大門和彦
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大門 和彦(だいもん かずひこ 1965年5月31日 - )は日本の元プロ野球選手の実業家。京都府宇治市出身。京都府立東宇治高等学校卒。投手、右投げ右打ち。
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[編集] 来歴・人物
1983年、ドラフト4位で大洋に入団。チームのエース遠藤一彦にそっくりな流麗なフォームも有ってか「遠藤二世」と大きく期待された。大洋時代は阪神に滅法強く、フォークボールを武器に主に先発で活躍した。また投手ながらバッティングが得意で、自ら先発した試合で3安打を放ち、しかも勝利投手にもなっている。
1993年、チームの先輩の高木豊、屋鋪要、松本豊、市川和正、山崎賢一とともに突然の解雇通告を受ける。大門は自由契約になりかつてカモにしていた阪神に移籍したが僅か5試合の登板に留まり現役を引退した。
引退後は同時に解雇され引退した市川が勤める保険会社ソニー生命保険に入社。営業マンとしてメキメキ成績を上げ2002年独立し、コンサルティング会社「IDC-アイディーコンサルティング株式会社」を設立した。またプロ野球OBとして少年野球教室などで指導している。
[編集] 背番号
- 54(1984年~1991年)
- 14(1992年~1993年)
- 41(1994年)
[編集] エピソード
- 1990年の横浜スタジアムでの対広島戦でロデリック・アレンに死球を与え乱闘騒ぎに。この時逃げる際の3段階でアップになる大門のホラーな顔表情と、アレンに追いかけられ必死に外野まで逃げるシーンがフジテレビのプロ野球珍プレー好プレー大賞で面白おかしく取り上げられた。
- 中学2年の時に受けたツベルクリン注射の結果が悪く、8ヶ月間の運動停止を言い渡されてその間は野球はおろか体育の授業さえも受けることができなかったが、幸いにも3年の春の大会には間に合う事ができた。
[編集] 通算成績
- 233試合 36勝 52敗 3セーブ 完投16 完封4 投球回807 奪三振558 防御率3.86
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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