大島鎌吉
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男子 陸上 | ||
銅 | 1932 | 男子 三段跳び |
大島鎌吉(おおしま けんきち、1908年11月10日 - 1985年3月30日)は、日本の陸上競技選手。ロサンゼルスオリンピック銅メダリスト。元三段跳び世界記録保持者。元大阪体育大学副学長、大阪体育大学名誉教授。JOC名誉委員でもある。石川県金沢市出身。関西大学卒業。
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[編集] 来歴
幼少時から天賦の才能を発揮し、俊足で鳴らした。1932年、ロサンゼルスオリンピック陸上男子三段跳びに出場。金メダル獲得が期待されたが、直前に風呂で大やけどを負うアクシデントに遭い、最悪のコンディションで大会に臨むこととなった。しかし、大島は持ち前の地力を発揮し、気力で3位に入り、銅メダルを獲得した。1936年のベルリンオリンピックでも有望視されたが、6位入賞を果たしたもののメダルには手が届かなかった。
大学卒業後は毎日新聞社へ入社。運動部記者として活躍し、定年まで勤め上げた。定年退職後は大阪体育大学副学長に就任し、のちに大阪体育大学名誉教授となった。また、陸上界きっての理論派として知られ、ドイツ語が堪能だった。訳書も多い
引退後は指導者としても力を発揮し、最新鋭のトレーニングをいち早く取り入れるなど、日本陸上界の近代化に大きな役割を果たした。1964年の東京オリンピックでは、強化本部長を務め、選手団団長も務めた
[編集] 人物
- 1980年のモスクワオリンピックボイコット問題に関し、選手の個人資格による出場を画策したが、各方面からの圧力により頓挫した
- ベルリンオリンピックの際、国際情勢に興味を持っていた大島は、アドルフ・ヒトラーへの謁見を画策。たまたまドイツに駐留していた日本軍の高官に大島姓の人間がいたことから、その人物になりすましてヒトラーとの面会を果たした。ヒトラーと20分間にわたってドイツ青年の体育への取り組みについて議論したという。この件に関し、軍からのお咎めはなかった。
[編集] 主な著書
- オリエンテーリング
- オリンピックの回想(訳書)
- オリンピックの歴史(訳書)
[編集] 関連人物
カテゴリ: 日本の陸上競技選手 | 日本のオリンピック選手 | 日本のオリンピック銅メダリスト | 石川県出身のスポーツ選手 | 三段跳び選手 | 1908年生 | 1995年没