伊藤和典
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伊藤 和典(いとう かずのり、1954年12月24日 - )は、山形県上山市出身のアニメや特撮映画で活躍する日本の脚本家。早稲田大学中退。
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[編集] 概要
映画館を経営する実家で育ち、早稲田大学ではテレビ芸術研究会に所属。学生時代からテレビドラマの助監督やシナリオライターのアルバイトを始め、やがて大学は中退したが、ライターの仕事では食べられずに、アニメ業界へ足を踏み入れる。アニメ制作会社の日本サンライズでテレビアニメ『サイボーグ009』で制作進行を務めた後、スタジオぴえろへ制作として入社。スタジオぴえろの第1回作品の『ニルスのふしぎな旅』でも制作進行を務め、ここで伊藤はその後のパートナーとなる押井守と知り合う。押井守がチーフディレクターに昇格した『うる星やつら』からは文芸を担当することなった。『うる星やつら』は、伊藤が本格的に脚本家としての活動を始めるきっかけとなった作品であり、キャラクターデザインの高田明美とは後に結婚するなど転機となった作品である(後に離婚)。押井、高田らとは後に『機動警察パトレイバー』の原作チームヘッドギアを結成した。
伊藤は、『平成ガメラシリーズ』の生みの親でもある。実家の映画館では怪獣映画を見ながら育った根っからの怪獣映画ファン。担当したアニメ作品では、よく怪獣映画のオマージュを取り入れた。また、『ガメラ』を監督した映画監督金子修介とは、かつての特撮テレビ『ウルトラQ』の劇場映画版を作る予定があったが流れてしまった経緯がある。
大の『マジック:ザ・ギャザリング』好きであり、『平成ガメラシリーズ』にはその影響が随所に見られる。
[編集] 主な作品
- 1979年『サイボーグ009』(制作進行)
- 1980年『ニルスのふしぎな旅』(制作進行)
- 1981年『うる星やつら』(テレビ版)(文芸制作・シリーズ構成・脚本)
- 1983年『魔法の天使クリィミーマミ』(原案・構成・脚本)
- 1985年『ダーティペア』(脚本)
- 1985年『きまぐれオレンジ☆ロード』(脚本)
- 1986年『めぞん一刻』(シリーズ構成・脚本)
- 1986年『県立地球防衛軍』(脚本)
- 1986年『アーバン・スクウェア 琥珀の追撃』(脚本)
- 1987年『トワイライトQ 時の結び目』(原案、脚本)
- 1987年『紅い眼鏡 / The Red Spectacles』(脚本、助監督)
- 1987年『究極超人あ~る』(ドラマCD)(脚本)
- 1988年『機動警察パトレイバー』(シリーズ構成、脚本)
- 1989年『機動警察パトレイバー The Movie』(脚本)
- 1990年『Licca ふしぎな不思議なユーニア物語』(脚本)
- 1992年『トーキング・ヘッド』(監督補)
- 1993年『機動警察パトレイバー2 the Movie』(脚本)
- 1993年『ウルトラマンパワード』(脚本)
- 1995年『ガメラ 大怪獣空中決戦』(脚本)
- 1995年『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(脚本)
- 1996年『ガメラ2 レギオン襲来』(脚本)
- 1997年『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』
- 1998年『VISITOR』(原作、脚本)
- 1999年『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』(脚本)
- 2001年『アヴァロン』(脚本)
- 2001年『ピストルオペラ』(脚本)
- 2002年『.hack』のアニメ作品(シリーズ構成、脚本)と家庭用ゲーム作品(脚本)
- 2005年『DIGITAL MONSTER X-evolution』(脚本)
- 2005年『絶対少年』(原作、シリーズ構成、脚本)
[編集] その他
- 実家の映画館(トキワ館)は1990年代まで現役で残っていたが、その後閉鎖・解体されて現存しない。往事の姿は、押井守の映画『紅い眼鏡』や『Talking Head』でうかがい知ることができる。
- 公私ともに付き合いの深い押井守が「犬」をパーソナルシンボルとするのに対し、伊藤は「猫」である。親友のゆうきまさみが伊藤をモデルとして『究極超人あ~る』に登場させた「文芸部の伊東君」は完全に「猫男」になっていた。
[編集] 関連項目
- 高田明美(元妻) - 日本のイラストレーター一覧