堀江忠男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
堀江 忠男(ほりえ ただお、1913年-2003年3月29日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者、経済学者、早稲田大学名誉教授。
[編集] 経歴
浜松一中時代にサッカーを始め、早稲田高等学院を経て早稲田大学に進学。在学中には同大学ア式蹴球部でサッカー選手としてプレイ。ポジションはフルバック(現在のディフェンダー)。日本代表として1934年極東選手権、1936年ベルリンオリンピックに出場。
ベルリンオリンピックでは「ベルリンの奇跡」と呼ばれる大番狂わせを演じたスウェーデン戦にも出場。右腕を骨折したため、次のイタリア戦には出場できなかった。
帰国後は、在学中から内定の決まっていた朝日新聞社に入社して、朝日新聞記者を15年務めた。1951年からは早稲田大学政治経済学部の教授として教壇に立つ傍ら、ア式蹴球部の監督も努め、釜本邦茂、森孝慈らを擁した1966年度には天皇杯で優勝している。時代はすでに企業チームへと移行しており、大学チームとしては最後の天皇杯優勝チームになっている。
経済学者としてはマルクス経済学に関する論文、著作を多く残した。
[編集] 選手経歴
[編集] 指導経歴
- 早稲田大学:監督
カテゴリ: 日本のサッカー選手 | オリンピックサッカー日本代表選手 | 日本のサッカー指導者 | 日本の経済学者 | 1913年生 | 2003年没 | サッカー選手に関するスタブ項目 | 経済関連のスタブ項目