メトロポリタンジャーニー
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メトロポリタンジャーニーは1996年4月17日~1997年3月19日までフジテレビ系列で放送された「旅行」をテーマにしたバラエティ番組。毎週水曜日21:00 - 21:54に放送された。番組テーマは、旅に飽きたら人生飽きたに等しい。
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[編集] 番組概要
1996年3月で終了したクイズ番組である「なるほど!ザ・ワールド」のコンセプトを引き継いだ事実上の後継番組(但し、「なるほど-」は火曜日の放送であり、この番組はクイズ形式ではなかった)。毎回2つの旅行プランから関心のある旅行プランをゲストを含むパネリストが選ぶという内容。最初はプランを小倉智昭、いとうせいこう、小西克哉らプランナーがスタジオでプレゼンテーションをして、選ばれたプランをパネリスト1人が代表して出掛けるというものだった。のちにプランナーが提案したプランを自身やゲストが実際に旅行し、その様子をプレゼンテーションする形式になった。
[編集] 慣れない司会振りと配置転換と低視聴率
滅多にバラエティーに出演しない里見浩太朗が初めて司会するとあってか、進行ぶりも今ひとつだった様で、同じ司会の大石恵がフォローした事もあった。里見が舞台出演で出演できない時は、紳助と石田が代理司会を務めた。視聴率は、裏番組の「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(日本テレビ)などに苦戦していたため、後期に司会を紳助と石田に、里見と大石をレギュラーに配置転換する等のリニューアルを施し、やや好転はしたが、やはり視聴率が低く、1年で放送終了となった。
[編集] 旭化成一社提供番組の消滅
「スター千一夜」から続く旭化成一社提供番組で、この番組を最後に旭化成一社提供番組が消滅した(その後、旭化成は月9ドラマの複数社提供の一社となり現在に至っている)。なお、番組終了後のこの時間は2003年7月の「トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~」開始までの6年3ヶ月の間ドラマ枠となった。
[編集] 出演者
- 前期(1996年4月~1996年9月)
司会
レギュラーパネリスト
- 島田紳助 (パネリストのリーダー格で、幽霊の話題には必ず口を出していた。里見が舞台などで出演出来なかった日は司会代理も行った。)
- 石田純一
- 浅野ゆう子(放送当時「香港親善大使」の肩書きを持ち、香港がテーマのときはよくプランナーに協力していた。)
トラベルプランナー
- 小倉智昭(チーフプランナー。豊富な知識を持つ彼のプレゼンテーションには定評があった。)
- いとうせいこう(別名「仏像マニアのプランナー」。この話題を持ち込むと、よく紳助がツッコミを入れていた。)
- 小西克哉
- ナレーター
- 後期(1996年10月~1997年3月)
- 司会が里見と大石から紳助と石田に代わり、里見と大石がレギュラーに配置転換された。小倉といとうと小西のプランナートリオはそのまま(週替わり)で、ゲストは「旅を決定して行く」形式から「旅に行って紹介する」スタイルに変更。景山と加納とコシノがレギュラー審査員として加わり大幅なリニューアルを行った。
司会
- 島田紳助
- 石田純一
旅行プラン審査員
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