円珍
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基本教義 |
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
韓国の仏教 |
経典 |
聖地 |
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ウィキポータル |
円珍(えんちん、智証大師、弘仁5年(814年)-寛平3年10月29日(891年12月4日))とは、平安時代の天台宗の僧。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。
[編集] 概説
讃岐国(香川県)金倉郷に弘仁5年(814年)に誕生。多度郡弘田郷の豪族・佐伯一門のひとり。弘法大師空海の姪の子息にあたる。生誕地は善通寺から4kmほどのところ。幼少から経典になじみ、14歳で比叡山に登り義真に師事、19歳で落髪し12年間山にこもり学頭となる。仁寿3年(853年)に入唐、天安2年(858年)に帰国。帰国後しばらく現四国88ヶ所第76番金倉寺に住まわれ、寺の整備を行っていた模様。その後比叡山の山王院に住し、やがて延暦寺第5代座主となり、園城寺(三井寺)を賜り、伝法灌頂の道場とした。後に叡山を山門派が占拠したため園城寺は寺門派の拠点となる。円珍が唐より持ち帰った一切経の2組は、園城寺と実相寺に収められた。入寂は、寛平3年(891年)67歳。