ユーリ・シャポーリン
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ユーリ・シャポーリン(Yuri Alexandrovich Shaporin / 露語: Юрий Александрович Шапорин; *1887年11月8日 フルヒフ - †1966年12月9日 モスクワ)はソ連の作曲家・音楽教師。
[編集] 生涯
画家の息子に生まれ、当初は自らも画家を志していた。さしあたってキエフで哲学を専攻するかたわら、初めて作曲の指導を受ける。1908年から1912年までサンクトペテルブルクで法律学を修めた後、やっと1913年になってペテルブルク音楽院で作曲の学習にとりくむ。とりわけマクシミリアン・シテインベルクとニコライ・チェレプニンの薫陶を受け、1918年に音楽院を卒業。その後はまずレニングラードでもっぱら劇場指揮者として活動した。モスクワに移住するのは1936年になってからで、1939年からモスクワ音楽院作曲科の教授に迎えられた。門下にはエフゲニー・スヴェトラーノフとロディオン・シチェドリンらを擁している。
シャポーリンはソ連建国時から活躍した作曲家であり、スターリン賞を3度授与され、人民芸術家にも選ばれ、ソ連作曲家同盟の会員にも選ばれた。
[編集] 作曲様式
シャポーリンの音楽言語はむしろ保守的であり、常に調性の枠組みの中で動いている。作品において重要な役割を果たしているのは、ロシアやウクライナの民族音楽である。シャポーリンは、それらの要素をまさに体系的に作曲に活かす方法を心得ていた。したがってシャポーリンは、明白にロシアのロマン派的な国民楽派の伝統に位置付けられる。シャポーリンの模範はラフマニノフとメトネルであった。抒情的でよどみない旋律を創り出す能力は、とりわけ強烈に表れており、シャポーリンにとって声楽曲の作曲は天性のものであった。しばしばシャポーリンの作品は、人間的で詩的で、心底ロシア的であると呼ばれている。シャポーリンがソ連当局と衝突することは全くなかった。こんにちシャポーリンはほとんど忘れられているものの、作曲手法の巧みな操作が特徴的な、よく考え抜かれたその作品は、再評価に値しよう。
[編集] 作品一覧
- 管絃楽曲
- 民族楽器とオーケストラのための組曲『蚤』(レスコフによる) op.8 (1928)
- マヤコフスキーによる合唱交響曲 op.11 (合唱、吹奏楽、ピアノ、管弦楽のための) (1928-33)
- 交響曲ホ短調 (1932/33)
- 劇付随音楽(多数)
- 映画音楽(約80点)
- 声楽曲
- 歌劇《デカブリスト》(アレクセイ・トルストイ原作, 1920-53, 原題は『パウリーネ・ガイベル』)
- 交響的カンタータ《クリコフの野戦》op.14 (アレクサンドル・ブローク原作, 1918-39)
- 世俗オラトリオ《ロシアの地上戦の伝説》 op.17 (1943/44)
- オラトリオ《どれだけの間コンドルは飛び廻るのか?》op.20 (アレクサンドル・ブローク原作, 1945-47, 改訂1963)
- プーシキン歌曲集(ピアノ伴奏、管弦楽伴奏)
- ブローク歌曲集(ピアノ伴奏、管弦楽伴奏)
- ピアノ曲
- ピアノ・ソナタ第1番 嬰ヘ短調 op.5 (1924)
- ピアノ・ソナタ第2番 ロ短調 op.7 (1926)
- ピアノ・ソナタ第3番 (1966, 未完成)
- バラード op.28 (1959)
- 室内楽曲
- チェロ・ソナタ (ダニイル・シャフランの十八番だった)
- チェロとピアノのための5つの小品 op.25 (1956, 1959)