井上正巳
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井上 正巳(いのうえ まさおと、安政3年(1856年)1月 - 大正10年(1921年)9月)は、江戸時代の大名。常陸下妻藩の第14代(最後)の藩主。父は第13代藩主・井上正兼(正巳は次男)。母は飯田氏。正室は戸田忠綱の娘。官位は従五位下、伊予守。
安政3年(1856年)正月生まれ。幼名は辰次郎。辰若丸。次男だったが、兄の井上孝丸が病弱を理由に廃嫡されたため、世子となる。そして慶応2年(1866年)11月23日の父の隠居により後を継いだ。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、はじめは幕府側に与して江戸城清水門の警備を務めたが、後に新政府側に寝返ろうとした。このため、旧幕府からの圧力を受けて一部の藩士が会津藩との戦いで会津側に与したため、新政府からそれを咎められて改易に処されかけた。しかし藩の家老が懸命に弁明し、さらに佐幕派であった今村昇らを殺害したため、改易の危機を免れたのである。
明治元年(1868年)11月25日、叙任する。明治2年(1869年)6月の版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官された。大正10年(1921年)9月、66歳で死去した。墓所:東京都台東区の谷中霊園。
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