大庄地区
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大庄地区(おおしょう ちく)は、兵庫県尼崎市の西南部、旧大庄村に属する地区の名称である。西立花町、武庫川町、道意町、崇徳院、蓬川町、浜田町、大庄北、大島、大庄中通、大庄西町、稲葉元町、稲葉荘、中浜町、元浜町などが含まれる。
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[編集] 歴史
- 江戸時代、尼崎藩領に含まれ、今北、西大島、東大島、浜田、東新田、西新田、道意新田、中浜新田、又兵衛新田の9村に分かれていた。
- 1934年(昭和9年)、室戸台風の直撃を受け、甚大な被害を被る。死者99人、負傷者164人、流出家屋171戸、全壊家屋11戸、半壊家屋49戸、床上浸水571戸、床下浸水1,136戸に及んだ(当時の総戸数は3475戸)。
- 1937年(昭和12年)、新村役場(現・大庄公民館)が竣工。1932年(昭和7年)に村役場用地は買収が済み、1933年(昭和8年)には設計が進行していたが、室戸台風の被害により、中断。建築家の村野藤吾(1891年 - 1984年)に設計を依頼。鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階の当時としては最先端の庁舎であった。その背景には、昭和10年代の大庄村が、災害復興事業の推進と同時に、臨海部の工業化につれて、急速な都市化を果たし、数年間で人口が倍増を繰り返し、毎年、大幅な歳入超過を記録し、「日本一の大村」と称されていた状況があった。それでも、村役場の建設費は、当時の村の年間歳出額の半分に相当する16万円であった。
- 1942年(昭和17年)、大庄、武庫、立花の3村が、尼崎市に合併される。1924年(大正13年)に尼崎市が「尼崎市計画区域」を決定し、小田、大庄、立花、武庫、園田の5村との連携強化、1市5村による単一都市圏整備の必要性を説く。大庄村では、武庫川対岸の鳴尾村などとの合併を構想する反対派と、尼崎市との合併を推進する派との対立が続いていた。前年に合併推進派の平瀬巌若が村長に就任し、合併が決定される。なお、反対派の合併構想では、「武庫川市」という新市名が検討されていた。
[編集] 史蹟・文化財
- 武庫川氾濫なごりの小山
- 大島神社
- 松原神社
- 浄専寺
- 大庄公民館
- 雉ヶ坂
- 安土桃山時代、本能寺の変の後、毛利攻めからとって返した羽柴秀吉軍を、明智光秀勢が武庫川河畔の街道の渡し場であったこの地で待ち伏せたとされる。秀吉勢がまさに川を渡ろうとした時、雉の群れが飛び立ったことで、明智勢の待ち伏せが発覚し、秀吉軍は難を逃れることができた、という伝説の地である。但し、史実としては認められていない。
- 素盞鳴神社
- 楠霊神社
- 大庄村道路元標
- 菜切山
- 琴浦神社
- 道意神社
[編集] 文化施設・公園
- 大庄地区会館
- 大庄公民館
- 大庄南公民館
- 稲葉荘公民館
- 阪神浜田球場
- 南の口プール
- 蓬川公園
- 尼崎21世紀の森
- 海づり公園
- サンランド武庫川
- 元浜緑地
[編集] 交通アクセス
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