ユダヤ人問題の最終的解決
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
"ユダヤ人問題の最終的解決"(独:"Endlösung der Judenfrage")とは、第二次世界大戦中のヨーロッパにおけるユダヤ人に対する組織的に大量虐殺を行うナチスドイツの計画のことを指す。翻訳によっては、ユダヤ人問題の最終解決とかかれる場合もある。この言葉は、ナチスの最高幹部であるアドルフ・アイヒマンにより作られた言葉である。彼は虐殺の推進を管理し、1961~1962年にイスラエル当局により捕獲、審議、処刑が行われた。最終的解決の実行はホロコーストの殺害を行う段階で実行されていた。この表現は、ヨーロッパのユダヤ人自体が「疑問」であり「問題」であるというナチスの信条と姿勢を反映していた。
100万以上のユダヤ人の大量殺害が、1942年に最終的解決の計画が完全に準備される前に行われた。しかし、その計画自体は、絶滅収容所もしくは「死の収容所」を建設し、ユダヤ人の大量殺害を工業的に行うことを真剣に開始し、全てのユダヤ人を根絶させるという決定だけであった。この組織的にヨーロッパのユダヤ人を殺すという決定は、その時に行われたものであった。これは、1942年1月20日ベルリンのヴァンゼーにある別荘でのヴァンゼー会議において決められた。その会議では、「ユダヤ人問題の最終的解決」を決定した、ナチスの高官の集団により行われた議論であった。この会議の記録と議事録は、戦争の終結時に連合国によって完全な形で発見され、ニュルンベルグ裁判で価値ある証拠として提出された。1942年春、それ以前に、死の部隊や大量殺戮により既に数十万のユダヤ人が殺されていたのだが、ラインハルト計画によって、ユダヤ人の組織的な根絶を始めた。
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[編集] 解決に関しての歴史学的な考察
現在でも歴史家の間で議論となるのが、ナチスの高官によってヨーロッパのユダヤ人を根絶する決定が正確にいつ行われたのかと言うものがある。 一致しているのは最終的解決の概要が1941年の夏から秋にかけて徐々に行われたというものである。 有名なホロコーストの研究家クリストファー・ブラウニングは、ユダヤ人を根絶すると言う決定は、2段階で行われたと述べている。1つ目は1941年7月、ロシアのユダヤ人を殺害すると言うもの( 任務部隊(Einsatzgruppen) による大量虐殺が既に1941年夏に始まっていた)、2つ目は1941年10月、残りのヨーロッパのユダヤ人を根絶すると言うものであった。この視点では広い証拠が存在する。例えば、1941年7月31日、アドルフ・ヒトラーの指示の元、ナチスの高官、ヘルマン・ゲーリングがSSの将軍ラインハルト・ハイドリヒに「ユダヤ人問題の最終的解決を望ましい形で実行するために必要な行政的なシステムと金銭的な方策の計画を可能な限りすぐ自分に提出するように」[要出典]命令した。
クリスティアン・ゲルラッハは異なる時系列を主張している。ナチス党(the Reichsleiter)と地方の党の長(the Gauleiter)の集会での演説が行われた際に、決定はヒトラーにより1941年12月12日に提案されたと言うものである。ヒトラーの個人的な発言の翌日の1941年12月13日の日誌の記録では、ヨーゼフ・ゲッベルスは、以下のように記述している。
- ユダヤ人問題に関して、総統は問題を簡単にすることにした。総統は、ユダヤ人が新たな世界大戦を引き起こすのであるなら、彼ら自身を破滅させることを警告した。これは意味の無い言葉でなく、世界大戦は起こっている。ユダヤ人の破滅は結果として必然だ。我々はそれに対して感情的になってはいけない。ユダヤ人に対して思いやりを持ってはいけない。同情はドイツ民族に対して行われるべきだ。ドイツ人が16万の犠牲者を東方の戦線で出しているが、この流血の犠牲は彼らの命で払われなくてはいけない。[1]
この決定後、最終的解決を効果的に行う計画が立てられた。 例えば、12月16日に、ポーランド総督府(Generalgouvernement für die besetzten polnischen Gebiete)の高官による集会で、ハンス・フランクはヒトラーの演説を引用して、ユダヤ人の根絶を行うと言うことを記述している。
- ユダヤ人に関して言えば、私は彼らに終わりをもたらすため1つか2つの方法を率直に述べることができる。総統は、次のような方法を提案した。もし、ユダヤ人同士の協力した力が世界大戦を起こすことに再度成功したら、それは、ヨーロッパのユダヤ人の終わりということだ。・・・私は、君たちにこう言う。私と共に立ち上がろう。・・・少なくともこの考えで、ドイツの人々への同情心を取っておき、世界の他の人々のためにそれを無駄に使うなどとしてはいけない。・・・それゆえ、私は彼らが消滅していくという根本的な期待をしている。彼らは取り除かれるべきである。現在、私は彼らを東へ取り除くための議論に参加している。1月にこの問題について議論するための重要な会合がベルリンで行われる。私はこの会合に次官のビューラー博士を送る予定だ。RSHAの高官とハイドリヒ上級大将の元で行われる会合だ。その結果で、ユダヤ人の大量の移住が始まる。だが、これらのユダヤ人に何が起こるのか?きみたちは、彼らが東方に移住し村を作って住んでいるところを想像できるだろうか?ベルリンで我々は話した。なぜ、これらの問題全てが我々に降りかかってるのか?東方や帝国の辺境で、我々が彼らにできることは何も無い。彼らは自分たち自身を消し去るしかないのだ!・・・ここには、我々が射殺することも、毒殺することもできない350万のユダヤ人がいる。しかし、我々ができることは、1つか2つの策、それは彼らを消し去ることである。帝国では方策に関連して議論中である。・・・これがどこで、どの様に行われるかは、我々が構築し運営しようとしている組織の問題である。我々は、この任務に関して適当な時に報告する予定である。
[編集] マダガスカル計画
- 詳細はマダガスカル計画を参照
最初にナチスドイツはヨーロッパの全てのユダヤ人をマダガスカルに送るという曖昧な計画をもっていた。1942年以前アドルフ・アイヒマンは、"最終的解決"をどうするかと言う議論が行われたヴァンゼー会議でこの選択を支援していた。SS長官のハインリッヒ・ヒムラーはボルシェビキによる虐殺を例に挙げ、その方法の方を推奨した。(1990年、ホロコースト百科(Encyclopedia of the Holocaust)の「マダガスカル計画」)この計画は英国が降伏後イギリス海軍を使用して行うこととなったが、イギリスは降伏せず、マダガスカル計画は放棄された。
[編集] 最初の絶滅収容所
1941年11月1日に、最初の絶滅収容所が建築された。ベウゼツ(Belzec)、ソビボル(Sobibor)、トレブリンカ(Treblinka)、ヘウムノ(Chełmno)、マイダネク(Majdanek)、そして、最後にはアウシュヴィッツ=ビルケナウの順に建設された。ユダヤ人の大量虐殺は、1942年の初めに開始された。
[編集] 文学作品等での参考文献
- 詳細はホロコースト#ホロコースト関連作品を参照
[編集] 参考文献
- Browning, Christopher R. 「最終的解決の起源(The Origins of the Final Solution)」, William Heinemann, London, 2004.
- Gerald Fleming, 「ヒトラーと最終的解決(Hitler and the Final Solution)」, University of California Press, Berkeley, 1984.
- Christian Gerlach. 「ヴァンゼー会議。ドイツのユダヤ人の運命と原則として全てのヨーロッパのユダヤ人を根絶するヒトラーの決定(The Wannsee Conference, the Fate of German Jews, and Hitler's decision in principle to exterminate all European Jews)」, The Journal of Modern History. Chicago: Dec 1998.Vol.70, Iss. 4; pg. 759, 54 pgs
- Longerich, Peter. 「書かれていない命令―最終的解決におけるヒトラーの役割(The Unwritten Order – Hitler's Role in The Final Solution)」, Tempus Publishing Limited, Stroud, 2003.
- Baumslag, Naomi. 「残忍な医学研究―ナチスの医者の人体実験と腸チフス(Murderous Medicine – Nazi Doctors, Human Experimentation, and Typhus)」, Praeger Publishers, (an imprint of Greenwood Publishing Group, Inc.), 2005. ISBN 0-275-98312-9
[編集] 外部リンク
- 1941年-1944年:「最終的解決」(英語)
- ヒトラーはいつ「最終的解決」の決定をしたか?(英語)
- 最終的解決の出現(英語)
- ホロコーストにおけるユダヤ人問題の最終的解決(英語)