八木弘和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
男子 スキージャンプ | ||
銀 | 1980 | 70m級 |
八木 弘和(やぎ ひろかず、1959年12月26日 - )は、日本の元スキージャンプ競技選手である。北照高等学校卒業。現役時代は北海道拓殖銀行(たくぎん)に所属。
[編集] 主な成績
- レークプラシッドオリンピック70m級銀メダル、90m級19位
- サラエボオリンピック70m級55位、90m級19位
[編集] プロフィ-ル
1970年代後半より1980年代前半に、レークプラシッドオリンピックで4位になった秋元正博とともに日本スキージャンプチームの中心選手として活躍した。当時、新設されたスキージャンプFISワールドカップで優勝1回を含む上位入賞を何度もした。
1980年のレークプラシッドオリンピックでは、当時の70m級ジャンプで1回目87.0m、2回目83.5mと安定したジャンプで銀メダルを獲得した。札幌オリンピック以来のジャンプのメダルであり、その大会唯一の日本人メダリストであった。ただこの表彰式が酷寒の中行なわれ、風邪で体調を崩したため90m級では19位と本来の実力を発揮できなかった。
ジャンパーとしてのピークはこのときで、以降は故障に悩まされ、1984年のサラエボオリンピック終了後現役を引退し、同年北海道拓殖銀行を退社してデサントに入社。一時スキージャンプ界から離れていたが、1989年にコーチ留学のためオーストリアに渡り、1991年に帰国後デサントのスキー部監督に就任した。船木和喜を育て上げたコーチとして有名。その後2002年には日本ナショナルチームのコーチに就任し後進の指導に当たった。現在テレビでジャンプの解説者として登場することが多いが、判りやすく的確な解説で定評がある。