別府鉄道
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別府鉄道株式会社(べふてつどうかぶしきがいしゃ)は、かつて兵庫県西南部で鉄道事業を行っていた会社。1984年に鉄道事業から撤退した後は、タクシーならびに貸切バス事業者として営業を続けている。本社は兵庫県加古川市別府町緑町8。
鉄道事業は貨物輸送が主体だったが、旅客営業も行っていた。輸送量の減少により、1984年2月1日国鉄ダイヤ改正(操車場の廃止と貨物列車大整理)を機会に、貨物輸送の維持ができなくなり、全線が廃止された。
[編集] 歴史
創業時の社名は別府軽便鉄道。別府港にある、創業者の多木久米次郎が経営する化学肥料製造会社の多木製肥所(現在の多木化学)の肥料製品を積み出すための鉄道として、1921年に野口線が開業、1923年に土山線が開業した。
戦時中は野口線が不要不急線として休止され、資材も供出させられたが、土山線は肥料輸送の重要性が認められ存続した(野口線は1947年運行再開)。なお、1946年に別府鉄道に社名変更している。また、1944年に別府港で操業を開始した製鉄化学工業(現・住友精化)の製品輸送を担うようになり、その後1966年には土山線沿線に川崎重工業の車両工場が新設され、そこで新製された貨車の搬出にも利用された。
両路線とも、地域の足として親しまれてきたが、地元還元が主目的でおまけ的存在であった旅客輸送は近代化がされず、クラシックな気動車や果ては混合列車がのんびりと運転されるだけであった(特に土山線は乗客が1日数名という日も珍しくなかった)。別府に乗り入れる山陽電気鉄道とは列車本数やスピードで勝負にならず、末期には乗客はほとんどいなかった。1980年代に入り国鉄貨物営業の縮小の影響を受け、1984年2月1日に鉄道全線が廃止された。最終営業日となった1984年1月31日は当地としては珍しい大雪の日となり、沿線の道路が大混乱している中でお別れ列車などを含めスムーズに列車を運行し最後の最後まで鉄道としての特性を全うした。
しかし廃止までの経緯から鉄道代替バスを運転しても採算が取れないことからバス代替は行われなかった。現在廃線跡は主に遊歩道に転用されている。
- 1915年(大正4年) - 別府軽便鉄道株式会社として設立。
- 1921年(大正10年)9月3日 - 野口線 野口駅~港口駅(のちの別府港駅)間が開業。
- 1923年(大正12年)3月18日 - 土山線 別府港駅~新土山駅(のちの土山駅)間が開業。
- 1946年(昭和21年)4月2日 - 別府鉄道株式会社に社名変更。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 野口線・土山線廃止、鉄道事業から撤退。
[編集] 路線
加古川市東南端の別府港駅から二股に延びる、高砂線(1984年12月1日廃止)野口駅までの野口線と、山陽本線土山駅までの土山線の2路線を有していた。
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