藤田東吾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤田 東吾(ふじた とうご、1961年7月21日 - )は男性実業家。イーホームズ株式会社の代表取締役社長。現在、イーホームズ株式会社の他、「言論」と「表現」の自由を追求するメディア企業、imairu.comを立ち上げ、同社のCEOを兼ねる。「月に響く笛 耐震偽装」の著者。既婚。
目次 |
[編集] 来歴
高校卒業後2年間の浪人生活を経て明治学院大学法学部に入学した。1年留年。USENの宇野康秀は同時期の学院生。大学を卒業後、学生時代から在籍していたポパイのエディター/プロデューサーの山本コテツと株式会社コンセプチュアルデザイン研究所の起業運営に参加。同じく、財団法人流通経済研究所でもマーケティングの研究生として在籍した。その後、佐々木ベジが率いるフリージアグループに就職し修行する。1997年、イーホームズ株式会社の前身となる造園業の会社を興した。
1999年に建築基準法が改正されたため、現在の確認検査機関イーホームズを興した。
2005年10月25日にイーホームズでの協議でヒューザーの常務が出席し構造計算書の偽装について伝えた。その2日後のヒューザーでの協議では同社の代表取締役社長の小嶋進に偽装の発表をとめられたと主張した(2005年11月29日の衆議院国土交通委員会による参考人招致より)。また、この参考人招致で藤田が10月25日の出来事を述べたところ、小嶋から「何言ってんだよ。ふざけんじゃねえぞ!!本当に!この野郎」と恫喝された。
イーホームズ社で2700万円の架空増資を行なっていた疑惑が浮上し、公正証書原本不実記載の容疑で2006年4月26日に逮捕された。
初公判では起訴事実を全面的に認めたが、架空増資と耐震強度偽装を結びつけるのはおかしいと主張した。
2006年10月19日、東京地裁から懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡される。また地裁は、起訴事実である架空増資と偽装を見逃したこととの関連付けは不透明として、藤田の主張を認めた。これについて藤田は公判後の会見で、「自身の主張が認められた」として控訴しない方針を示し、「偽装をしやすいような大臣認定プログラムが悪い」「事件の真実を語った本を出す」「なんでイーホームズが悪いのか?」などと国や報道を批判した。また、耐震偽装事件が混乱した理由は、一部の官僚と政治家が、ヒューザーだけでなく、APAグループの偽装マンションを隠蔽するためだと指摘した。APAグループのマンションは工事を止めたが、藤田が「川崎市と国土交通省が藤光建設と通謀して偽装を隠蔽した」とするマンション、「エグゼプリュート大師駅前」が住民に引き渡される直前であることを判決後に知る。
判決の翌日、首相官邸に突然訪れ、「安倍晋三首相に会わせてほしい。新たな偽装物件が見つかり、腐った国交省なんかあてにならないから首相に直接対応をしていただきたい」と面会を求めるが、それを拒否され、官邸前が一時騒然となった。偽装物件を告発する書面を官邸は受け取らず、代わりに内閣府が受け取った。
メディアがこの問題を取り上げないため耐震偽造問題についての告発をmixiやYouTubeを通じて行う。
2006年11月9日、日本外国特派員協会にて国内外向けの記者会見を行う。
2006年12月28日、自らが経た構造計算書偽装事件について、政治家、官僚、マスコミ等の関係者を含めほぼ全てを実名で表記し、メールや議事録等によって書きおろしたノンフィクション、「月に響く笛 耐震偽装」を発表する。藤田によれば、当初、この本を、文藝春秋社から刊行しようと計画し文藝春秋社と合意に達していたが、本の内容から石川県を地盤とするアパグループの偽装マンションの記述を削除しないと発刊できないと、文藝春秋社から突きつけられた、という。藤田は、耐震偽装事件の事実を歪めることを拒否し、本の出版を行なう為に、自ら、imairu.comというメディア企業を設立し、本を発刊した。
2007年1月25日には、京都府のAPAホテル2件の耐震強度の偽造が国土交通省により発覚した。発覚した物件は藤田が告発した物件とは別の物であるが、設計事務所は告発した物件と同一である。
2007年2月2日、上記2件のホテルの他に藤田がかねてより指摘していたアパガーデンパレス成田に強度不足があることを千葉県が確認し、国土交通省は構造計算書に偽装があると見解を示した。
[編集] 著書
- 月に響く笛~耐震偽装~(2006年12月発売 ISBN 978-4-903786-00-1)