マリア・ベント=カブチ
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マリア・ベント=カブチ(Maria Vento-Kabchi, 1974年5月24日 - )は、ベネズエラ・カラカス出身の女子プロテニス選手。これまでテニス選手がほとんどいなかったベネズエラで、当地テニスの開拓者のひとりとして活動してきた。既婚選手として、自分の姓「ベント」(Vento)と夫の姓「カブチ」(Kabchi)を併用している。WTAツアー大会でシングルス優勝はないが、ダブルスで4勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス26位、ダブルス15位。身長168cm、体重59kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
6歳からテニスを始め、1994年2月にプロ入り。マリア・ベントはまだアマチュア選手だった頃の1990年に、16歳で女子テニス国別対抗戦・フェドカップのベネズエラ代表選手に初選出され、1996年から2001年までフェド杯に6年連続出場を果たした。ベントが世界的に有名になったのは、1997年のウィンブルドンで4回戦進出を果たした時である。この時ベントは予選3試合を勝ち抜いて本戦出場権を獲得し、本戦3回戦でマグダレナ・マレーバ(ブルガリア)を 6-2, 7-5 で破り、デニサ・クラドコワ(チェコ)との4回戦まで勝ち進んだ。1998年のウィンブルドンで2年連続の3回戦進出を果たすが、第2シードのリンゼイ・ダベンポートに 3-6, 6-1, 2-6 で敗れている。2000年のシドニー五輪で、ベントは初めてオリンピックのベネズエラ代表選手に選ばれ、女子シングルス2回戦でベルギー代表のサビーネ・アペルマンスに 2-6, 2-6 で敗れた。女子ダブルスではミラグロス・セケラ(Milagros Sequera)とペアを組み、ベルギー代表のドミニク・ファン・ルースト&エルス・カレンズ組との準々決勝まで進出している。
2001年7月21日、マリア・ベントは弁護士のガマル・カブチ(Gamal Kabchi)と結婚し、2つの姓を併用して「マリア・ベント=カブチ」と名乗るようになった。結婚後の2002年に、ベント=カブチはダブルスで年間2勝を獲得する。30歳を迎えた2004年に単複とも好成績を多く出し、全米オープンで初めて3回戦進出を果たした。1回戦でスペインのベテラン選手、コンチタ・マルチネスを破ったベント=カブチは、3回戦で第2シードのアメリ・モレスモに 2-6, 0-6 で完敗する。全米オープンに先立ち、2004年アテネ五輪で2度目のオリンピック出場も果たし、女子シングルス2回戦でベルギー代表のジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れた。この年はダブルスでも、インドネシアのアンジェリク・ウィジャヤとペアを組んで全豪オープンとウィンブルドンの女子ダブルスでベスト8に入った。
2005年は全米オープンで4回戦に進出し、1997年のウィンブルドン以来8年ぶりの4大大会ベスト16入りを決めたが、4回戦で第4シードのキム・クライシュテルスに 1-6, 0-6 で敗れた。この後、ベント=カブチは「ジャパン・オープン」の女子ダブルスで浅越しのぶとペアを組み、マリア・キリレンコ(ロシア)&ヒセラ・ドゥルコ(アルゼンチン)組に敗れて準優勝になっている。2006年は5年ぶりにフェドカップのベネズエラ代表選手に復帰し、通算成績を「35勝20敗」(シングルス21勝11敗、ダブルス14勝9敗)に伸ばした。