十五銀行
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十五銀行(じゅうごぎんこう)はかつて日本に存在した銀行。1944年帝国銀行に吸収合併された。本店は東京都中央区木挽町(現在の銀座八丁目)蓬莱橋畔の、現在銀座第一ホテルの所在地にあった。
[編集] 沿革
- 1877年(明治10)5月21日 - 第十五国立銀行開業。
岩倉具視の呼びかけにより、徳川慶勝・山内豊範・黒田長知・池田章政・藤堂高潔・松平茂昭・南部利恭・吉川経健ら華族が発起人となり、秩禄処分で得た金禄公債を原資に設立。頭取に毛利元徳が就任。有力華族の出資により成立した銀行なので、世上「華族銀行」と呼ばれた。また、宮内省(現在の宮内庁)本金庫(御用銀行)でもあり、いずれにしても世間の信用は高かった。日本経済振興のため、同行並びに出資者である多くの華族は鉄道事業に着目。日本鉄道株式会社が同行をバックに設立され、開業した。 - 1897年(明治30)5月21日 - 国立銀行としての営業期間満了に伴い、普通銀行に転換。株式会社十五銀行に改組。
- 1920年(大正9)8月2日 - 浪速銀行、神戸川崎銀行および丁酉銀行を合併。
- 1927年(昭和2)4月21日 - 昭和金融恐慌により、取り付け騒ぎが発生して休業。経営破綻し、事実上倒産する。武家華族は旧家臣たちの情報網を使って倒産前に財産を他へ移したが、公家華族は倒産するまで何も知らず、大損害を受けた。代表者であった松方巌公爵は責任を取り私財の大半を放出の上、爵位を返上。
- 1942年(昭和17) - 金融統制団体令施行に際して、全国地方銀行協会を脱退し普通銀行統制会に加入。都市銀行となる。
- 1944年(昭和19)8月1日 - 帝国銀行に吸収合併。
[編集] その他
行章は桜花。「桜の銀行」といえば十五銀行の事を意味した。この桜は帝国銀行の「八重桜」に引き継がれ、後身の三井銀行が1975年まで使用した。1990年、この三井銀行が太陽神戸銀行と合併し太陽神戸三井銀行となった際、意匠は異なるものの行章に再び桜花が採用され、1992年行名もさくら銀行と改称。2001年の三井住友銀行成立まで使用された。
不動産賃貸並びに那須地区のレジャー施設運営と乳業を営む複合企業、ホウライは元々十五銀行の子会社である蓬莱殖産の後身である。