商標の普通名称化
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商標の普通名称化(しょうひょうのふつうめいしょうか)とは、商標としての機能、すなわち特定の企業その他の団体が提供する商品または役務(サービス)を識別する標識としての機能(自他商品役務識別機能、出所表示機能)を有していた名称が、徐々にその機能を消失させ、需要者(取引者、最終消費者)の間でその商品や役務を表す一般的名称として意識されるに至る現象をいう。
普通名称化した商標として、たとえば「エスカレーター」が有名である。「エスカレーター」はもともと米国オーチス・エレベータ・カンパニー社が製造販売する階段式昇降機を表示する商標として需要者に認識されていた。しかし、現在は階段式昇降機の一般名称として使用され、階段式昇降機に「エスカレータ」の名称を付して販売しても、それがオーチス社の商品であると意識されることはない。
商標が普通名称化すると、商標としての機能は失われ、商品や役務に用いても、顧客吸引力をまったく発揮しなくなる。また、その商標が登録されていても、商標権の行使が不能となり、第三者による無断利用を排除することができない。その結果、これまでの営業努力によって築きあげられたブランド価値が消失し、その商標を保有していた企業などにとっては大きな損失となる。そのため、周知あるいは著名な商標を保有する企業などは、徹底した「ブランド管理」によって、商標の普通名称化を阻止しようとするのが一般的である。
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[編集] 普通名称とは
普通名称とは「取引界においてその名称が特定の業務を営む者から流出した商品又は特定の業務を営む者から提供された役務を指称するのではなく、その商品または役務の一般的名称であると意識されるに至っているもの」[1]をいう。普通名称としては、たとえば、以下のようなものがある。これらの名称は、商標として使用されても、需要者はその商品や役務の出所を認識することができないから、商標としての機能を発揮しないのである。
- 商品「時計」について「時計」
- 商品「りんご」について「Apple」
- 役務「飲食物の提供」について「レストラン」
- 役務「宿泊施設の提供」について「ホテル」
普通名称であるか否かは、商品や役務との関係で決まる。したがって、列挙した名称が常に普通名称となることはない。たとえば、「Apple」は商品「りんご」との関係では普通名称であるが、商品「電子計算機」との関係では、パーソナルコンピュータ製造メーカーとして著名な米国アップルコンピュータ社が製造販売するパソコンを表示する商標としての機能を発揮していることから、普通名称ではない。
[編集] 商標の普通名称化
普通名称は、前節に列挙したもののような、大昔から一般的名称として用いられてきたものに限られない。当初は、特定の業務を営む者による商品または役務を指称する商標としての機能を発揮していたが、その後長い年月をへて普通名称となることがある。この現象が商標の普通名称化である。
普通名称化した商標として有名なものに、たとえば「エスカレータ」、「正露丸」、「メカトロニクス」がある。
- 階段式昇降機を表す「エスカレーター」は、当初は米国オーチス・エレベータ・カンパニー社が製造販売する階段式昇降機を表示する商標として取引界において認識されていた。しかし、2006年現在は階段式昇降機を表す一般的名称として認識され、他社が製造販売する階段式昇降機にも「エスカレーター」の名称が使用されている。
- 日局クレオソートを主成分とした整腸剤を表す「正露丸」は、1954年(昭和29年)10月に一旦は商標登録された。しかし、その後無効審判の請求を受けて、当該商標が既に普通名称化したことを理由として商標登録を無効とする審決が出された。商標権者はそれを不服として審決取消訴訟を提起するが、最高裁判所において審決が維持された(最高裁判所判決昭和49年(1974年)3月5日)。「正露丸」なる名称は、既にクレオソートを主成分とした整腸剤を表す普通名称となっていたことが認定されたのである。
- 機械工学と電子工学が融合した学問・技術分野を示す「メカトロニクス」は、1969年に安川電機の技術者・森徹郎によって発表された概念で、1972年に同社の登録商標として登録されたが、現在ではこのような学問分野を示す一般的名称となっている。
[編集] 普通名称化の原因
普通名称化は、その商標が使用されている商品やサービスの内容、その商標の使われ方、その商標そのものを原因として生じるものと考えられる。
- 従来には存在しなかった革新的な商品、サービス概念が生み出されたとき(商品やサービスの内容に原因がある場合)
- 従来には存在しなかった革新的な商品やサービスが生み出された直後は、その商品やサービスを一般的に表す名称が存在しないため、同業者によって後発的な類似商品や類似サービスが提供された際には、当該後発商品やサービスについても先行者の商標が使用されやすい。
- 商標権者がブランド管理を怠った場合(商標の使われ方に原因がある場合)
- 商標が周知・著名となってくると、その周知性・著名性にただ乗り(フリーライド)しようとする同業者がしばしば現れる。商標が同業者に無断使用されながら、無断使用者に対して適切な禁止措置をしなかった場合、多数の同業者が広範囲に使用するようになって、自他商品役務識別力を失い、普通名称化することがある。
- 商品や役務の内容を連想しやすい商標(いわゆる「ウィークマーク」(weak mark))が付された場合(商標そのものに原因がある場合)
- 既存の語やその略称を組み合わせることにより構成されたことによって、商品や役務の内容が想起されやすい商標は、普通名称化しやすい傾向がある。たとえば、以下のような商標は、しばしば普通名称であるとの誤解を受けやすい。
- 「ポリバケツ」(積水化学工業の登録商標) - 「ポリ」からはポリエチレンなどの合成樹脂が観念されやすく、「バケツ」は容器やバケツを表す普通名称である。したがって、「ポリバケツ」なる名称からは、合成樹脂バケツという、商品の内容そのものが観念されやすい。
- 「デジカメ」(三洋電機の登録商標)- 「デジ」は「デジタル」の略称であり、「カメ」は「カメラ」の略称である。したがって、「デジカメ」なる名称からは、デジタル処理による写真機という、商品の内容そのものが観念されやすい。
- 「着メロ」(YOZAN・双葉社の登録商標)、「着うた」(ソニー・ミュージックエンタテインメントの登録商標)- 「着」は「着信」を略したものであり、「メロ」は「メロディ」の略、「うた」はそのものずばり「歌」である。
- なお、これらの商標はウィークマークの例として列挙したものであり、普通名称の例として列挙したものではない。これらの商標は登録商標であり、それぞれの商標権者によって管理されているものである。無断使用すると法的責任を追及されることがあるので注意されたい。
[編集] 商標の普通名称化の法的効果
普通名称化した商標の、法律上の扱いについて説明する。
[編集] 国際条約
工業所有権の保護に関するパリ条約6条(1)は「商標の登録出願及び登録の条件は、各同盟国において国内法令で定める」と規定していて、普通名称の取り扱いについて言及していない。
知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPs協定)17条は、「加盟国は、商標権者及び第三者の正当な利益を考慮することを条件として、商標により与えられる権利につき、記述上の用語の公正な使用等限定的な例外を定めることができる」と規定しており、普通名称には商標権の効力が及ばないとする規定を国内法令において定めることを容認しているものと解される。
[編集] 日本国
[編集] 未登録商標
未登録商標が普通名称化すると、当該名称については商標登録を受けることができない(商標法3条1項1号)。特許庁審査官の過誤によって普通名称が商標登録されたとしても、第三者による登録異議の申し立てによって登録が取り消され(商標法43条の2第1項1号)、あるいは無効審判の請求によって登録が無効にされることがある(商標法46条1項2号)。
未登録商標は商標法による保護を受けることはできないが、未登録商標が周知または著名である場合は、不正競争防止法による保護を受けることができ、第三者による無断使用を排除することができる(不正競争防止法2条1項1号、2号、3条)。しかし、普通名称化した商標はもはや同法2条1項1号や2号の「商品等表示」の要件を満たさないから[2]、不正競争防止法による保護も受けられない。
[編集] 登録商標
上述のとおり、普通名称が誤って商標登録された場合は、登録後の登録異議の申し立てや無効審判によって、登録が取り消され、あるいは無効にされることがある。しかし、商標登録査定時または審決時(商標登録してもよいという判断が審査官または審判官によって下された時)には普通名称ではなかったが、その後に登録商標が普通名称化した場合には、登録異議申し立てや無効審判の請求によって登録が取り消され、あるいは無効にされることはない。しかし、普通名称には商標権の効力が及ばないから(商標法26条1項2号、3号)、商標権の行使(商標の使用差止請求、損害賠償請求など)が不能となり、第三者による登録商標の無断使用を排除することができない。
立法論として、商標登録後の登録商標の普通名称化を、商標法46条1項5号に列挙されたような後発的無効理由とすべきとする意見もある[3]。