五畿七道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。
目次 |
[編集] 概要
元々は、中国で用いられていた行政区分「道」に倣った物である。天武天皇の時代に成立したと言われている。朝廷の支配が及ぶ全国を、都(平城京・平安京)周辺を畿内五国、それ以外の地域をそれぞれ七道に区分した。
この七道は、概ね地形的要件に基づいて区分されているが、西海道以外では道単位での行政機関は常置されなかった。西海道は大陸との外交・防衛上の重要性から大宰府が置かれて諸国を管轄した。七道の各国の国府は、それぞれ同じ名の幹線官道で結ばれていた。七道は大路、中路、小路に分けられ、備える馬の数が異なっていた。
[編集] 五畿八道
五畿七道は細部の境界の移動を除き長らく変更はなかったが、1869年、蝦夷地に新たに北海道が置かれた。五畿七道に北海道を含め、五畿八道と呼ぶ。
[編集] 現在の五畿七道
現在の日本各地の地方名の多く(北陸、山陽、山陰など)は、五畿七道に由来している。なお、蝦夷地、特に今の北海道に当たる地域は当時の大和朝廷の勢力圏外だったため、北海道は五畿七道には含まれない。沖縄(琉球)と合わせて、ずっと後世の行政区分である。
七道には、江戸時代の五街道などと重複する呼称がある。時代や成り立ちが異なるものの、ほぼ同じ道筋にはなっている。