アゾレス諸島
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標語 : 無し | |||||
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公用語 | ポルトガル語 | ||||
自治化 - 日付 |
1976年 | ||||
自治政府 | Carlos César | ||||
面積 - 総計 - 水面積率 |
順位無し 2,333km² |
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人口 – 総人口 241,763 人 人口密度| 104/km² |
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通貨 | ユーロ | ||||
時間帯 | UTC-1 | ||||
ccTLD | pt | ||||
国際電話番号 | 351 |
アゾレス諸島(アゾレスしょとう、ポルトガル語:Açores, 英語:Azores)は、大西洋の中央に位置するポルトガル領の群島で、アゾレス諸島全体は自治権をもつ1つの行政区である。
目次 |
[編集] 概要
ポルトガル語ではアソーレス。ポルトガル沖約1000kmの大西洋上に浮かぶ。1431年に発見された。リスボンから約1,500km、北アメリカの東端から3,900kmの位置にある。火山が起源で、9つの島からなる。ピコ島の火山ピコ山は標高2,351mでアゾレスのみならずポルトガルの最高地点である。
捕鯨および遠洋漁業の基地としても使われた他、現在は温暖な気候から保養地として人気がある。
[編集] 歴史
1431年にエンリケ航海王子の配下の船長のひとりによって発見された。その地理上の位置から、発見当時は新大陸への重要な航海基地となった。1439年以降植民地化が進むが、初期はポルトガルからの移住者を中心とするものの、各国から移住者があった。
1583年、スペイン王フェリペ2世がポルトガル王としてフランス人商人を排除するためにアゾレス諸島に船団を派遣した。アゾレス諸島は、ポルトガル領の中で最後までフェリペ2世のポルトガル支配に抵抗した土地となった。
1820年からの内戦では、アゾレス諸島は自由主義派の拠点となり、テルセイラ島にマリア2世の宮廷が置かれた。
1939年に勃発した第二次世界大戦中は、ポルトガルは一貫して中立国であったにもかかわらず、イギリスやアメリカなどの連合国から軍事的、政治的圧力を受け、大戦中は事実上連合国の基地として使用されていた。
1976年以降、アゾレス諸島全体は自治権をもつ1つの行政区 (Região Autónoma dos Açores) となっている。アゾレス地域圏の行政上の首府はポンタ・デルガダ、議会はオルタ、司法上の中心はアングラ・ド・エロイズモにおかれる。
[編集] 地理
アゾレス諸島の各島(サイズ別) | |
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島名 | 面積 (km²) |
サンミゲル島 | 759 |
ピコ島 | 446 |
テルセイラ島 | 403 |
サンジョルジェ島 | 246 |
ファイアル島 | 173 |
フローレス島 | 143 |
サンタマリア島 | 97 |
グラシオーザ島 | 62 |
コルヴォ島 | 17 |
リスボンのほぼ西に位置する。主要な島は9つ。総面積は2,355km²である。気候は一年を通じて温暖である。アゾレス諸島は、大西洋中央海嶺とホットスポットが重複した位置にあり、基本的には、火山島である。
アゾレス諸島の島は、3つに大別される。
- 東部 (Grupo Oriental):サンミゲル島(São Miguel)、サンタマリア島、フォルミガス島。
- 中部 (Grupo Central):テルセイラ島、サンジョルジェ島、ピコ島(Pico)、ファイアル島、グラシオーザ島。
- 西部(Grupo Ocidental):フローレス島、コルヴォ島(Corvo)。
最大の島はサンミゲル島、最小の島はコルヴォ島である。
[編集] 交通
リスボンおよびポルトとサンミゲル島のポンタ・デルガダの間にTAP ポルトガル航空の定期便が就航する他、ヨーロッパの主要都市との間にも定期便が運行されている。ポンタ・デルガダ空港からアゾレス諸島各島に航空便がある。
また、ポルトガル本土の主な港との間にフェリーなどの定期船も運航されている他、観光客を乗せたクルーズ客船も頻繁に運航されている。
[編集] 住民
人口は全島を合わせて24万人強で、その半分以上がサンミゲル島に住む。2002年12月31日の統計では、全島の人口は238,767人、人口密度は106 人/km²である。全人口の95%がローマ・カトリック信者である。
[編集] 文化
諸島内には16世紀から18世紀にかけた建築物が随所に残る。テルセイラ島の首都、アングラ・ド・エロイズモの市街と、ピコ島のワイン畑の景観がユネスコの世界遺産に登録されている。
2002年と2006年のFIFAワールドカップに、アゾレス諸島から初のポルトガル代表選手として出場したパウレタがいる。