ミゲル1世 (ポルトガル王)
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ミゲル1世(Miguel I, 1802年10月26日 - 1866年11月14日)はポルトガル王(在位:1828年 - 1834年)。ジョアン6世とスペイン王カルロス4世の娘カルロタの次男。ブラジル皇帝ペドロ1世の弟。
ブラジルで成長し、1821年父とともにポルトガルへ帰国した。ミゲルは議会の攻勢に対して反動政治を行い、1824年にはジョアン6世がイギリスに支援を頼み全権を回復したため、失脚して、フランス経由でオーストリアへ亡命した。
その間、兄ペドロ1世はブラジル皇帝となり、娘マリア・ダ・グロリアがマリア2世としてポルトガル女王になった。ペドロ1世は、娘の即位にあたってミゲルをその婚約者とし、未成年の間の摂政を命じた。が、絶対王政主義者たちに支持されたミゲルは王位を僭称し、徹底的な反動政治を行い、マリア2世支持派との間に内乱を引き起こした。立憲政治主義者たちはアゾレス諸島のテルセイラ島に臨時政府をつくった。ミゲル王支持派(ミゲリスタ)は島に上陸したが、テルセイラ公爵指揮する部隊に撃破された。
1830年、ペドロ1世はアゾレス諸島に来て政府軍を指揮し、イギリスのホイッグ党の支援を得てリスボンやポルトを占領した。加えてフランス政府も干渉したため、ミゲルは王位を断念し、ウィーンに亡命した。
1866年、バーデンのシュロッス・ブロンバハで死去した。
[編集] 家族
オーストリア亡命中、レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク公子コンスタンティンの娘アーデルハイト(アデライデ)と結婚し、1男6女をもうけた。
- 長女:マリア
- 長男:ミゲル(ブラガンサ公。ポルトガル王位請求者ドゥアルテ・ヌノの父)
- 次女:マリア・テレジア(オーストリア大公カール・ルートヴィヒ妃、オーストリア皇帝カール1世の祖母)
- 三女:マリア・アントニア(パルマ公ロベルト1世妃、オーストリア皇后ツィタの母)
- 四女:マリア・ジョゼ(ベルギー王アルベール1世の妃エリザベートの母)
- 五女:アデルグンデス
- 六女:マリア・アナ(ルクセンブルク大公ギヨーム4世妃、マリー=アデライド、シャルロットの母)
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