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ザ・ベストテン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ザ・ベストテン
ジャンル 音楽番組
放送時間 木曜21:00~21:54
スタッフを参照
出演 黒柳徹子
久米宏
小西博之
松下賢次
渡辺正行
放送国 日本
放送局 TBS
放送期間 1978年1月19日1989年9月28日

ザ・ベストテンは、1978年1月19日から1989年9月28日までTBSで毎週木曜日の21:00~21:54に放送されていた音楽番組である。

1976年1977年にかけて放送された『トップスターショー・歌ある限り』の後番組としてスタート。最高視聴率41.7%を記録し、TBSの看板番組の1つになった。放送期間は主にアイドル全盛の1980年代で、当時の人気アイドル歌手が多く出演(「ザ・ベストテン登場歌手一覧」参照)。また、多くの歌手がこの番組で自分の曲を歌うことは目標の1つでもあった。

目次

[編集] 概要

[編集] 内容

  • 毎週生放送邦楽の独自のランキングを10位~1位まで順番に発表し、ランキングされた曲を歌手が披露する。

[編集] ランキングの決定方法

  • ランキングは、レコード売り上げ(オリコン、ミュージック・ラボ、ミュージック・リサーチの3社のランキングを使用。)・有線放送リクエスト(キャンシステム、大阪有線、現在のUSENのリクエストデータを使用)、ラジオ放送のリクエストチャート・番組に寄せられたハガキのリクエスト(番組冒頭で発表)を合わせたポイント制で決定された。
  • 番組開始時の配点は「レコード2:有線1:ラジオリクエスト3:ハガキリクエスト4」とハガキのポイントが高く、レコードや有線で20位以内に入らない曲がベストテンに入ることもあった。だが1979年2月に「レコード3:有線1:ラジオ3:ハガキ3」に改めると、TBSから番組の中でなく週刊誌などを通じて周知された。これは、同時期に大ヒット中であったアリスの「チャンピオン」がレコード、有線、ラジオすべて1位であったにも関わらず、ベストテンで1位でない週があったことから配点が見直されたものと思われる。このハガキからレコードにポイントを移行した配点の見直しにより、固定ファンによりハガキを多く集めることができる人気歌手のランクインの期間がやや短くなった。このことにより、固定ファンをまだ持たずハガキでは得点できない知名度の高くない歌手が、レコードと有線による曲の作品力だけでもランクインすることが可能になった。
  • 1986年頃からそれまでほとんどなかった「初登場1位」が頻発するようになり、レコード売り上げのポイントがさらに高くなったせいだとも言われた(配点変更の公式の通知は記録にない)。

[編集] ランキングの客観性

  • ランキングは客観的なデータに基づくものとされていたが、実際には番組制作側の恣意的な操作があったと根強く言われている。人気歌手のスケジュールは数ヶ月先まで細かく決定していると言われるのに、なぜ直前のランキング発表で出演・不出演を決定できるのか(番組側と歌手側の談合があるのではないか)、などといった疑問も多く提示されていた。制作側によるランキングの恣意的操作に確証はないが、一方でランキングが本当に客観的であるという確証もない。
  • 本番組でのランキングは歌手の人気度のランク付けにも少なからず影響を与えたため、番組制作側と歌手側(レコード会社や所属事務所を含む)との対立も生まれたとされ、郷ひろみの出演拒否(1982年)の真の原因はそこにあると指摘する向きもある。
  • 番組初の公開記念生放送であった300回記念(長崎からの公開生放送)では、前週まで『禁区』で6週連続1位を記録していた中森明菜が、前週に長崎市でキャンペーンを行ったことなどを理由に欠席し、チャートも2位に後退。通常放送に戻り、本人も出演した翌週には1位に返り咲く、ということがあった。この時は「記念となる公開生放送で1位が欠席では格好が付かないから(『禁区』を)2位にした」などと言われた。事実、この週の1位(杏里『CAT'S EYE』)と2位『禁区』の得点差はわずかに3点で、前後のチャートアクションなどを見ると、この週だけ1位が入れ替わったのは確かに不自然だと見る向きもある。
  • しかしながら、オリコンのランキングがまだ一般的ではなかった1970年代から1980年代前半にかけての同番組でのランキングの力は絶大で、現在まで当時のベストテンのランキングで1位の曲は知っていてもオリコンの1位をとった曲は知らないという人も大勢いる。

[編集] 番組構成、ならびにセット

  • ランキングは、空港鉄道反転フラップ式発車標(通称パタパタ、正式名称はソラリーボードという)をヒントに考案された「ランキングボード」を使って発表された。
  • 歌手が登場する際は、オーケストラの演奏をバックに「ミラーゲート」を通って登場。(10~2位と1位の登場音色が多少異なる)
  • スタジオでの歌の演奏は、基本的にカラオケではなくオーケストラによる生演奏。(末期はカラオケになることが多かった)
  • ランクインしたがスタジオに来られない歌手は、生中継で歌を披露。
  • 生中継で歌を披露するためには歌手や関係者が番組制作側の都合に振り回されることになるので、歌手が出演しているコンサートの進行に影響が出たり、駅などの公共交通機関に混乱が生じたりといった騒動も少なくなかった。テレビでの露出度が命である歌謡曲歌手にはそれを上回るメリットもあるが、コンサートに実際に足を運んでくれるファンを重視するニューミュージック系歌手が出演拒否することにも理由があった。
  • 歌セットはベストテンならではの独特の演出で、まれに意図がよく分からない時があった。長渕剛など、歌手によっては、セットは不要という歌手もいた。
  • 1位の歌手がスタジオに出演した際、くす玉割りや様々なプレゼントをスタッフが工夫して用意したりすることもあった。
  • 11~20位の曲もVTRで紹介され、出演者が少ない時は30位や50位からの発表もあった。
  • ランキング外の1・2曲をピックアップして「今週のスポットライト」というコーナーで紹介した。
  • 番組の最後には、出演者全員で集合写真を撮影し、それをリクエスト葉書が採用された視聴者にプレゼントするのが恒例だった。なお、番組終了時にこれらの集合写真を本にまとめ、国立国会図書館および各都道府県立図書館に寄贈した。ネットした各放送局も所蔵している。

[編集] 年間ベストテン

  • 毎年年末に年間ベストテン(番組が終了した1989年を除く)、1981年からは6月に上半期年間ベストテン(「上半期ベストテン」が意味としては正しいが、番組的にはこのように表現していた)を発表し、1988年には月間ベストテンも放送。ちなみに1978年~1980年までは、年間ランキングでは得点は発表されなかった。また、年間ランキングの回が2時間の「豪華版」となって「年間ベストテン」を発表したのは1982年からである。それ以前は通常放送と同じく1時間枠内でその週のベストテンの後で放送しており、1978年は1位のみ、1979年は3位と1位、1980年は3位・2位・1位、1981年は2位と1位がスタジオで歌われた。
  • 1986年1月には、1985年の歌手別年間ランキングが発表された。テロップと字幕での発表でランキングボードは使われなかった。なお歌手別ランキングが発表されたのはこの年だけだった。

[編集] 歴代司会者

1978年1月19日~1985年4月25日(第1回~第375回)
1985年5月2日~1985年9月26日(第376回~第397回)
1985年10月3日~1986年9月25日(第398回~第448回)
1986年10月2日~1989年1月5日(第449回~第565回)
1989年1月12日~1989年9月28日(第566回~第603回)

※初回放送の前週に「ザ・ベストテン前夜祭」(1978年1月12日)が放送され、それが黒柳・久米コンビの司会スタート。正式の最終回(1989年10月5日)は4代目の黒柳・渡辺・柄沢トリオが主に司会を担当。尚、上記の放送回数はランキング紹介を行ったレギュラー放送回についての通算回数を表記しており、この前夜祭・正規最終回の回数は含まれていない(これらを含むと通算放送回数は605回)。また、初代男性司会者の久米についてはこのベストテンの前身番組に当たる『トップスターショー・歌ある限り』(非ランキング形式の番組、1976.10~1977.12放送)のサブ司会(メインは二谷英明)を担当しており、続投の形でこのベストテンの司会にも抜擢されており、TBS木曜21時枠での通算司会期間は計9年7ヶ月となる。

[編集] 歴史

[編集] 「ザ・ベストテン」前夜祭

初回放送の前週(1978年1月12日)に『ザ・ベストテン前夜祭』が放送された。 1977年の年間ランキングがレコード売り上げと有線放送のデータのみに基づいて発表された。

石川さゆりとさだまさしは欠席。8曲がスタジオで歌われた。

またゲストとして山口百恵桜田淳子殿様キングス八代亜紀などが出演した。「スポットライト」のコーナーもあり日野てる子が「夏の日の思い出」を歌った。歌のセットは作られず、バンド前に全歌手が椅子に座っていた。0回目という事で、番組は会場のTBS「Gスタジオ」にいくつかのテーブル席が設けられたお披露目パーティーのようなものであった。歌手以外にも福田一郎などの音楽評論家も出席していた。視聴率は24%。

[編集] 「ザ・ベストテン」第1回

1978年1月19日に放送開始。ここから週間ランキングを発表。

  • 第1位「UFO」ピンクレディー
  • 第2位「わな」キャンディーズ
  • 第3位「しあわせ芝居」桜田淳子
  • 第4位「わかれうた」中島みゆき・・・欠席
  • 第5位「禁猟区」郷ひろみ
  • 第6位「憎みきれないろくでなし」沢田研二
  • 第7位「ブーツをぬいで朝食を」西城秀樹・・・欠席
  • 第8位「若き旅人」狩人 ・・・欠席
  • 第9位「泣き虫」清水健太郎 ・・・欠席
  • 第10位「風の駅」野口五郎

当時人気絶頂の山口百恵の「赤い絆」が第11位にランキングされ、また4位にランク入りした「わかれうた」の中島みゆきはレコーディングを理由に生出演を拒否するなど、初回から決して順風満帆な内容とはいかなかった。それでも視聴者からは正直なランキングの発表に評判があった。これは、黒柳が司会を担当するに当たり「番組の演出で順位を動かすことはしないで、正直な形で順位を発表してほしい」という条件を取り付けて引き受けたことを守るためだったと言われている。

初回の「今週のスポットライト」はフランク永井松尾和子の『東京ナイトクラブ』(この回はランキングとは無関係に懐メロで登場)。 初回は1~10位は曲名と点数、11~20位は曲名のみの発表だったが、2003年12月31日放送の『ザ・ベストテン2003』でこの週の11~20位の点数、21位~30位の曲名と点数が初めて明らかにされた。

[編集] 1978年~1984年

  • 1978年9月28日はドラマスペシャル「雲を飛び越せ」のため休止。冒頭でベストテンのランキングのみ発表。
  • 1979年4月5日と12日の放送で、西城秀樹の『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』が計算上の週間得点の最高である9999点を獲得。番組史上満点を獲得したのはこの曲のみである。
  • 1979年12月27日の年間ベストテンは、通常のベストテンではベスト3に入らなかった渥美二郎(年間第3位「夢追い酒」)と小林幸子(年間第1位「おもいで酒」)がとにかく息の長いヒットにより年間ベスト3に入りスタジオで熱唱。渥美二郎は通常のベストテンではわずか3週のランクイン、それもすべて10位であったが、8ヶ月間ベスト30に入り年間の高得点につながったことを久米が解説。また直前まで順位を知らされてなかったという小林幸子は、あまりの感激に歌う前に紙吹雪の中で号泣、黒柳や共演者たちも涙ぐんでしまう(ちなみに第2位はサザンオールスターズの「いとしのエリー」。通常のベストテンでも7週連続1位獲得)。
  • 1981年3月26日放送分より、TBSと一部のネット局では、ステレオ放送を開始。また、この回は中継が多い回でもあった。
  • 1981年11月19日『みちのくひとり旅』5週連続6位という珍事に、「1位記録よりも難しいでしょう」と山本譲二も苦笑い。
  • 1983年から、「ザ・ベストテンIN○○」と称して、年に一回(当初は放送300回記念、350回記念とキリのいい回に行っていた)全国各地を回る公開生放送も行っていた。最初の公開生放送は放送300回を記念して長崎市で行われ(「ザ・ベストテンIN長崎」、350回は岡山、400回は静岡、450回は松本、500回は仙台、550回(正確には552回)は鹿児島)、中継を含めると8組の歌手が出演し、そのうち4組が特設ステージで歌を披露した。ちなみにこの週は杏里の『CAT'S EYE』がテレビアニメの主題歌として初めての1位に輝いた週でもある。また500回記念の時には、とんねるずがこの公開放送の回に出たさに、わざとチャート初登場がこの回になるようにシングルの発売日を合わせたというエピソードも残っている(チャートインしなければもう歌わない、と当時オールナイトニッポンなどでリスナーに脅しを入れていたとも)。
  • 1984年10月18日の放送では「秋のザ・ベスト展」と題してランクインした歌手による芸術作品が披露された。

[編集] 1985年~1987年

  • 1985年1月7日、オープニングでバンド紹介・オーケストラ・コーラス・指揮者を紹介。オープニングは、いつも音は事前収録だったがこの日のみ生演奏。
  • 1985年4月18日、司会の久米宏が翌週でザ・ベストテンを降板すると発表。これは半年後の同年10月からテレビ朝日で「ニュースステーション」を担当するための降板だったが、当時このことはトップシークレットだった。本当は3月までだったが4月までスタッフが降板を延長させた。この時点で久米は他のレギュラー番組も全て降りていた。当初は黒柳徹子も辞める気だったが、スタッフに説得され最終回まで司会を続けた。この日のゲストの中森明菜・松田聖子が涙を流していた。
  • 1985年10月3日、2代目男性司会者として小西博之が初登場。9月26日にスタジオに登場してエンディング時に紹介されている。
  • 1986年春頃から当時ブームのおニャン子クラブやそのメンバーは毎回3組ほどランキングされていたが徐々に出演を辞退(拒否)するのが相次ぎ、1986年7月31日から1987年4月2日までおニャン子メンバーは一切出演しなくなった。これはザ・ベストテン側とおニャン子クラブを抱えるフジテレビ側とのランキングに関する見解の相違や、裏番組として立ち上げた「木曜ドラマストリート」の視聴率が伸び悩んだことに加え、視聴者層が被ると判断したことが要因。こういうことが相次いだことから、松下賢次アナが「フジテレビのニュースは大嫌い!」と発言し、週刊誌に書かれるほどの反響を集めた。ただ、フジテレビはおニャン子クラブ系以外の歌手への追っかけ中継の立ち入りは拒んでいなかった。また、同時期にテレビ番組出演を必要としないアーティスト系も常時ランキングされるようになり、出演拒否する歌手が毎回半数近くに登った事態に、久米宏降板でも持ちこたえていたザ・ベストテンはこのころから徐々に視聴率を下げていった。
  • 1986年4月10日には、第1位の少年隊の歌唱終了後、2日前に自殺した岡田有希子に対して黒柳が視聴者に対して涙ながらのコメントを述べる。この日順位入りしてスタジオに同席していた、岡田と懇意だった中森明菜、荻野目洋子南野陽子らも涙を顔に浮かべていた。
  • 1986年9月25日、小西博之が1年を区切りに司会を卒業すると発表。この日は、黒柳徹子はアフリカに行っておりVTRで小西博之にメッセージを伝えた。そして、誕生日が数日後なので、ケーキが用意され菊池桃子からプレゼントをもらった。
  • 1986年10月2日には、3代目男性司会者の松下賢次アナウンサーが登場したが、正式な司会初日にもかかわらず5組も欠席。
  • 1986年12月4日の1位、杉山清貴の『最後のHoly Night』は、ザ・ベストテン史上最低得点での1位(7589点)。
  • 1987年4月2日に「ザ・ベストテン延長戦」を放送。これはランキングを1位から順番に発表し、時間が許すまでランキングを発表していく。また歌手が○×クイズに正解しないと歌えない、という内容。この時西村知美(『シンフォニーの風』、16位)がクイズに連続して間違え(他の出演者は一発正解)、進行が止まってしまったため司会の松下賢次はわざわざ「マルか、バツか?」と言ったのに、西村は「バツ?」と大ボケぶりを発揮した。さすがに溜まりかねた松下は、次の問題で「マルと言って下さい!!」と答えを教えていた。この日の19位は森川美穂『おんなになあれ』。時間がギリギリまで迫っており、何とか歌うことはできたが1番だけであった。
  • 1987年5月7日、どうしても1位が獲れないとんねるずが5回目(3曲目)の2位獲得。今度は南野陽子に阻止され5回とも1位の歌手が違うという珍記録。
  • 1987年10月8日、この週が10組フル出場した最後の回になった。またこの回と翌週15日は、全国のJNN各局の人気女子アナが、TBSに集合し松下アナのアシスタントを務めた。(黒柳が番組を欠席したためと、当時松下アナが独身だったため番組内でお見合いも兼ねた。)
  • 1987年12月31日に『ザ・ベストテン電リク祭り』を開催。しかし、過去のザ・ベストテン豪華版のハプニング集・5周年記念に放送されたベストテンフェスティバルからの映像が多く使用された。スタジオには、C-C-B・クリスタルキング桜田淳子島田奈美・光GENJI・西村知美・寺尾聰などが集まった。また、裏番組のNHK紅白歌合戦に出場有力視されながら出られなかった南野陽子や酒井法子なども駆けつけた。中継先は、翌年3月で廃止される青函連絡船青森駅ビートたけしテレビ朝日の生番組で草野球をやっていた神宮球場などから。なお、VTR出演だが、ベストテンに2年7ヶ月ぶりに登場した久米がニュースステーションからのセットからコメントを出した。

[編集] 1988年~1989年

  • 1988年から月間ベストテン開始。月間ベストテンに限り、歌われる曲すべてに歌詞のテロップが出た。視聴率回復の為に行われたが、この月間には欠点があった。月間ベストテンの週が最初で最後のランクインの歌手(池田政典『FORMULA WIND』)がいたことだ。1988年2月25日に通常のウイークリーで10位で初登場したが、当日は月間ベストテンだったのでスタジオでの生歌唱はできなかった(事前にファンを招いてスタジオで熱唱したが、映像として流れたのは10秒程度だった)。池田政典が、翌週には圏外落ちしてしまったので、4月からは月間ベストテンで初登場した歌手がいれば、トップバッターで歌わせる処置がされた。
  • 1988年からランキングボードが老朽化のため、新しいものに変更された。得点の表示が4桁から6桁になり、年間ベストテンの得点表示が可能になった。また、ランプが円から星型になった。4ケタ時代のランキングボードは、1987年の豪華版終了後に視聴者プレゼントされた。制作費は、数千万円。実際、6ケタ全てを使用したのは、月間ベストテン12回・1988年度年間ベストテン・1989年6月の上半期ベストテン・600回目の12年間ベストテン・最終回の16回使用された。
  • 1988年からおなじみのオープニングの絵柄を変更。
  • 1988年よりランキングボードの隣に日付のテロップが、設置されるようになる。
  • 1988年、550回目記念の公開生放送をなぜか行えず、552回目に「ザ・ベストテン・鹿児島大移動」を放送。初の1ケタ視聴率を記録し、そしてこの年が最後の公開生放送になった。尚、鹿児島地区の視聴率は76%近い視聴率を記録したが、関東地方の視聴率は1ケタだった。
  • 1988年3月31日、2回目の「ザ・ベストテン延長戦」を放送。この日は月間ベストテンという形での延長戦になった。しかし、ランキング紹介が途中で終わるなど、前年度より段取りの悪い内容だった。理由はクイズまでの映像が長すぎたこと、出演しない歌手のクイズに黒柳が代理で答えたりしたためである。この年で延長戦は廃止された。
  • 1988年6月16日・23日の2週に限り、「私は黒柳」というテーマで黒柳徹子のまねをした女性や犬が松下アナウンサーと司会を進行。
  • 1988年8月4日は、箱根からの生中継。光GENJI・薬師丸ひろ子を迎えて生中継。それ以外の歌手は、コンサート会場などからの中継。
  • 1988年10月13日から、フジテレビの裏番組に「とんねるずのみなさんのおかげです」がスタート。開始当初から番組内の目玉コーナー「仮面ノリダー」などが受け、一気に人気番組となる。これにより、視聴者層が被っていたザ・ベストテンの視聴率は10%台前半から時には一桁台になるなどガタ落ちとなった。
  • 1988年11月11日の一部新聞で、1989年3月に「ザ・ベストテン打ち切り」という記事が掲載されたが、その時は否定した。
  • 1989年1月5日には、オープニングから8位発表まで、久米宏が司会で登場。その後、生島ヒロシ・小西博之・草野仁チャック・ウィルソン・松下賢次が登場。この日が松下賢次が最後の出演で、全員で『乾杯』を熱唱。なお、元号昭和の時代としては最後の放送となった。
  • 1989年になるとオーケストラ演奏を必要としないバンド系の歌手の増加で、オープニングにバンドが毎週いる事はなくなり、オープニング時は歌手席のところに集合する形をとるようになった。
  • 1989年1月12日、4代目司会者としてコント赤信号の渡辺正行柄沢晃弘アナウンサーが登場。柄沢アナは基本的にデータの読み上げなどの補佐に回った。ちなみに元号が平成になってからの最初の放送となった。
  • 1989年2月23日から毎回歌詞テロップ表示するようになる(それまで初登場時のみ)。
  • 1989年4月6日からゲスト席が、リニューアルされる。先週(3月30日)の放送分が特別番組で中止になったので、先週のランキングも発表した。そして、視聴率回復の為か4月のみ春の秘蔵映像豪華版と題して、歌手や視聴者のリクエストに答えて昔の映像を流すようになった(ちなみに同じ頃、音楽番組の両雄として君臨していた『夜のヒットスタジオ』でも同じく総集編などの形式で過去の映像を流す機会が増えており、両番組でのこの措置は生歌だけでは視聴率がとれない時代に突入していたことを象徴する出来事でもあった)。
  • 1989年の600回目には公開生放送は行われず、スタジオから12年間のベストテンを発表。1位は五木ひろしの『長良川艶歌』。
  • 1989年7月6日の番組終了直前に黒柳徹子が、9月で番組が終了する事を発表。番組終了理由は、「番組開始当初は2分30分の歌も現在は平均3分30分になり長いものは5分近くなり10組フル出場してもらっても満足なインタビューが困難な為にこの番組も役目を果たした」というのが理由である。
  • 1989年8月24日黒柳徹子が欠席。渡辺正行が豪華に登場したいと希望したため、派手に登場。また、この回よりTBSのみクリアビジョン放送を開始。(因みに、TBS初のクリアビジョン放送対応番組は当番組である)
  • 1989年9月14日 第1回目からあったスポットライトの最後はC-C-Bが登場。解散直前でシングルメドレーだった。
  • 1989年9月21日 最終回を直前にして第1回目の映像を右下に小さく再放送。しかし、歌手が歌っている時やCM中は流れないため中途半端な映像の流し方になってしまった。
  • 1989年9月28日ついに最終回を迎える。10組中5組がスタジオに登場、1組が中継、4組が欠席。欠席の竹内まりやからは電話があった。前週まで光GENJIが7週連続1位だったが、最終回の1位は工藤静香の「黄砂に吹かれて」。その後「ごくろうさま黒柳徹子さん」という文字と得点999,999点がランキングボードに表示され、12年間の感謝を込めて全員で黒柳を盛り上げた。最終回視聴率は20.4%だった。
  • 1989年10月5日に『さよならザ・ベストテン』を放送。歴代の司会者・歌手などが昔の映像を見返して楽しんでいた。番組途中に松山千春が初めてGスタジオに登場。全国各地から出演した歌手からのメッセージも放送された。エンディングには、高田純次が翌週からの新番組の宣伝に登場。番組のテーマ曲に秋元康作の歌詞が付けられたスペシャル・ソングが発表された。
  • 11年間の歴史の中で、1位最多獲得歌手は中森明菜で計69回。「ベストテンの女王」の異名がある。
  • 番組最多出場歌手は田原俊彦で246回。これを記念して田原には、寺尾聰の赤いソファー(後述)になぞらえて名前入りの青いソファーが贈られ、スタジオに置かれることになった。

[編集] ハプニング

生放送のためハプニングは多かったが、放送事故は一度もなかったと言われているが、実際は何度か起き、1985年に田原俊彦と研ナオコの「夏ざかりほの字組」を披露した際に、音が聞こえず、後回しにされた事があった。

  • 1978年、世良公則&ツイストが『銃爪』の9週連続1位で、発表前から神輿を担いで出てきてしまった。
  • 1980年、長渕剛が中継先で『順子』の歌唱中に、そばにいた歌手仲間たち(桑名正博アン・ルイスら)に「あのー、済みませんが失恋の歌なので手拍子はやめてくださいませんか?」と言って演奏を最初からやり直した。なお、長渕剛は次の週にはスタジオに登場している。
  • 1978年、松山千春の生中継を行ったが、スピーチが長引いたため、その後に出演した山口百恵が歌う時間がなくなってしまい、記念撮影だけ参加した。
  • 1984年、杏里が『悲しみがとまらない』の歌唱中に、何故か杏里の側にチンパンジーが座っていたが、歌っている最中チンパンジーが杏里に対して激怒、杏里の手を引っ叩く事件が起こった。そのチンパンジーの態度に、杏里は思わず吹き出しその後大笑いを堪えきれず歌えなくなる事態に。
  • 1985年、吉幾三は『俺ら東京さ行ぐだ』で「今週のスポットライト」に登場した際、1番の途中で歌詞をど忘れし、スタジオは大爆笑。初めからやり直した。そしてベストテンにランクインした週は、歌の前「景気づけに」と黒柳からすすめられた日本酒を飲んだところ、故郷の青森を思い出し涙ぐんでしまった。
  • 1988年11月、南野陽子は『秋からも、そばにいて』の歌唱中に途中で、発熱による体調不良もあってか歌詞を忘れ出てこなくなってしまった。手を震わせながら歌い終え「本当に申し訳ありませんでした、ごめんなさい!」と涙ぐみながら謝った。
  • スタジオの出演歌手に地方各地の視聴者が中継先から質問を受け付けるコーナーでシャネルズ(後のラッツ&スター)に対して「黒人のクセに・・・」とある青年が質問をしたが、これに黒柳が「人種差別となる発言となるので、こういった表現をすることはやめてほしい」と注意喚起したこともあった。またラッツ&スターになり、初の1位を獲得したあまりにその感激で、登場時に勢いよく飛び出そうとして回転ドアを壊した(中心部を強く押しすぎてドアが外れて前に飛んだ)こともあり、久米曰く「ちゃんと弁償していただいた」そうである。
  • 番組スポンサーの1社が日立製作所だったにもかかわらず、シャネルズの『ランナウェイ』(パイオニアのラジカセ『ランナウェイ』CMソング)や徳永英明の『風のエオリア』(松下電器産業のエアコン『エオリア』CMソング)といったライバルメーカーのタイアップ曲もランクイン。しかしタイトルや歌詞を差し替えたりする事は一切無く、その点は番組サイドでも穏便に対応していたようだ。しかし矢沢永吉の『This is Song for COCA-COLA』(当時のコカコーラ社のCMソング)は、スポンサー(キリンビール)の関係上タイトルを表記できず、レコード売り上げランキングでは『(C.M.SONG)』と紹介された。これはスポンサーへの配慮のための、唯一の苦肉の策であった。「今週の20位から11位まで」のコーナー自体しばらく休止となった。
  • 1982年の放送で、スタッフの手違いで本来はスタジオの上部に戻すはずの一位のくす玉が誤ってスタジオの下部に下ろしてしまったこともある。
  • 1988年3月31日の「ザ・ベストテン延長戦」で酒井法子の『GUANBARE』が17位にランクされたが、酒井が折角登場したところで時間切れとなり、全く歌えないまま放送が終了してしまった。そのため翌週の番組冒頭に、酒井が中継で改めて登場し曲が披露された。
  • 1994年3月29日『ザ・ベストテン同窓会II』にC-C-Bが登場。彼らは解散の際に、ベストテンのスポットライトに出演し解散についてのコメント及びヒットメドレーを披露しているが、同窓会IIでC-C-Bが登場した時の黒柳の第一声は「解散した事知らなかったの~」。多くのゲストと接していただけに仕方ないといえば仕方ないが・・・。

[編集] 1位

  • くす玉の紙テープや外観は基本的には金色一色というのが多く、グループでの場合はその人数分のくす玉が用意されたこともあった。(特に、光GENJI少年隊といったジャニーズ事務所系列などのグループユニットのアーティストが1位になるとくす玉の数も多くなり、スタジオの天井が紙テープで埋め尽くされたこともある)
  • 松田聖子が1位に輝いた時にはハート型(中身はピンク色一色の紙テープ)のものや、親子くす玉(割れたくす玉の中にもう一つ小さいくす玉が用意され2つとも割れるようになっている)といったものも用意された。
  • また当時アルフィーには『星空のディスタンス』にちなんで「星型のタンス」がプレゼントされたりした。
  • 1978年11月16日の放送では、『季節の中で』で1位を獲得した松山千春が初めて番組に中継で出演し、歌う前にテレビに出演しない理由を語った後、「テレビで歌うのはこれが最初で最後」と言い、生ギターで歌を熱唱した。しかし3年後の1981年に『長い夜』がランクインし、コンサートビデオ映像を流す形で再び出演している(スタジオ出演、生中継はなし)。ちなみに松山千春の1位獲得曲はこの2曲のみだが、『ルビーの指環』の12週・『銃爪』の10週という連続1位記録のNo.1・No.2を止めたのは、いずれも松山千春である。
  • 1981年6月18日、寺尾總の『ルビーの指輪』が11週連続1位新記録を記念して、前出の赤いソファー・タバコに加えて、出演者のお祝いの言葉を吹き込んだレコードがその場で制作されプレゼントされた。
  • 1985年4月、C-C-Bの『Romanticが止まらない』が通算100曲目の1位獲得曲になったのを記念して、記念テレホンカード(100曲目にちなんでぜいたくに100度数)がこれまでに1位を獲得した歌手全員に1位獲得曲の数だけプレゼントされた。

[編集] 番組終了後(特番など)

  • 1989年秋の放送終了後しばらくは、末期に提供していたスポンサー自体が夜10時枠に移行され、音楽番組「音楽派トゥギャザー」が放送されたが、視聴率低迷故か同年12月に打ち切りとなった(後番組に『怪傑黄金時間隊!!』→『いきなり!クライマックス』を放送)。代わって夜9時枠は1976年9月以来13年ぶりにドラマ枠が復活し、武田鉄矢桐島かれん主演のドラマ『愛し方がわからない』が放映。以後この枠は『HOTEL』『渡る世間は鬼ばかり』『3年B組金八先生』などのドラマ枠が現在も続いている。
  • ザ・ベストテン終了後、1990年4月に開始した『週刊ワニてれび』で毎月最終金曜日に放送された「極楽ベストテン」内でランキングボードを使ってベストテン形式(ただし番組リクエストは除く)の月間ランキングと上半期ランキングが発表されていた。ちなみに1990年の上半期1位はLINDBERGの『今すぐKiss Me』。
  • 1990年9月の週刊ワニてれび終了以降は、同時間帯に月に1度カラオケ番組が放映され、番組の最後に月間ランキングが得点付で発表されていたが、1991年3月でランキングの発表は終了した(番組自体は毎週放映になって続いた)。
  • 1991年3月から1992年3月ごろまで、不定期で『思い出のベストテン』という30分番組が放送された。ベストテンゆかりの歌手が毎回1組ゲスト出演し、ベストテンの思い出を語る番組で、ベストテンランクイン曲のVTRを見るほか、エンディングにはゲストが最新曲1曲を熱唱。司会は追っかけマンだった生島ヒロシ、2代目司会者の小西博之、そして長野智子。15回あった放送のうち、長野はすべての回で司会を担当。なおゲストには山本譲二、中森明菜、早見優、西村知美、原田真二本田美奈子チェッカーズWink関口誠人(元C-C-B)アルフィーほかが出演した。
  • 1991年10月2日には山田邦子と、他局であるフジテレビの「オレたちひょうきん族」のコーナーでパロディ版の「ひょうきんベストテン」の司会を務めていた長野智子が司会の『今夜だけ!ご本家復活ザ・ベストテンスペシャル』を放送。田原俊彦・松田聖子・細川たかし・工藤静香・中山美穂ら豪華ゲストが、スタジオで昔の映像を見ながらトークしたり、新曲を披露したりした。久米や黒柳からのVTRでの参加もあった。久米が、山口百恵のお尻を本当に触ったりお尻の肉もつかんだとのコメントもあった。
  • 1991年12月31日には『総決算!ザ・ベストテン1991年末スペシャル』が放送されたが、槇原敬之KANドリカムなど当時の人気アーティストによるライブであり、ザ・ベストテン本体とはほとんど関係がない。
  • 1993年12月26日には『ザ・ベストテン同窓会』として2時間の生放送で復活。ゲストに中森明菜・五木ひろし・西城秀樹・河合奈保子柏原芳恵・近藤真彦・光GENJI・少年隊らを迎えた。
  • 1994年3月29日にも『ザ・ベストテン同窓会II』を開催。ゲストにわらべ・南野陽子・八神純子・世良正則・寺尾聰・C-C-B・荻野目洋子・ゴダイゴを迎えた。この回が指揮者の長洲忠彦のラスト出演の回になった。
  • 1994年、『テレビの王様』のザ・ベストテン特集でザ・ベストテンのランキング集計は今(1994年当時)も行われていることが明らかになる。1993年11月25日放送分と思われるランキングもちらっと映った。1位は長渕剛の『RUN』。
  • 1995年4月4日には『ザ・ベストテン復活版』を放送。司会は黒柳徹子・中山秀征。松下賢次も進行役で登場。杉山清貴、西原俊次、高島信二(現・Being)らオメガトライブの元メンバーらが出演。スポットライトに内田有紀SMAP(中継で登場)。
  • 1997年12月11日には『ザ・ベストテン今夜だけの豪華版'97』を放送。司会は黒柳徹子・KinKi Kids。1997年の年間ランキングも(1位~3位までではあるが)発表された。ちなみに、1997年の年間3位はLe Couple(ル・クプル)の『ひだまりの詩』、2位はKinKi Kidsの『硝子の少年』、そして年間の1位は安室奈美恵の『CAN YOU CELEBRATE?』だった。
  • 1998年7月31日には「金曜テレビの星!サザン20周年緊急特番 バカさわぎの腰つき」にて、『ザ・ベストテン』を放送(サザンは、スポットライトとして出演)。司会は、久米宏と黒柳徹子、ゲスト(サザンファン)は、スガシカオ森雪之丞岡本麗ほか。コーナーは、名迷場面集・ライブ(PARADISE)・トーク。
  • 1998年12月30日には、「21世紀プロジェクト 年越し30時間生放送!!テレビのちからのとっておき映像永久保存版 20世紀名番組ベスト200」にて『ザ・ベストオブザ・ベストテン全12年栄光の奇跡』という1コーナーで放送され、1978年~1989年の主な曲紹介をした。(20世紀名番組ベスト200では、41.7%の第12位で、最高視聴率の週に1位だったイモ欽トリオの映像が使われた。)
  • 2000年より2004年までは、12月30日に年末恒例で復刻版スペシャルを放送。ゲストがベストテン放映年の1978~1989年および最近のヒット曲を歌うほか、ベストテンにまつわる秘密を検証する企画などで構成。司会は黒柳徹子と安住紳一郎アナ。2000年は38時間特別番組『SAMBA・TV』で放送され、以後2001年より4年間、大型スペシャル番組『ザ・ベストテン(年度)』として放送、毎年好評を得てきた。2003年までは午後7時からの4時間にわたって放送されていたが、2004年の放送では午後9時からの2時間30分に短縮された。復活版では、久米もVTRでの出演もあったが、2000年の中森明菜登場の時の激励の電話を最後に、2001年からの映像での出演も電話での出演もなくなってしまった。
  • また、2000年から放送されているベストテン復刻版の出演者に、偏りが目立つようになってきた。『ザ・ベストテン』放送当時に出演していた、中森明菜・南野陽子・松田聖子・吉川晃司などが、ほとんど毎年出演しているマンネリ化もあってか、徐々に視聴率も当初より下降気味となった。また、番組を手がけていた山田修爾プロデューサーが、2005年9月30日をもって定年退職したこともあって、毎年の年末の恒例的番組として放送されていた2005年度の『ザ・ベストテン(年度)』は、ついに放送されなくなってしまった。代わりに2005年12月30日には、作詞家である阿久悠のスペシャル番組が放送されていた。
  • 2005年9月30日に、『ザ・ベストテン』特番のプロデュースをしている阿部龍二郎が手がけている番組である『中居正広の金曜日のスマたちへ』の波瀾万丈スペシャルで、『ザ・ベストテン』番組を手がけていた山田修爾プロデューサーがこの日に定年退職する為、彼と『ザ・ベストテン』の歴史を振り返る。また、ゲストに黒柳徹子が出演し、安住アナの対談で久米宏もVTRで登場。通常の「金スマ」はモノラル音声で放送されるが、この日の『金スマ』はステレオ音声で放送された。
  • 2006年7月12日に、水曜日20時台に放送されている「ドリーム・プレス社」で「復活!ザ・ベストテン!」として復活した。CM前にも提供クレジットテロップで「ザ・ベストテン」と「ドリーム・プレス社」のタイトルロゴを併記して表示し、放送当時の流れを忠実に再現。2006年10月に金曜日20時台に移動してからも裏番組の「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)の放送がないときに限り、この企画が行われる。

[編集] 『中居正広の金曜日のスマたちへ』でのベストテン

2005年9月30日の『中居正広の金曜日のスマたちへ』の「ザ・ベストテンの真相」でのランキング。

1位 西城秀樹『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』

  • 9999点を獲得

2位 ピンクレディー『UFO』

  • 「ベストテン」に出演したことは覚えているが、忙しすぎて「久米さん·黒柳さんに会った事は覚えていない」と言っていた。

3位 キャンディーズ『微笑がえし』

  • キャンディーズが解散した後であるにも関わらず、ベスト10内にランクインしていて、メンバーの旅先である外国から国際電話で出演してもらう為に、当時は国際電話の通信事情が悪く、通話を確保する為にキャンディーズが電話出演する迄、番組スタッフが24時間を通して電話を切らずに話し続けていた。そのため、その日だけの電話代が数十万円になったという。

4位 シャネルズ『ランナウェイ』

  • 山陽放送からの中継で「黒人のくせになぜシャネルズという香水の名前を使うのか」と言う人種差別的な質問に黒柳徹子が怒りの反論をした。

5位 松山千春『季節の中で』

  • これ迄はテレビ出演を拒否していたが、視聴者からのリクエストが殺到して1位になった事と、山田プロデューサーからの必死の説得で出演を承諾してくれた。

6位 小泉今日子『夜明けのMEW』

  • 夜寝ている筈の象を出演させた。昼間から夜迄ライトアップして象を寝かせなかった。(宮崎放送からの中継)

7位 松坂慶子『愛の水中花』

8位 郷ひろみ『マイレディー』

  • 5週連続1位で出演予定であったが、隣のスタジオでドラマの撮影中である為登場せず、司会の久米宏が「郷さ~ん、郷さ~ん・・・」と探し続けていた。

9位 大川栄策『さざんかの宿』

  • 『ザ·ベストテン』出演時は、実家が家具屋を営んでいるのにちなんで、出演の際には毎回"タンスかつぎ"をしていたが、俳優の陣内孝則も大川栄作と出身地(福岡県)が同じであり、実家も同業の家具屋を営んでいる事から、大川が出演する度に実家から励ましの電話が掛かってきて、陣内本人としてはそれが逆に迷惑だったと言うエピソードもあった。

10位 松田聖子『青い珊瑚礁』

  • 初ランクイン8位を羽田空港のANAタラップから中継する際に、8位のランキング発表に時間を合せる為、ANAや空港の管制室に直接電話して直談判し協力を得て、滑走路を遠回りする等して時間調整に苦労した為。

番外編1位 中居正広『ガラスの十代』※点数は0点

  • デビュー前の下積み時代に、光GENJIの『ガラスの十代』のバックダンサーとして中居正広が出演していた映像が披露された。

[編集] 追っかけマン・追っかけウーマン(中継リポーター)

生島ヒロシ
松宮一彦(故人)
浦口直樹
吉川美代子
三雲孝江
牧嶋博子
松下賢次(のちに、正式司会者に就任)
Mr.デーブマン(高田文之)
田中徳四郎(故人)
桜井宏
大久保真弓
野宮範子
天野博章
鎌田強
赤城敏正
大神政敏
小林文子
鈴木俊光
福井弘文
石川太郎
桑折久子
佐藤千春
佐藤泰男
久保正彰
船戸導洋
上原孝男
荒川戦一
島津靖雄
小堀勝啓
松山香織(当時、後にフジテレビ『FNNスーパータイム』のキャスターを務めるなど、フジテレビの報道の顔として活躍)
八田静輔
青木和雄
増田一樹
鈴江香(現姓・関岡)
滝沢忠孝
中尾俊直
石田好伸
鍋島昭茂
荒井由岐子
大谷典子
田中俊雄
川沿圭子
林幹雄
葉山さつき
山下奈緒美
安田瑞代
福島絵美
樫元洋
長田新
古川廣生
采野吉洋
井川千也
箕田和男
橋本邦彦
柳卓
垣花章
他、JNN系列各局アナウンサー
また、系列外(番組未ネット)の秋田放送南海放送も中継に協力した(南海放送は、戒田節子アナと宇都宮基師アナが担当。秋田放送は柳沼慎一アナが担当)
  • ラジオ・テレビ兼営局の追っかけアナは、ラジオの歌謡ランキング番組で司会を担当するケースが多かった。(例外あり)
  • ラジオ・テレビ兼営局における「ラジオの歌謡ランキング番組」でのランキングが当番組の「ラジオ総合ベストテン」のデータを構成する要素となっていた。
  • テレビ単営局の追っかけアナの中には、TBS系朝の情報番組でのリポーターも担当するケースがみられた。
当番組のレギュラー放送期間中に放送されたTBS系朝の情報番組は、おはよう700テレビ列島7時朝のワイドX朝のホットラインHOTLINE

[編集] 追いかけます、お出かけならばどこまでも

地方や海外に行っていてスタジオに来られない場合でも、“追いかけます、お出かけならばどこまでも”が売りで、当時TBSアナウンサーだった松宮一彦(故人)や生島ヒロシ(現在はフリーアナウンサー)、JNN系列各局のアナウンサーが「追っかけマン」「追っかけウーマン」として登場して、系列各局の協力を得て、現地からの歌唱を中継披露するのも恒例行事であった。

  • 新幹線での移動途中の中継も少なくなく、静岡駅名古屋駅新大阪駅での停車時間帯を狙った中継も多かった。特に静岡駅や名古屋駅では停車時間が短いこともあり、歌の途中でドアが閉まり、そのまま発車してしまうことも幾度かあった。
  • 国内中継での珍しいパターンとしては、東名高速道路を車で西に移動中だった田原俊彦が、いったん東名高速を降り、静岡インターチェンジ至近にあったSBS本社から中継で歌うというものもあった。しかし番組放送時間中にSBS本社へ到着できず、放送終了後何とか到着したところで、SBS本社に見物に来たファンへのサービスおよび翌週放送分の素材として収録を始めたが、運悪くマイクロ回線の使用予約時間を過ぎてしまい、曲の1番を歌い終えたところで回線は途絶えてしまうというハプニングもあった。
  • また、少年隊オーストラリアアデレードから生中継を行った。オーストラリアからの中継では、現地のテレビ局の電波と中継用の衛星回線が混線して、突然画面に現地のドラマの映像が流れ出す、といったハプニングがあった。実は、この時の司会の松下アナは、少年隊が歌っていた時にソファーで横になっていた。しかしすぐさまオーストラリアのドラマの映像(中年の男性が映っていた)に対して「この方はオーストラリアの大変有名な俳優さんでございまして、日本の森繁久弥さんのような非常に重厚な演技で知られております」とアドリブで解説を入れ大受け。急場をしのいだ松下の機転は日本の視聴者たちをうならせた。

[編集] 代役司会

  • 黒柳徹子や久米宏などが欠席の場合、代役司会として多くのタレント・文化人が様々な形で登板した。特に1985年の久米降板から小西博之決定までの間は、黒柳のパートナー不在のため代打司会を多く起用している。久米宏は、2代目の司会に番組初期からいた松宮一彦の起用を望んでいたが、久米宏の後釜というプレッシャーがつらく辞退したため、1985年5月~9月までなかなか正式な司会が決まらず、生島ヒロシや3代目の司会の松下アナウンサー、近藤真彦武田鉄矢中井貴一などが代理司会を務めた。
  • 代役司会の最初とも言うべきはタモリで、1981年2月5日に久米の代打として登場。久米明とのコンビ登場などその後もさまざまな形でベストテンに登場した。1985年12月26日の放送以降は、一切出演なし。
  • 1984年2月16日、久米の代役でおすぎピーコが登場した。あまりの毒舌ぶりに、翌週TBSの電話が苦情でパンクした、というエピソードを残している。
  • 1984年8月16日、黒柳が夏休みのため所ジョージが登場。1位の中森明菜に自作の「お祝いの歌」を贈っていた。ちなみに所は1998年から2000年にかけてフジテレビ系列で放送された「MUSIC HAMMER」でも同様に1位の歌手に「お祝いの歌」を贈っていた。
  • 1984年8月30日久米の休みのため桂文珍が登場。
  • 1985年5月16日久米退任後のお助け司会者として武田鉄矢が登場。サポートは松下賢次。
  • 1985年5月30日渡辺徹が登場。
  • 1985年6月13日近藤真彦が登場。
  • 1985年6月20日木内みどりが登場。サポートは松下賢次。
  • 1985年7月25日草野仁森本毅郎といった当時TBS(JNN)系列の平日の顔となった2人も黒柳さんと3人体制で司会を勤めたことがあった。後に草野・黒柳は1986年から放送している「世界・ふしぎ発見!」にも共演している。サポートは生島ヒロシ。
  • 1985年8月8日中村雅俊が登場。
  • 1985年8月15日終戦記念日にちなみ小沢昭一が登場。スポットライトに歌手としても登場し「ハーモニカ ブルース」を披露。
  • 1985年9月19日、カール・ルイスのスポットライト登場時にケント・ギルバートチャック・ウィルソンが登場。
  • 松下賢次はTBSの労働組合ストライキのため、番組を欠席したことがある(このときは代理司会を置かず、スタジオには松下の等身大パネルが置かれた)。(1987年4月23日放送)
  • 1987年6月11日、黒柳がソビエト連邦出張のため田中裕子が登場。
  • 1987年12月10日、松下賢次が巨人優勝旅行に同行取材のため板東英二が登場。
  • 1988年4月7日、松下賢次がマスターズゴルフ実況による海外出張のため高田純次が登場。その後黒柳・高田コンビは後番組「音楽派トゥギャザー」でコンビを組む(同番組の項を参照)1位の歌の後に兵藤ゆきと「CHANCE!心ときめいて」を披露。スポットライトが、1位の後に歌う異例な措置。
  • 1988年9月1日、松下賢次が出張のため森末慎二が登場。
  • 1988年9月8日、松下賢次が全米オープンテニスのため井上順が司会で登場。井上順と黒柳徹子のコンビは、「夜のヒットスタジオ」での芳村真理との掛け合いとは違い空回りが多く不評。井上順のギャグもザ・ベストテンでは通用しなかった(これは、芳村真理がいわば調整役で進行に徹する司会者であったのに対し、黒柳徹子は独走的な色彩の強い司会者であったことが要因であったといわれている)。
  • 1988年12月1日、黒柳がユニセフ会議のため楠田枝里子諸星和己が司会を担当して、松下アナが補助に回ったが、どうも歌手へのトークは楠田&松下中心で、諸星は会話に入っていけなく、歌手がスタンバイの時に楠田に振られてから、やっとトークするという結果。この日は、長淵剛が登場して、フルコーラスで『とんぼ』を熱唱した。この回が、タレントや歌手が代理司会した実質最後の回である。翌年からは、柄沢晃弘アナが欠席の時は、ベストテン特派員の吉本多江アナが代理出席する程度。1月5日放送のみ歴代の司会者の一部が登場した以外は通常の司会者がつとめた。

[編集] 番組担当の歴代オーケストラ

  • 原信夫とシャープス&フラッツ 1978年のみ担当
  • 宮間利之&ニューハード 1979年1月11日より担当~最終回演奏を担当
  • 高橋達也と東京ユニオン 1986年頃よりニューハードと毎週交互で担当の時期もあり
  • 岡本章生とゲイスターズ(1984年6月28日・7月5日・復活版など、ごくたまに参加)
  • GTサウンド 番組開始~最終回までバイオリンを担当
  • 指揮 長洲忠彦 1994年の同窓会をもって降板

(2000年からの恒例のザ・ベストテンからは小野寺忠和に交代)・たまに代理指揮者あり

[編集] 番組専属のオーケストラが設置されなかった回

300回目(IN長崎)・350回目(IN岡山)・400回目(IN静岡)・450回目(IN松本)・500回目(IN仙台)・1988年4月21日・1988年6月23日・1988年7月28日・1988年8月4日・1988年8月18日・552回目(IN鹿児島)・1989年1月5日・1989年8月3日・1989年8月10日・1989年9月14日

[編集] ランキング・出演データ

[編集] 年間ベストテン第1位獲得曲

年度 曲名 歌手名
1978年(昭和53年) 銃爪(ひきがね) 世良公則&ツイスト
1979年(昭和54年) おもいで酒 小林幸子
1980年(昭和55年) 倖せさがして 五木ひろし
1981年(昭和56年) ルビーの指環 寺尾聰
1982年(昭和57年) 北酒場 細川たかし
1983年(昭和58年) 矢切の渡し 細川たかし
1984年(昭和59年) 長良川艶歌 五木ひろし
1985年(昭和60年) 悲しみにさよなら 安全地帯
1986年(昭和61年) BAN BAN BAN KUWATA BAND
1987年(昭和62年) 追憶 五木ひろし
1988年(昭和63年) 抱きしめてTONIGHT 田原俊彦

[編集] 1988年(昭和63年)の月間ベストテンで第1位になった曲

  • 1月 「ガラスの十代」光GENJI
  • 2月 「ガラスの十代」光GENJI
  • 3月 「乾杯長渕剛
  • 4月 「パラダイス銀河」光GENJI
  • 5月 「パラダイス銀河」光GENJI
  • 6月 「抱きしめてTONIGHT」田原俊彦
  • 7月 「Diamondハリケーン」光GENJI
  • 8月 「Diamondハリケーン」光GENJI
  • 9月 「人魚姫」中山美穂
  • 10月 「MUGO・ん…色っぽい」 工藤静香
  • 11月 「剣の舞」光GENJI
  • 12月 「とんぼ」長渕剛

[編集] 16週以上ベストテン入りした曲

  1. 「みちのくひとり旅」 山本譲二 (24)
  2. 「倖せさがして」 五木ひろし (19)
  3. 「ルビーの指環」 寺尾聰 (19)
  4. いとしのエリーサザンオールスターズ (18)
  5. 「長良川艶歌」 五木ひろし (18)
  6. 「おまえとふたり」 五木ひろし (17)
  7. 「ダンシングオールナイト」 もんた&ブラザーズ (17)
  8. 「長い夜」 松山千春 (17)
  9. 「恋におちて」 小林明子 (17)
  10. 「愛が止まらない」 Wink (17)
  11. 「銃爪」 世良公則&ツイスト (16)
  12. 「細雪」 五木ひろし (16)

[編集] 8週以上第1位を獲得した曲

  1. 「ルビーの指環」 寺尾聰 (12)
  2. 「銃爪」 世良公則&ツイスト (10)
  3. 「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」 西城秀樹 (9)
  4. 「ギンギラギンにさりげなく」 近藤真彦 (9)
  5. 「大都会」 クリスタルキング (8)
  6. 「ハイスクールララバイ」 イモ欽トリオ (8)
  7. 「セカンドラブ」 中森明菜 (8)
  8. 「瞳はダイヤモンド」 松田聖子 (8)
  9. 「ジュリアに傷心」 チェッカーズ (8)
  10. 「ガラスの十代」 光GENJI (8)

[編集] 9800点以上で第1位を獲得した曲

  1. 「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」 西城秀樹 (9999)
  2. 「UFO」 ピンクレディー (9966)
  3. 「星屑のステージ」 チェッカーズ (9966)
  4. 「バラダイス銀河」 光GENJI (9965)
  5. 「ハイスクールララバイ」 イモ欽トリオ (9922)
  6. 「ガラスの十代」 光GENJI (9898)
  7. 「ギンギラギンにさりげなく」 近藤真彦 (9882)
  8. 「太陽がいっぱい」 光GENJI (9864)
  9. 「季節の中で」 松山千春 (9862)
  10. 「長い夜」 松山千春 (9849)
  11. 「ルビーの指環」 寺尾聰 (9846)
  12. 「セカンドラブ」 中森明菜 (9839)
  13. 「Strawberry Time」 松田聖子 (9832)
  14. 「ジュリアに傷心」 チェッカーズ (9832)
  15. 「あの娘とスキャンダル」 チェッカーズ (9822)

[編集] 100週以上ベストテン入りした歌手

  1. 田原俊彦 (245)
  2. 中森明菜 (221)
  3. 松田聖子 (218)
  4. 近藤真彦 (208)
  5. 西城秀樹 (154)
  6. チェッカーズ (148)
  7. 沢田研二 (137)
  8. 山口百恵 (120)
  9. サザンオールスターズ(120)
  10. 小泉今日子 (120)
  11. 郷ひろみ (117)
  12. 中山美穂 (104)

※2曲以上がベストテン入りとなった週も1週としてカウントする。

[編集] 10曲以上ベストテン入りした歌手

  1. 田原俊彦 (35)
  2. 近藤真彦 (28)
  3. 松田聖子 (25)
  4. 中森明菜 (23)
  5. 河合奈保子 (23)
  6. 小泉今日子 (22)
  7. シブがき隊 (22)
  8. 西城秀樹 (22)
  9. チェッカーズ (20)
  10. アルフィー (17)
  11. 沢田研二 (15)
  12. 郷ひろみ (15)
  13. 柏原芳恵 (14)
  14. 中山美穂 (14)
  15. サザンオールスターズ(14)
  16. 山口百恵 (12)
  17. 南野陽子 (12)
  18. 荻野目洋子 (12)
  19. 少年隊 (11)
  20. とんねるず (11)
  21. 吉川晃司 (10)
  22. 安全地帯 (10)
  23. C-C-B (10)
  24. 斎藤由貴 (10)
  25. 菊池桃子 (10)
  26. 浅香唯 (10)
  27. 西村知美 (10)

[編集] 10週以上第1位を獲得した歌手

  1. 中森明菜 (69)
  2. チェッカーズ (51)
  3. 松田聖子 (44)
  4. 近藤真彦 (40)
  5. 光GENJI (40)
  6. 田原俊彦 (25)
  7. 少年隊 (24)
  8. 世良公則&ツイスト (18)
  9. サザンオールスターズ(14)
  10. 工藤静香 (14)
  11. 西城秀樹 (13)
  12. 沢田研二 (12)
  13. クリスタルキング (12)
  14. 寺尾聰 (12)
  15. 安全地帯 (12)
  16. 松山千春 (11)
  17. 長渕剛 (11)
  18. Kuwata Band (11)

[編集] 3曲以上第1位を獲得した歌手

  1. 中森明菜 (17)
  2. 松田聖子 (15)
  3. 近藤真彦 (13)
  4. チェッカーズ (11)
  5. 田原俊彦 (10)
  6. 少年隊 (10)
  7. 光GENJI (7)
  8. 山口百恵 (4)
  9. 世良公則&ツイスト (4)
  10. サザンオールスターズ (4)
  11. 小泉今日子 (4)
  12. 工藤静香 (4)
  13. 沢田研二 (3)
  14. 西城秀樹 (3)
  15. 安全地帯 (3)
  16. アルフィー (3)
  17. 長渕剛 (3)
  18. 杉山清貴&オメガトライブ (3)
  19. 男闘呼組 (3)
  20. Wink (3)


[編集] 初登場で第1位を獲得した歌手

[編集] ベストテン入りしながらも一度も出演しなかった歌手

  • 中島みゆき 「わかれうた」(1978年) - 1988年の豪華版の時に年間ベスト10入りした工藤静香にお祝いの電話を入れた。
  • 矢沢永吉 「時間よとまれ」(1978年)
  • 南こうせつ 「夢一夜」(1978年)
  • チューリップ 「虹とスニーカーの頃」(1979年)
  • オフコース 「さよなら」(1980年)
  • EPO 「う、ふ、ふ、ふ」(1983年)
  • 村下孝蔵 「初恋」(1983年)…出演しなかったのは本人ではなくレコード会社の意向だった事を後年公表。1983年の豪華版で、年間ベスト10入りしたので、喜びの音声メッセージが流された。
  • 小林麻美 「雨音はショパンの調べ」(1984年)
  • 大沢誉志幸 「そして僕は途方に暮れる」(1985年)
  • 松任谷由実 & 小田和正 & 財津和夫 「今だから」(1985年)
  • ビーバップ少年少女合唱団(清水宏次朗仲村トオル宮崎萬純) 「ビーバップパラダイス」(1986年)
  • BOØWY 「B・BLUE」(1986年)
  • 尾崎豊 「核"CORE"」(1987年) - 1988年7月14日に出演しない理由のVTRを放送した。
  • 仲村トオル 「IT'S ALL RIGHT」(1988年)
  • 氷室京介 「ANGEL」(1988年)
  • 米米CLUB 「KOME KOME WAR」(1988年)
  • THE BLUE HEARTS 「TRAIN-TRAIN」(1989年)
  • COMPLEX 「BE MY BABY」(1989年)…吉川晃司はソロで頻繁に出演していた。
  • 宮沢りえ 「ドリームラッシュ」(1989年) - 最終回に、最後の初ベストテン入りとなったが欠席。歌のトップテンにも1度も出演はない。しかし、中山美穂出演の際にゲスト扱いで1度だけ出演した経験あり。

[編集] ベストテン欠席の理由

  • レコーディングの為
  • レコーディングへの準備期間の為
  • 移動中
  • 各方面との折り合いがつかず・・特におニャン子クラブ欠席時にほとんど毎回使用した言葉(フジテレビの意向があったためと思われる。)。1986年10月16日から1987年4月2日まで使用された。
  • 休暇の為
  • 試験中の為
  • コンサート中
  • コンサートのリハーサル中
  • 体調を崩したため
  • メンバー間のスケジュールが合わず
  • バンドのメンバーの都合が悪く
  • 海外旅行の為 - 海外に行くとベストテンの順位が、落ちるというジンクスがあった。
  • 年内はテレビ出演の意思がないので
  • 出演意思が、固まらないため
  • 裏番組のレギュラーを持っている為
  • 労働基準法により(伊藤つかさが15歳未満の時の欠席理由)
  • ドラゴンクエストIIIIIが発売された時、一部のゲーム好きの歌手がこれにハマり、ベストテンを欠席したという噂もある。
  • 石井明美が『CHA-CHA-CHA』でランクインした際、「もうベストテンではこの曲を歌いたくない。『CHA-CHA-CHA』のイメージを払拭したい。」と言ったことがあり、石井がデビューしたばかりの歌手であったことも影響して一部から酷評を受けた。
  • 金輪際一切出演する気はない - TBSとフジテレビ『夕やけニャンニャン』のおニャン子クラブのわだかまりが正式に解消された後、初めておニャン子クラブがランキングされた時に使用した言葉(フジテレビの意向があったためと思われる。)。

[編集] 最初の頃はよく出演したが後半になると出演拒否に近かった歌手

  •  郷ひろみ - 1982年「哀愁のカサブランカ」が10週連続ザ・ベストテン入りしたが、「愛する自分の曲に順位付けをされたくない」という理由で、ランキング番組への出演を辞退する事を宣言した。この曲以降、1983年の「素敵にシンデレラコンプレックス」と1984年の「2億4千万の瞳」の2曲が、オリコンでベストテン入りし最高位が9位と7位であったが、ザ・ベストテンにはランキングされなかった。ただ後年の復活特番には出演した。
  •  サザンオールスターズ - 1985年頃から徐々に出演拒否に近い状態。ランクインしてから2週目までは出演していたが、3回目以降は、出演しなかった(KUWATA BANDも同様。但し、年間ベストテンでKUWATA BANDが年間チャート1位を獲得した際は、メンバー全員出演した)。
  •  松田聖子 - 結婚後の復帰からは、家庭やコンサートを優先にした為出演拒否に近い状態。ただ後年の復活特番にはほぼ毎年出演しており、実娘のSAYAKA(神田沙也加)と出演したこともある。
  •  長渕剛 - 1987年「ろくなもんじゃねぇ」以降は、1988年2月18日に「乾杯」が第8位に初ランクインしたときに登場し3月3日にも出演したがそれ以降は1988年12月1日の「とんぼ」まで出演拒否を続けた。この間に1曲ランクインしたが、1度も披露されることはなかった。そして最後のランクイン曲「激愛」も披露されなかった。

'80年代後半になると出演拒否が目立つようになる。これはこの番組だけに限らず、同じランキング形式の番組であるザ・トップテンやその他歌番組などでも似た現象が見られた。その点、郷ひろみの出演拒否は'80年代前半のことで、状況が異なるだけに目立っており、当時は大きな話題になった。

[編集] ベストテンで1位を獲得しながらも番組では一度も歌われなかった曲

  • 「ボーイの季節」(松田聖子)(この頃は、直後に神田正輝との結婚を控えていた為に、一時休業の形で引退し番組に出演していなかった。)
  • 「MARIONETTE -マリオネット-」(BOØWY
  • 「ANGEL」(氷室京介

[編集] 死後に初のベストテン入り

  • 石原裕次郎 「北の旅人」(1987年)…生前は「ブランデーグラス」(1980年)が最高位18位
  • 美空ひばり 「川の流れのように」(1989年)…生前は「みだれ髪」(1987年)が最高位14位

[編集] ベストテン入りし出演が一度のみである歌手

  • 清水健太郎(1978年1月26日、「泣き虫」)
  • 甲斐バンド(1979年3月15日、「HERO」)※ライブ会場からの生中継。インタビューは行われず、ランキングされた順位の放送時間に合わせ、ライブ会場から「HERO」が歌われた。尚、ライブ会場では、生中継されている事は告知されなかった。
  • 南佳孝(1981年4月2日、「スローなブギにしてくれ」)
  • 松任谷由実(1981年10月8日、「守ってあげたい」)
  • 忌野清志郎+坂本龍一(1982年3月25日、「い・け・な・いルージュマジック」)
  • RCサクセション(1982年8月5日、「サマーツアー」)
  • 一世風靡セピア(1985年8月22日、「風の唄」)※ちなみにランクインしていた時期はすべて欠席。
  • 池田政典(1986年9月25日、「ハートブレイカーは踊れない」)※「FORMULA WIND」で初のランクインも「月間ベストテン」の日で生出演できず(先述)
  • 渡辺満里奈(1987年4月23日、「マリーナの夏」)
  • 守谷香(1987年6月18日、「予告編」)
  • 久保田利伸(1988年4月28日、「You Were Mine」)※スタジオでの出演ではなく、コンサートをビデオ収録したものを放送した。尚、初登場のサインは行なっている。)
  • BE∀T BOYS(1989年6月15日、「誰よりもLady Jane」)※THE ALFEEとしては頻繁に出演している。

[編集] オリコンで1位を獲得しながらもベストテンでは10位以内に入らなかった曲

[編集] オリコンで20位以内に入らなかったがベストテンでは10位以内に入った曲

  • 「コーラス・ライン」(野口五郎)…オリコンでは24位、ベストテンでは9位
  • 「港・ひとり唄」(五木ひろし)…オリコンでは21位、ベストテンでは9位

[編集] ベスト3から翌週圏外へ

  • 「疑問符」(河合奈保子)1984年1月12日で3位が、翌週には12位に。
  • 「2 Much, I Love U.」(C-C-B)1987年6月25日で3位が翌週には11位に。
  • 「渚のファンタシィ」(酒井法子)1987年6月11日で初の3位を獲得したが翌週には15位に。
  • 「最後のHollyNight」(杉山清貴)1987年1月15日で2位が、翌週には15位に。

[編集] 2週以上ランクインされたが、1度しか披露されなかった曲

  • 「季節の中で」「長い夜」松山千春
  • 「守ってあげたい」松任谷由実
  • 「翼の折れたエンジェル」中村あゆみ
  • 「My Revolution」「悲しいね」渡辺美里
  • 「あッ」田原俊彦
  • 「みんなのうた」サザンオールスターズ
  • 「とんぼ」長渕剛
  • 「Get Wild」「COME ON EVERYBODY」TMN

[編集] 2週以上ランクインされたが、1度も披露されなかった曲

  • 長渕剛「激愛」
  • 渡辺美里「恋したっていいじゃない」


[編集] レコードが発売されていないのにスポットライト出演した曲

いずれもジャニーズ事務所所属タレントで、レコードデビューはしていないが、ビデオという形で楽曲が発表されていた為、「スポットライト」として出演。ちなみに、ザ・ベストテンでは「レコードデビューしていなくても、ランクイン出来た」ため、少年隊が出演した翌週、少年隊の楽曲がハガキのランキングで10位になったことがある。

[編集] ネット 、及び中継担当局

  • 秋田放送南海放送と1979年3月までのテレビ山口は技術協力(裏送り)扱いだった。
  • なおテレビユー山形は試験放送期間内のため最終回のみ放送した。(開局は、3日後の10月1日)
  • 南海放送は、日本テレビ系列にも関わらず木曜19時~21時はTBS同時ネット枠だったため、82年末と83年末の豪華版と83年4月と10月の5周年記念スペシャルだけネットしていた。(但し21時前に飛び降り)

[編集] スタッフ

  • 構成:秋元康、野村正浩
  • 美術デザイン:飯田稔
  • タイムキーパー:小南みどり
  • フロアディレクター:吉羽美弘
  • アシスタントディレクター:田代誠、石川眞実、小野寺廉、阿部龍二郎吉田裕二/野村正浩、吉羽美弘、市原博行
  • ディレクター:滝本裕生、久保嶋教生、山田修爾、五十嵐衛、田代誠、石川眞実、遠藤環、宇都宮荘太郎、斎藤薫、高田卓哉、大崎幹、小野寺廉
  • アシスタントプロデューサー:久保嶋教生、宇都宮荘太郎
  • プロデューサー:渡辺正文、弟子丸千一郎、久保嶋教生、山田修爾、斎藤薫

[編集] 同時期に放送された他局の音楽番組

  • 夜のヒットスタジオ(フジテレビ)-1970年代末~1980年代にかけてベストテンと共に音楽番組の「両雄」として君臨。ランキング形式ではなく、歌や歌手の個性に焦点を当て、海外アーティストや女優・男優などをも網羅する総合音楽番組としてベストテン番組主流の中でも異なるカラーを打ち出した。ちなみに歌のないインストルメンタルのFUSIONバンドも出演している。
  • NTV紅白歌のベストテン(日本テレビ)-「NHK紅白歌合戦」の雰囲気をそのまま毎週茶の間に届けるとのコンセプトでスタート。日本テレビでのその後続く「トップテン」シリーズの礎を築いた。
  • ザ・トップテン(日本テレビ)―1969年より12年近く続いた「紅白歌のベストテン」がこの「ベストテン」人気を背景として完全チャート形式番組にリニューアルする形で1981年にスタート。5年間続いた後、1986年春に「歌のトップテン」に改称。ベストテンとはランキング決定方式が若干異なる。
  • 歌のトップテン(日本テレビ)―「ザ・トップテン」に続き放送。ベストテン終了から半年後に終了し、これにより日本テレビ月曜20時枠の音楽番組シリーズの歴史は幕を閉じた。
  • ビッグベストテン(フジテレビ)―「夜のヒットスタジオ」のスタッフを中心として、金曜20時枠で放送。しかし、二番煎じの線が否めず半年で終了した。
  • ザ・ベストヒット'83(テレビ朝日)―「ビッグベストテン」と同じく模倣番組の類の一つ。ホテルの広間を会場とした公開生中継で、全体の雰囲気をディナーショー風に仕立てていたのが新機軸。ただしパジャマ姿で登場の「わらべ」に対し、司会陣の一人であるビートたけしが「いやー、ホテルの雰囲気にぴったり」と皮肉を言わざるを得ないほどで、新機軸は空回りに終わっている。
  • ザ・ヤングベストテン(テレビ東京)- アイドル系の楽曲のみランクインした。

[編集] 雑記

週刊誌のテレビ番組案内では正式な出演者が判らず、当日の出演者が新聞テレビ欄に掲載され、そこで初めて出演者を知るのであった。それが日頃同番組を見ない視聴者も「この人が出るから見ようか」という気にさせたりした木曜朝の楽しみがあった。また真新しい出演者の名があると「多分この人はスポットライトだな」と思いきや堂々のベストテン入りだったりといった時もあった。

[編集] 関連項目

[編集] 関連書籍

  • 「別冊ザテレビジョン ザ・ベストテン~蘇る!80'sポップスHITヒストリー~」(角川インタラクティブ・メディア、980円)

[編集] 外部リンク

[編集] 前後番組の変遷

TBS 木曜21時枠(1978年1月 - 1989年9月)
前番組 ザ・ベストテン 次番組
トップスターショー・歌ある限り 愛し方がわからない(ドラマ番組)
※スポンサー枠での次番組は木曜22時枠の「音楽派トゥギャザー」に移行
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