佐々木ベジ
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佐々木 ベジ(ささき べじ、1955年 - )は、日本の実業家。東京都青ヶ島村出身。フリージア・マクロス株式会社代表取締役会長。
実弟は実業家の奥山一寸法師。
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[編集] 来歴
1955年9月に生まれる。 村長を務めていた[1]父親がベジタリアンであったため、ベジと名づけられた。
15歳の時に青ヶ島を離れ、1973年に東京都立秋川高校を卒業。 家電販売店に就職し、20歳の時(1975年)「フリージア家電」を創業する。 本人によると、当初は従業員もおらず、自ら秋葉原の路上でチラシを配って客を呼び止め、その場で商談し、商品も自らが配達していた[2]という。
1978年に事業を法人化し(後の「フレンズ・オブ・フリージア」)、代表取締役に就任。 この年から通信販売を手掛け、安売り路線で軌道に乗せた。 1981年には家電以外の商品に手を広げるなど事業を拡大、1989年度には年商200億円近くにまで成長させ、「秋葉原の風雲児」[2][3][4]との異名を持つに至る。
1990年、エイボン・プロダクツの日本法人に対して買収を仕掛けたが、資金不足により破談となった。 また、技研興業、日本カーリット、東海汽船、谷藤機械工業(後の「フリージア・マクロス」)などの株式を買い占め、1991年には谷藤機械工業の代表取締役社長に就任。 M&A事業家としてその名が知られた[3]。
1997年、傘下の医療法人や財団法人に関する記事が新聞にたびたび掲載された。 同年、ピーシーネット(旧「フレンズ・オブ・フリージア」)が破産。 当時、フリージア・マクロス、フリージアコンピュータ(パソコンの組立、販売)など7社を経営していたが、各社で取締役の地位から退いた。
2001年、フリージア・マクロスの代表取締役会長に就任。 同社は連結ベースで債務超過の状態が続いていたが、翌2002年度には連結純資産額がプラスに転じた。 以後も、同社をはじめとするフリージアグループを率いている。
[編集] 思想
佐々木は、顧客の協力を得て計画的な生産・供給を行うことで価格の引き下げと品質の向上を図るとしており、これを「配給」と称している[5][6]。
[編集] 人物評
1991年には「再建のエキスパート」[3]と持て囃されていたが、バブル景気を利用する「なぞの多い人」との声[7]も当時からあった。
[編集] 関連項目
[編集] 参考資料
- ^ 「浜田マキ子ジャーナル」2006年6月16日
- ^ a b 『日経ビジネス』1997年10月27日号、日経BP社、115-117頁
- ^ a b c 『日刊工業新聞』1991年3月25日 17面
- ^ 『産経新聞』東京夕刊 1994年6月29日 10面
- ^ 『日本証券新聞』2005年12月16日 1面
- ^ 「配給って何?」フリージアホーム株式会社
- ^ 『朝日新聞』東京朝刊 1991年2月23日 11面
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