのレースが続き、2000年の宝塚記念8着を最後に引退。種牡馬となった。種牡馬としては、日本国内では稀少なクリスタルグリッターズの後継種牡馬であるが、目立った実績を持つ活躍馬は出せていない。現在は、新ひだか町のレックススタッドで供用されている。
[編集] 主な勝ち鞍
- 1997年
- 神戸新聞杯(GII)、京都新聞杯(GII)、菊花賞(GI)
[編集] 主な産駒
- 2003年産
- リワードプレザン(中山新春ジャンプステークス)
[編集] 血統表
マチカネフクキタルの血統 Blushing Groom系 | |||
父
クリスタルグリッターズ 1990 鹿毛 |
Blushing Groom 1974 栗毛 |
Red God | Nasrullah |
Spring Run | |||
Runaway Bride | Wild Risk | ||
Aimee | |||
Tales to Tell 1967 鹿毛 |
Donut King | Determine | |
Stayed | |||
Fleeting Doll | Fleet Nasrullah | ||
Chinese Doll | |||
母
アテナトウショウ 1981 栗毛 |
トウショウボーイ 1973 鹿毛 |
*Tesco Boy | Princely Gift |
Suncourt | |||
*Social Butterfly | Your Host | ||
Wisteria | |||
グレイトウショウ 1974 芦毛 |
*Silver Shark | Buisson Ardent | |
Palsaka | |||
ローズトウショウ | *Tudor Period | ||
ワカシラオキ |
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