大姥局
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大姥局(おおばのつぼね、大永5年(1525年) - 慶長18年(1613年))は、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母。今川氏家臣岡部貞綱の子で夫は穴山梅雪家臣の川村善右衛門重忠。甥に徳川家家臣の岡部永綱がいる。
[編集] 生涯
夫の川村善右衛門重忠は最初今川家に仕え、人質時代の徳川家康の世話役であったが、今川家衰退後は夫ともども北条氏に仕えた。重忠の死後しばらくは駿河で暮らしていたが、生母を幼くして亡くしていた家康の子・秀忠の乳母として浜松城に召し出され、後に江戸城に移され、草創期の大奥で権勢を振るう。
秀忠は恐妻家で、嫉妬深い正室の於江与の方(のちの崇源院)には頭が上がらず、側室を持つことも許されなかったとされているが、一度だけ大姥局の侍女であったお静(のちの浄光院)に手を出し、妊娠させてしまう。これを知った大姥局はお静を庇護し、正室・於江与の方からかくまって、無事に出産させた。(生まれた子・幸松は大姥局と懇意にしていた見性院の養子となり、後に会津松平家を創始した保科正之となっている。)