京都法政学校
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京都法政学校(きょうとほうせいがっこう)は、1900(明治33)年に中川小十郎によって創設された私立学校で、現在の立命館大学(京都市北区)の前身。設立当時は、上京区東三本木通にあった料亭「清輝楼(旧・吉田屋)」を間借りして講義が行われていた。 1889(明治22)年に設立された京都法学校を実質的に引き継いでいる。財団法人立命館専務理事として、末弘威麿(徳大寺威麿)が就任。社会人教育を目的に、夜間学校として設立され、法学・政治学の2学科を置いた。
1903(明治36)年に専門学校令により「私立京都法政専門学校」に組織変更。翌年、「私立京都法政大学」に改称、大学部(法律学科、経済学科/予科)、専門学部(法律科、行政科、経済科、高等研究科)を設置した。1913(大正2)年には「財団法人立命館」を設立すると共に、校名を「私立立命館大学」と改称した。
1901(明治34)年12月には西園寺公望の実弟で第15代住友家当主・住友公純から1,500円の寄付を得るなどして上京区広小路通河原町(中御霊町410番地)に学舎を移転した。広小路校地は1981(昭和56)年に衣笠キャンパス(北区等持院北町)に移転するまでの約80年間、立命館大学の本部キャンパスとして機能した。
現在、京都法政学校が仮学舎とした「清輝楼」の跡地には、「立命館草創の地」を示す記念碑が建っている。
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[編集] 創立の主意
政府は曩に一の帝国大学を京都に新設し、天下学問の中心を東西二都に置くの制を採れり、蓋し東西二大学の競争をして学問進歩の動機たらしめんとするに在るべし、而して東京には帝国大学の外各種の官私学校ありて各般学生の志望に充つることを得、青年の志を立つる者此に集合し自ら既に天下学問の中心たり、然るに京都に在りては帝国大学新たに設置せられ関西の学術大に振るわんとし青年の志を有して京都に集まり来るもの頗る多きも、大学の門戸は未だ高等学校卒業生以外の志望者を迎ふるに至らず、大学以外に在りて高等の学術を修めんとするも其機関あることなし、是れ頗る恨事なり、爰に於てか有志の者相図り京都法政学校を新設し、講義を京都帝国大学教授及其他博学知名の諸氏に嘱託し、政治法律経済に関する高等の学術を広く社会に紹介するの一機関たらしめんとす、是れ蓋し、一は政府か学問の中心を東西の二都に置かんとするの趣意に賛同の意を表し、又一は帝国大学か広く門戸を開放して高等学校卒業生以外の志望者を迎ふる能はさるの欠点を補はんとするの微意に出つるものなり (「立命館大学沿革略」『立命館学報』二 一九一五・大正4年3月)
[編集] 第一期生履修科目・担当者
- 倫理学(島文次郎)
- 憲法(井上密)
- 民法(岡松参太郎)
- 民法(湯原理三郎)
- 商法(毛戸勝元)
- 商法(高根義人)
- 経済学(田島錦治)
- 経済学(戸田海市)
- 民事訴訟法(盛田惟忠)
- 民事訴訟法(仁井田益太郎)
- 法学通論(跡部定次郎)
- 刑法(膳鉦次郎)
- 民法(仁保亀松)
- 民法(岡村司)
- 商法・国際私法(入江良之)
- 商法(浅田賢介)
- 行政法(織田萬)
- 国際公法(千賀鶴太郎)
- 刑事訴訟法(大滝新之助)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 立命館大学ホームページ(日本語)
- Ritsumeikan University (ENGLISH)
- 立命館アジア太平洋大学(日本語)
- Ritsumeikan Asia Pacific University (ENGLISH)
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