ミラクルパワーコンビ
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ミラクルパワーコンビは、プロレスラースタン・ハンセンとブルーザー・ブロディによるコンビのこと。超獣コンビとも呼ばれる。プロレス至上最強のタッグチームと称されることが多い。まれに全日本プロレス中継のアナウンサーが、「超ミラクルパワーコンビ」と「超」をつけて呼称したこともある。
[編集] 歴史
若き日のブロディがまだ本名のフランク・ゴーディッシュを名乗っていた1974年ごろ初結成。ウェスト・テキサス州立大学のアメフト出身の先輩・後輩であり、親友でもある。
本格的にこのコンビが売り出されたのは1981年、新日本プロレスのアントニオ猪木、新間寿によるアブドーラ・ザ・ブッチャー引き抜きの報復として、全日本プロレスのジャイアント馬場がハンセンを引き抜き、年末の世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦させたことに端を発する。
この最強タッグにはブロディはジミー・スヌーカーとコンビを組んで参戦していたが、ハンセンはこのチームの優勝戦にセコンドとして参加。対戦相手のザ・ファンクスのテリー・ファンクに場外でウエスタン・ラリアットを見舞い、ブロディ組の優勝に貢献する。
その後、その師匠格でもあるファンクスに対して「テキサスの化石になれ」と宣戦布告し(外人トップの世代交代を迫る意味合いもあった)、二人は本格的にタッグを組むことになる。各々がシングルプレイヤーとして突出しているコンビであったため、対戦相手として馬場・鶴田師弟コンビ、鶴龍コンビ、ファンクス、マスカラス・ブラザーズなどが挑んだが、連係でもファンクスに引けをとらなかったミラクルパワーコンビとの実力差は一目瞭然であり、相手にならなかった。
世界最強タッグの戦績は、1982年はファンクスに反則負けで敗れるものの、1983年に初優勝。1984年は鶴龍コンビに次ぐ準優勝。しかし敗北はたいてい反則負けによるもので、実力的に最強であることは一目瞭然であった。
1984年末に、全日本プロレスと新日本プロレスを退団した長州力らにより設立されたジャパンプロレスが業務提携したため、主力外国人によるメインが少なくなくなったことに不信感を抱いたブロディは、新日本プロレスからの引抜を受諾・移籍し、事実上の解散となった。
後にブロディは全日本プロレスに復帰するが、1987年の最強タッグでは、それぞれ別チームとしての参加で、この年の双方のチームによるタッグマッチが最初で最後の両者の対戦となった。
[編集] エピソード
ライバルであるジャンボ鶴田は、ミラクルパワーコンビとロード・ウォリアーズのどちらが強かったかというファンからの質問に対して、ミラクルパワーコンビの方が強かったと答えている。また、ブロディ、ハンセンはシングルプレイヤーとしても突出している自分たちと、タッグチームとして存在価値を持っているロード・ウォリアーズでは比較にならないとコメントすることが多かった。