メイズイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1960年3月13日 |
死没 | 1978年8月5日 |
父 | ゲイタイム |
母 | チルウインド |
生産 | 千明牧場 |
生国 | 日本(群馬県片品村) |
馬主 | 千明康 |
調教師 | 尾形藤吉(東京) |
競走成績 | 22戦15勝 |
獲得賞金 | 3539万300円 |
メイズイは、日本の競走馬。皐月賞、東京優駿(日本ダービー)を衝撃的な勝ち方で勝利し、クラシック三冠確実と言われながらも菊花賞で敗れた。1963年年度代表馬。
[編集] メイズイ戦記
子馬の頃から期待され、関東の名門尾形藤吉厩舎に入厩した。年が明けてすぐ中山競馬場で保田隆芳騎手を背にデビューすると、いきなり10馬身差で圧勝。さらに次走のオープン競走もレコードで圧勝した。
その後も順調に勝ち上がり東京記念で僚馬グレートヨルカと初めて対戦する。このとき、グレートヨルカ、メイズイ共に主戦騎手が保田騎手であったため保田騎手は選択を迫られた。保田騎手は悩んだ末、前年朝日杯3歳ステークスを勝ち最優秀3歳牡馬を獲得したグレートヨルカを選び、メイズイには森安重勝騎手が乗ることになった。レースの結果はグレートヨルカが勝ちメイズイは初の2着に敗北。しかし、次走スプリングステークスでは逆にメイズイがグレートヨルカを4馬身差の2着に下し雪辱した。
クラシックの第1戦皐月賞は、一番人気はグレートヨルカだったがメイズイは先頭を軽快に逃げ、グレートヨルカを2馬身振り切り一冠目を獲得、3着クニイサミとはさらに5馬身離れていた。
この年、日本ダービーは二頭の頭文字をとって「MGダービー」と呼ばれた。日本ダービーでもメイズイは逃げに逃げ1000メートル通過は1分1秒、当時としてはかなり速いペースで先頭をすすみ、直線でも追いすがるグレートヨルカをさらに突き放し7馬身差で圧勝。この時のタイム2分28秒7はこれまでのレコードを1.5秒縮め初めて2分20秒代に突入する大レコードになった。
そして秋になりオープン2戦も快勝したメイズイのクラシック三冠を阻むものは何もないと思われた。菊花賞の単勝支持率は83.2%の圧倒的な人気。主催者側が三冠記念のくす玉を用意するほどである。しかしメイズイは直線失速し6着に敗れ三冠はならなかった。レース後、森安重勝の騎乗ミスや距離の不安などが囁かれた。菊花賞は僚馬グレートヨルカが最後の1冠を獲得している。(この時三冠達成時に使われるはずのくす玉は翌年=1964年にシンザンが達成した際に使い廻された)
その後のメイズイはクモハタ記念を含む12戦7勝。春の天皇賞や有馬記念にも挑戦したが2着と、ついに大レースに勝つことはなかった。シンザンのクラシック三冠達成の年の有馬記念ファン投票では、なんとシンザンを押さえ1位になったが、その有馬記念でも3着に敗れている。このレースを最後に引退の予定だったが、このままでは格好が付かないとして年明けのオープンで有終の美を飾って引退した。
引退後は種牡馬入りしたが、父内国産種牡馬不遇の時代でもあり失敗に終わった。ブルードメアサイアー(母の父)としてはハシコトブキ(父シンザン)を出している。
メイズイの血統 ハイペリオン系/Orby5×5=6.25% Gainsborough4×5=9.38%(父内) | |||
父
*ゲイタイム Gay Time 1949 栗毛 |
Rockefella 1941 黒鹿毛 |
Hyperion | Gainsborough |
Selene | |||
Rockfel | Felstead | ||
Rockliffe | |||
Daring Miss 1939 栗毛 |
Felicitation | Colorado | |
Felicita | |||
Venturesome | Solario | ||
Orlass | |||
母
*チルウインド Chill Wind 1946 栗毛 |
Wyndham 1933 栗毛 |
Blenheim | Blandford |
Malva | |||
Bossover | The Boss | ||
Rhodesian Mare | |||
Heart of Midlothian 1942 栗毛 |
Scottish Union | Cameronian | |
Trustful | |||
Eppie Adair | Duncan Gray | ||
Bess of Hardwick F-No.9-h |