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ノート:夜のヒットスタジオ - Wikipedia

ノート:夜のヒットスタジオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

目次

[編集] 出演者リスト削除について

Wikipedia:ウィキペディアは何でないかには、「ウィキペディアはナレッジ・ベースではありません。すなわち、単なる情報やデータの収集をする場所ではありません。」とあります。さらにその下には「(ウィキペディアは)データベースではありません。」とも書かれています。要するに、単なるデータの集積はウィキペディアの記事にはふさわしくありませんし、その存在が記事の冗長性を増しています。

これらを踏まえ、ただ出演者と登場日を羅列しただけのリストは当記事には必要ないと考え、今回削除しました。あえて言うなら、これらのリストはウィキペディアではなく個人のホームページに記載するのが適切だと思います。RiceCracker 2005年10月22日 (土) 07:35 (UTC)

では、ミュージックステーションでも同様の措置が採られるべきではないでしょうか?あそこのページの場合、タレント名だけがただ、箇条書きになっているだけで、この夜のヒットスタジオのページ以上に出演者などの部分を削除すべき必要があると考えますが・・。
あと、いわゆる音楽番組の類の場合、初出演はいつの放送の時か、そして、その時に何を披露したのか、というのは大きな意義を有すると考えられます。ザ・ベストテンのようなランキング番組であればまだ初出演した回も判別がつきやすいわけですが、この番組に関しては正統派の音楽番組であった関係上、初出演の回が分からない場合がかなり多いのは事実です。また、22年に及ぶ歴史の長さを閲覧者に実感していただく、という意味でも初出演についてのリストは不可欠と考えます。
また、「幅広いジャンルを網羅」、そして海外アーティストも多く登場させた、というところにもこの番組の特色があり、それも具体的に誰がいつ出たのか、というところがわかって初めて実感を持つことができると思われます。もし、これらの主張をご理解いただけるようであれば、また、このリストを復刻させていただきたいと思うのですが・・・。
ミュージックステーションについては、先ほど出演者リストを削除してきました。そっちの記事は見てませんでした。ご指摘ありがとうございます。
さてこっちの方ですが、Wikipediaの方針を抜きにしても、ここまで多量のリストを掲載する必要性があるか疑問です。出演者リストを削除する直前の状態で記事のサイズが115KBと、長いページのベスト30に入るほどの長い記事になっており、記事の見通しが損なわれている状態でした。(現状でも82KBあります) 番組を象徴する出演者は本文中にも多数記述されていますし、あれ程多量の記述は必要なんでしょうか? 220.27.36.191氏の意見を全く否定するわけではありませんが、先述したとおり「Wikipediaに置くには適さない」という自分の意見は変わりません。
余談にはなりますが、ノートに記述されるときは署名をお願いします。~~~~(チルダ4つ)で署名が出来ます。 RiceCracker 2005年10月23日 (日) 08:21 (UTC)

・放送回数に関してですが、一般に1978年5月29日放送が「500回記念」とされている(当日の新聞掲載でも「五百回記念」と書いてある)のですが、全放送日を確認して回数を対照させたところ、この回は実際は「第499回」目の放送で、翌週が本当の500回であるところを月末という点を考慮して1回前倒しして行った、というのが真実のようです。また、1986年12月31日の「夜のヒットスタジオDX特別企画・世界紅白歌合戦」も「夜のヒットスタジオ」の放送回数に含まれるようで、この回を入れると、1988年2月10日が第1000回、1990年10月3日が最終回である1133回となります。このことを考慮して各司会者陣の項目に(放送初回~最終司会回)を、また、節目となる回の項目を新設致しました。220.27.36.191 2005年12月13日 (火) 15:16 (UTC)

略年表等について・・・ 略年表等の項目については、①中継・ハプニング、②名物企画であった「ジョイント」などの企画もの、③番組司会者の交替、④特に著名なタレント(この番組において多数出演したなど)の初登場の4点を中心に書いてあります。これらの項目全てにつき、まったく同番組との関連性を否定することはできないものと考えますので、再度編集で追加させて頂きます。220.27.36.191 2005年12月14日 (水) 16:19 (UTC)

[編集] 井戸端より

先日shotaという「見習い」の方に「番組とは関係の無い出演情報は削除」という理由で「年表」の項目が削除されていました。 ただ、音楽番組であり、しかもザ・ベストテンのようなランキング形式ではない以上、いつ初出演したのかというのも、特にこの番組では幅広いジャンルの出演者というのが一つの持ち味でもありましたので、この番組を説明する上で相当に重要なファクターとなるはずですし、また、それ以上にこの番組を語る上で欠かすことの出来ない「ジョイント」「サヨナラ」企画などの部分まで削除してしまうのはちょっと適正を欠くように想われます。なので、先ほどページを再度以前の略年表の部分を戻す形で再編集させていただきました(ただし、以前あった「初出演のデータ」のように膨大な量の出演者につき逐一全ての初出演の回を紹介しているわけではなく、特に著名な歌手やタレントについてのみかなり数を限定していますので、負荷の点ではあまり問題はないはずなのですが・・・ただ、如何せん「どの位の容量がこのウィキぺディアのサイトでは「負荷が大きい」とされているのかは素人ゆえわからないのですが・・・)。尚、「歴代司会者に関する考察」については、それより上のページにある記述でも同様の趣旨の記述があることや、個人的意見(様々な書籍により記述した部分もかなりありますが・・・・)の範疇を越えていないという批判も一理ございますので、再編集しない方針を採りました。220.27.36.191 2005年12月14日 (水) 16:37 (UTC)

[編集] 歴代司会者と番組の栄枯盛衰の関係(歴代司会者に関する考察)

本文各章でも示されるように「夜のヒットスタジオ」はとりわけ司会者の性格が大きく番組の雰囲気にも反映される、その意味では司会者の存在がかなり重要な番組であったということもできる。とりわけ「夜ヒット」の黄金時代は初代の前田武彦・芳村真理コンビの時代と、3代目の芳村・井上順コンビの時代と断言するフリークはかなり多い。

初代の司会は前田武彦芳村真理。この2人が指名されたのは上述のラジオでの共演がきっかけであるが、初代プロデューサーの伊藤昭氏が同番組の司会を依頼するに当たり、「ジャズの番組をやるから、司会をしてほしい」とマエタケ・芳村両人に依頼し、ジャズ音楽の大ファンはジャズ番組の司会ならということでこの仕事を快諾したそうだが、第1回目の台本を開いたら内容は完全な歌謡番組で、あまり歌謡曲には造詣が深くなく、むしろ「喰わず嫌い」なところがあったという両氏は不安の底に落とされたという、意外な話も残されている。しかし、この「歌謡曲にああまり造詣が深くなかった」という部分が夜ヒットのコンセプトである「歌手の自然体を巧く引き出し伝える」という部分を実現させる上では重要であったことは容易に推知できる。

初期は当然にマエタケがメイン司会で、芳村はいわゆるアシスタント役であったが、マエタケの「毒舌」に芳村がすぐに応戦するという丁々発止の司会ぶりは話題となった。「毒舌」はマエタケの一種のMCスタイルなのだが、彼の発する毒舌というのは理論的でインテリジェンスな毒舌であり、また、歌手への心配りという面を配慮してのものであり、名物であった「仇名つけ」という行為はその心配りの姿勢が最も表に出た行動であったといえる。そこに当時の出演歌手の多く(いしだあゆみ中尾ミエ梓みちよなど)からすれば「ちょっと年上のお姉さん」的存在(当時、芳村は30代前半、梓みちよなど当時の常連出演者は平均20代だった)芳村のフレンドリーさ(歌手に衣装や私服をプレゼントしたりするという行為は初期のこの頃からあったという)が加わり、番組全体が「家族だんらん」の様相を呈し、それまで「虚像だけで成り立っていた」(前田武彦談)歌謡番組の世界を大きく変化させ、歌手を一人の人間として捉え、その上でその人の歌を味わってもらうという新たな歌番組の方向性を築くことになった。その中で、最初はその斬新さ故に抵抗感の強かった視聴者からの信頼感も回を負うことに高まり、またその「自然体で飾らずに出られる」という番組の雰囲気から出演するタレント側からも信頼を集めるようになった(当時のヒットスタジオを見ていた人々は、歴代4人の男性司会者の中での芳村にとり最適のパートナーはやはりマエタケであったという人も多い。また、当時多く出演していた水前寺清子も最終回で「あの頃(マエタケ・芳村さん時代)の夜ヒットが一番よかったね」と回想していたという)。その家族団らんの雰囲気は表向きだけではなかったようで、いわゆる「泣きの夜ヒット」といわれる発端となった小川知子らの号泣した際は、「泣きながら、"さあ焼肉食べに行こう"と言って泣きながら焼肉を一緒に食べて、それで家に帰った」と後に芳村は回想していることからも分かるように、本番が終わっても尚、両司会者と歌手たちの交友は深いものがあった(これは少なくとも芳村勇退時まで続いていたようである)。

このように後々に継承される夜ヒットの番組カラーであった「アットホームさ」を前面に押し出す司会術で、番組の基礎を築いた最大の功労者であるマエタケであったが、73年6月、古くから彼が信奉する日本共産党の或る選挙候補者への応援演説の際に「選挙に当選したら、生放送内で「バンザイ」をするから」という約束を交わし、その候補者が当選したために約束通り「バンザイ」をするそぶりをエンディング時に行ったところ、当時の共産党へ抱いていた大多数の視聴者のイメージが芳しいものではなかったことや好調であった同番組に対する守旧派を中心とする音楽・マスコミ関係者からの風評も相乗し猛批判にさらされ(「共産党バンザイ事件」)、同年9月、事実上の解任という形でマエタケは5年で同番組を降板する、という不運の解任劇が起きる。同時に、「番組のカラーをそろそろ変えたいので」という名目で芳村も一旦は番組を去ることとなり、1973年秋よりゲスト歌手が交代で司会を行うという実験的な取り組みを行った。しかし、いつまでも決まった司会者が置かれないままで、番組の安定さという面から疑義が生じてしまい、半年後には最終的に芳村を復帰させる形で新たに仕切り直しを図ることとなった。そして、マエタケの後任として、マエタケ降板直前の夏季休暇時にピンチヒッターを務めたことが評価されて三波伸介、そして歌手としても幾たびも出演経験のあり、芳村と同じ1935年生まれで彼女と古くから親交もあり、かつ衣装やイメージ的な面で芳村が「洋」、朝丘が「和」の雰囲気が強く、対比色を打ち出したかったという理由から朝丘雪路が抜擢され、芳村・朝丘・三波のトリオ体制で再出発を図ることになる。このころは芳村と朝丘が中心的なMC役で、三波はちょこちょことその2人に割って入るという役割で進行にあまり関わっていなかった。ところが、朝丘がスケジュールの都合でわずか3ヶ月でレギュラー出演を降板し。以降は三波も本格的に番組進行に関わることとなった。しかし、彼の持ち味はやはり「笑点」等のお笑い番組で巧く発揮されるのか、この番組では十分に自分の個性が出せなかったようで(同番組の構成作家・塚田茂は著書で「彼にはコメディリリーフとして芳村真理をアシストしてほしいをお願いしたが、どうしても「二枚目」になってしまった」という旨を述べている)、視聴率的には落ち込むことはなかったようだが、いわば「本職」ともいうべき「歌謡ドラマ」での活躍ぶりは別にして、彼の進行役という意味での司会ぶりは、夜ヒットの歴史の中では初代・マエタケ、3代目・井上順の間にあって埋没してしまい、印象が薄いという意見が多い。また、お笑い番組的な要素が多く盛り込まれたことに対して「歌番組なのに歌が聞こえてこない」との批判も音楽関係筋からの主張もあり、このこともその夜ヒットの「笑い」の要でもあった三波の早期降板に繋がる要因ともなった。そして、1976年、夜ヒット製作スタッフが中心となり彼をメインキャストとして立ち上げた新番組「スターどっきり(秘)報告」へとコンバートするという形で2年で番組を降りた。

三波降板と同時にかねてよりあった「歌が聞こえてこない歌番組」との批判に対応する形で、番組は音楽中心の番組へと路線変更を図ることとなり、その路線に沿う形で3代目の男性司会者として迎えられたのが、歌手としても活動し、また既に「火曜歌謡ビッグマッチ」(TBS)、「ベスト30歌謡曲」(NET<現・テレビ朝日>)など他局の歌番組では短命ではあるが司会経験があり、かつ当時同じく月曜日に生放送されていたライバル的存在である「紅白歌のベストテン」(日本テレビ)の司会者・堺正章とは長年の盟友でありまた好敵手でもあった井上順であった。彼の抜擢は楽曲中心路線へと変容の時期に入った夜ヒットにとりまさに「賢明な選択」であったといえる。彼の時代の場合、「女性上位・男性下位」という役割分担(芳村・井上は干支一回り年齢が離れている)は当初からはっきりしており、それは「ボケ」「ツッコミ」がはっきりした司会ぶりに現れていた。既に芳村はこの番組を8年司会しており、いわば同番組の「顔」であり、そこに井上がくだらない駄洒落をいいながら両者が歌手に心配りをする、という形は「グダグダ感」があるとの批判もあったにはあったが、新人、或いは吉田拓郎井上陽水中島みゆきを始めとしてライブ中心で活躍しておりテレビ出演の経験の浅い歌手に最大限の配慮を示すという形は、それら歌手の緊張感や本来ならあるはずのギクシャクした雰囲気を大きく中和させる役割を果たし、アットホームさという夜ヒット開始当初からの最大の特徴を崩すことなく、というよりもむしろより全面に押し出し、主だったコーナーを廃した同番組の中にあってこれを最大の売りとした、ということができる。また、それと同時に極度の緊張状態に陥ることが多かったこの番組にあって、それと解きほぐそうとする芳村、井上に対して、歌手の多くは相当な信頼感を寄せていた(特に芳村についてはこの時代になると、その存在自体が歌手を安心させるという精神的な支柱となっていたようである。時に芳村の当時の司会ぶりは視聴者の中には「ウザイ」とおもわれる節もあったようだが、後年彼女が降板した後に番組の歯車が狂いだしたことからも、彼女の存在は今考えれば重要であった。歌手の中でも工藤静香は「初出演のときに大丈夫よと声をかけられて緊張がほぐれた」、石野真子も「一人の女性として真理さんは付き合ってくれた」等々、後年感謝の念を芳村に示している。また、相手役である井上も、分け隔てなく全ての出演者を受け入れようとする彼女の寛容性の広さがこの番組が巧くいっている要因である、と芳村の司会術を評価していることからも推察されるように、ロック系アーティストからアイドル、演歌、海外の歌手にいたるまで、悪くいえば「ごった煮」状態で、普通ならば出演者間でもギクシャクした雰囲気が生じ兼ねないものが、逆に何の違和感もなく、番組の雰囲気が安定したものとなっていたのも、芳村の存在が重要なファクターとして機能していたことによるところが大きいと評することができよう)。そのことはこのコンビでの司会期間が夜ヒット22年の中で9年半という長きに渡ったことや同様に月曜日に放送されていた日本テレビ系「紅白歌のベストテン」が「ザ・トップテン」となりスケジュールの調整が困難になった際に夜ヒット出演を優先させる歌手が多かったということにも表れている。後年、井上は「芳村家と井上家で毎週月曜にホームパーティーを開くような感じで」、芳村は「毎週スタジオにいる人、そして視聴者の人と一緒にお祭りをしているような感じで」司会をしていたとそれぞれ述べており、その言葉からも両者が当時、視聴者、そして出演者への配慮という点をまず最優先にして司会を務めていたことを容易に窺い知ることができる。

1985年、夜ヒットはデラックス版として2時間番組へとリニューアルされ、大きな転機を迎える。リニューアル後も芳村・井上のコンビで司会が為された。しかし、同年秋国際派で英語にも精通した司会者を起用したいとの当時の製作者の方針から井上順から古舘伊知郎に交代した(他方では「遅刻くせ」があったことが問題視された、或いは当時彼が所属していた事務所との間でCM出演の関係でトラブルが起きたことで井上が降板することになったとの話もある)。しかし、この交替劇にはかなりの視聴者は違和感を持ったといわれている。正直なところ進行それ自体は巧くなかったが、駄洒落を言ったり、様々な奇妙なアクションを通じて番組を盛り上げようとした井上に対し、その頃の古舘はアナウンサー出身で、しかもプロレス実況の第一人者として鳴らしていた頃で、どちらかと言えば井上のように万人受けするタイプの司会者ではなかったといえるためである。しかし、権威の象徴であった芳村の独特の雰囲気が新人の司会者だった古舘の司会ぶりを視聴者に徐々に浸透させていったということもでき(現に古舘自身も「真理さんといういわば大仏のような存在上で自分はその上に乗っかっているような存在なので、やりやすいんですよ。」云々といった発言をしている)、番組の権威失墜という事態は生じず、むしろヒットスタジオの歴史全体を通て見れば最もクオリティーの高い「王道の音楽番組」という自負を強く印象付ける番組制作が為されていた。

ところが芳村真理も相当に10年近くに亘り自身のパートナーを務めた井上に対して信頼感を持っていたことは事実で、彼が降板したことの衝撃はかなり大きく、彼の降板が決定した際、自身も同時に後進に道を譲りたいとスタッフに意思を表明していたようで、井上信悟を始めとするスタッフはここで彼女までもが降板すれば、番組の雰囲気が急激に一変し、番組が衰退する可能性が高いことを十分知っていたため、この時に少なくとも第1000回まで続けてほしいという申入れをし、それを受けて彼女は司会を続けることとしたとも言われている(この点、芳村は番組勇退時において自分よりも先に降板した井上順につき、「順さんがこの番組を離れたっていう感じが未だにしない。実の姉弟が離れ離れで所帯を持つようになったというような認識だった」と証言している)。新たに共に司会をすることとなった古舘伊知郎とは初顔合わせで、しかも親子ぐらいの年齢の差があったが、彼の豊富なボキャブラリーとテンポのよい司会ぶりに芳村は感銘を受け、「この人なら安心してこの番組を譲れる」という思いが強くなったという。そのことを裏付けるようにこの時代の芳村の司会ぶりは、最大限古舘に自由裁量を与えようという雰囲気がかなり漂っていた(芳村の1000回降板については、右の理由以外にも、1980年代半ばに入り、出演する歌手の年齢層が徐々に自分の年代と離れていくようになり、歌手との間に溝が出来始めたことも彼女は理由の一つとして述べている。特に光GENJIが1987年7月29日放送に初出演した際、彼女の楽屋に挨拶に来た際に「ちわーす」という軽い挨拶をされた際、歌手とのギャップをより一層痛感させられたという。また、1986年秋に看板プロデューサーであった疋田拓プロデューサーがフジテレビを退社し、新プロデューサーに渡邊光行氏が就き、「男中心の路線で」という方針を打ち出そうとしていた点でも、渡邊氏との軋轢も勇退時には囁かれていた)。

そして、1988年、権威の象徴の芳村が、1000回放送で勇退。「夜ヒット」降板の記者会見時に「この辺りで人生の一区切りをつけて家庭の人としての時間を最優先させたい」と表明し、この会見が事実上の芳村の芸能活動セミリタイヤ宣言となった。そして、1988年1月期はマンスリー制を休止して、彼女のこれまでの同番組でのファッション史を回顧する企画などが設置され、この第1000回目の放送では「芳村真理サヨナラ特番」と銘打たれ、歴代のパートナーのほか、出演歌手が多数出演し、華々しく彼女はこの番組を去った。バブルの時代であったからこそできた企画であると思われるが、これほどの企画と費用を一人の司会者の降板で費やしたケースはテレビ史上でもほぼ皆無に等しい。単なる「繋ぎの番組」から大物海外アーティストやテレビ出演に消極的だったアーティストまでをも出演させてしまう「音楽番組の雄」へと発展した同番組と共に歩み続け、そしてその発展に多大な貢献をしてきた芳村真理への、スタッフやテレビ局側からの最大限の感謝の念の現れ、それがこの勇退前の特別企画編成、そしてこの第1000回記念の特別番組であったといえよう。

他方、芳村の後釜人事については、芳村勇退の時点でも「未定」とされていたことでも察知されるように、相当の難航を極めたようである。視聴者やマスコミ関係者の間でも誰が彼女の後に入ってくるのかというのが、ちょっとした話題となっていた。彼女の雰囲気に類似している楠田枝里子等の名前が出ていたが、当時の渡邊光行プロデューサーは「女性の時代に敢えて男中心の路線で行きたい」と兼ねてから希望しており、そこで司会者としては全く未知数の俳優・柴俊夫が登場する。彼は現在「レディス4」(テレビ東京系)などで堅実な司会ぶりを展開しているが、この頃は司会者としては完全なる新人。現在見せるような番組進行での余裕がなく、一生懸命ながらも殆ど台本どおりの司会に留まった。初司会の際、いきなり最初のタイトルコールを「夜のヒットパレード」と間違ってしまい、それにつられるようにその日の出演者の酒井法子工藤静香加藤登紀子もオープニングメドレを間違えてしまうのがあった。自由に話すように古舘のフリに対応しきれずトチってしまったりする状況を生んだ。ペアとしては、格闘畑出身の話術巧みなフリーアナウンサーと、素質があり一生懸命だが司会業に不慣れの全くの新人、という最悪の組合せとなり、芳村時代にはまずありえなかった古館の空回りが目立つことになる。同時に、格の高さと華やかさが画面全体からにじみ出ていた全盛期の夜ヒットと比較して、男性2人の司会というのは、当然に画面で見ていても地味であり、かなりの落差があった。古舘・柴司会時代の1年7ヶ月の間に松山千春やさだまさしをマンスリーとして1ヶ月間フル出演させ、公開レコーディングなどの実験的取り組みを行ったり、総集編企画の投入、初期の名物コーナー「恋人選び」を復活させたり、2時間丸々マンスリーゲストに別スタジオでのライブを行わせたり、ジョイント企画を増やすなど数多くのテコ入れ策がなされたのもこのような全盛期との落差を最大限抑えるための方策であり、一時的な効果があったようだが、こういった企画ものを行わなくても大雑把に言えば「歌」と「トーク」だけをじっくり楽しませるというコンセプトで一定の人気を保持し続けてきたという「夜ヒット」のこれまでの番組カラーとの矛盾が徐々に露呈してしまい、結局は視聴者離れを加速させる結果をもたらした。同時に、このような企画が組まれることにより、2時間もの間放送することの意味が希薄にもなり(実は芳村の勇退後、歌手の調達が困難になり始めており、1回の放送で2,3曲披露するアーティストが数組もいるという状態になっていた)、デラックス版は4年半で終了。同時に柴俊夫は製作側から見て「期待を裏切る」形での降板となってしまった。これは古館・柴の不運であり、同時に渡邊氏始めとするスタッフの番組制作上の完全なるミスであろう。

さらに、1時間に戻された通常タイプの夜ヒットで古舘の相手役となったのが、「毒舌女王」の異名を取る加賀まりこであった。多くのスタッフも当初から彼女の登場にかなりの危惧感を持っていたようだが、当時の渡辺氏の意思が尊重された格好で彼女が司会となった。しかし、その危惧感はすぐに表面化する。本文に示されるように加賀の幾度もの暴言・失態はアットホームさを売り物としていた黄金期のヒットスタジオとは大きくかけ離れた、ギクシャク感の漂う番組へと同番組の雰囲気を一変させ、視聴者、ひいては出演者離れを決定的なものとしてしまった。また、当時のスタッフは一応は大物として扱われている彼女に配慮して、トーク時間をある程度設けるなどの方策を講じていたようであり、前任の柴俊夫に続いて時間尺の読めない司会者を抜擢したが故に、時間尺を優先して目に掛け、終始コンパクトな形で進行・曲の紹介を行っていた芳村真理司会時代にあった、番組独特のスピード感もこの時代には完全に消え去ってしまった。

このように、場の雰囲気を浄化し、一つに巧くまとめるという役割を果たすべき「司会者」としては不適格な存在であった加賀の登板が最後までマイナスに影響し続け、夜ヒットは格調高い番組の雰囲気、視聴者の支持を残して終了するという意味での「有終の美」を飾ることができない状態で1990年秋、22年の歴史に幕を閉じることとなってしまった(このような背景から、「加賀まりこと彼女を抜擢した渡邊ロデューサーは番組を終了に追い込んだ最大の害悪」として、未だに一部の夜ヒットフリークからは非難の対象となっている)。

この番組と同様の形式で現在も放送されている番組に「ミュージックステーション (テレビ番組)」(テレビ朝日)あるが、大きな違いは司会者の雰囲気と番組の雰囲気がいい形でリンクしているかいなかの違い、と考えることができる。かつて夜ヒット終了後に放送された同番組の特番の際、司会を務めた3代目男性司会者の井上順は「この番組における(芳村)真理さんの存在感は絶対的であった。」と述べていることからも分かるように、番組の基礎を築いた前田武彦の不遇の降板劇以後、「夜ヒット」の看板を背負った芳村真理の存在感や雰囲気は同番組の発展には不可欠なものであったと同時に、それに巧く調和した井上の存在が加味され、まさに夜ヒット独自の「俗っぽさのある格調の高さ」を生み出す土台が築かれたということができ、これは他の司会者ではまず代替不可能であったといえる。今考えてみれば、井上、芳村両氏の勇退時(少なくとも柴が降板したデラックス終了時)を以て夜ヒットを終了させたほうが良い形で同番組が終了を迎えることが出来たのではないか、とする意見も多い。

[編集] 分割提案

  • 容量が100キロを超えているようですので、ページを各番組(初代夜ヒット、DELUXE、SUPER、R&N、INT'L、演歌、スペシャル)に分割したほうが良いと思うのですが、いかがでしょうか。--Itasan 2006年9月4日 (月) 09:46 (UTC)
    最初の三つは(初代夜ヒット、DELUXE、SUPER)分割しても問題ないと思いますが、のこり(R&N、INT'L、演歌、スペシャル)は分割するには記述がすくなすぎるんじゃないでしょうか?--Magu 2006年9月24日 (日) 07:39 (UTC)
  • 先ほど分割提案へ提出してきました。派生番組について(R&N以降)は確かに少ないと思いますが、その場合はヒットスタジオコンプレックスのページへの分割を考えてもよいかと思います。--Itasan 2007年2月22日 (木) 02:06 (UTC)

[編集] 山形テレビのネット中断について

本文で「山形テレビでは1985.4~10中断となっておりますが、」当時の山形新聞縮刷版ではまったく中断しておりませんでした。削除しておきます。

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