大阪市交通局3001形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大阪市交通局3001形電車(おおさかしこうつうきょく3001がたでんしゃ)は、1956年に製造された、かつて大阪市交通局(大阪市電)に在籍していた路面電車車両で、大阪市電の「和製PCCカー」の決定版であり、日本の戦後の路面電車を代表する形式のひとつでもある。
目次 |
[編集] 概要
3001形は、1956年6~8月に3001~3050号の50両が製造された。車号と製造所は以下のとおり。
- 3001~3020 : ナニワ工機、電装品:三菱電機、台車:住友金属工業
- 3021~3030 : 帝国車両、電装品:東洋電機製造、台車:住友金属工業
- 3031~3050 : 日立製作所、電装品:日立製作所、台車:日立製作所
車体は、戦後増備された3000形に始まる新・大阪市電スタイルの近代的な車体(車体長12.5m)で、2201形で改良された前面の行先方向幕と系統幕の配置及びヘッドライトの位置を継承し、側面窓配置もそれまでに製造・改造された3000形・2201形・2601形と基本的なデザインを揃えながら、車掌台部分の窓を従来の落とし込み窓から引き違い窓となったことで、車掌の車外監視を容易なものとした。このため窓配置はD5D13となっている。新・大阪市電スタイルの車体は3001形で完成し、その後の2600形の改造車も同一のデザインとなったほか、南海大阪軌道線501形・351形をはじめ、和歌山電気軌道311形・2001形・南海和歌山軌道線321形などがよく似たデザインの車両としてデビューするなど、各地の路面電車車両に大きな影響を与えた。
内装は3000形のセミクロスシートではなく、ロングシートを採用した。これは3000形や2201形での弾性車輪使用の結果、ロングシート車でも弾性車輪の使用について差し支えなしと判断したためである。
台車は住友金属工業製がFS252、日立製作所製がKL-7で、いずれもコイルバネを枕バネとする揺れ枕を側枠中央に吊り下げた、ウィングバネ式の鋳鋼製台車であった。
ブレーキは電気ブレーキとセルフラップ式の空気ブレーキを採用したほか、台車には非常ブレーキとして電磁吸着式のトラックブレーキ(EF63と似たもの)を装備し、このため各台車の側枠に軸箱間を連結するサイドバーが渡され、これにトラックブレーキ本体が懸架されていた[1]。トラックブレーキが作動するときには乗客の転倒防止のために車内でブザーが鳴ったほか、運転台窓下についた黄色の非常ブレーキランプが点灯して、後続車に注意を呼びかけた。
主電動機は三菱電機MB-3016-A、東洋電機TDK-851-A、日立製作所HS-503-Grbの3種が採用され、いずれも端子電圧300V時定格出力30kW/1,600rpm(最高許容回転数4,000rpm)の直流直卷式自己通風型、と同一仕様で揃えられ、各台車に2基、合計4基を搭載し、駆動方式は3000形同様に歯数比7.17の直角カルダン駆動であった。3000形に比べると60馬力パワーダウンしたが、これは3000形の出力がオーバースペックと判断したためであると思われる。
3001形は3000形の高加減速、防音、防振といった要素を見事に引き継ぎ、中でも防音・防振の分野では走行音がジョイント音がかすかに響くぐらいの大変静かなもので、乗客からは「ひそひそ話もできない」とまで言われた。乗り心地も柔らかいコイルばねのおかげで不快な振動が発生せず、軌道状態のよい区間や前方に障害物がない場合では滑るような乗り心地を発揮した。
このように静かで乗り心地のよい3001形は利用者から好評を持って迎えられた。交通局からは3000形同様「無音電車」と命名されたが、当時上映後間がなかったジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の名画『静かなる男』にひっかけて「静かなる電車」というあだ名を奉られた。
[編集] 運転面から見た3001形
3001形は高性能の高加減速車であったため、使いこなせばすばらしい性能を発揮したが、使いこなすまでは従来車とあまりにも運転動作が違いすぎるために、戸惑う乗務員が多く現れた。加速の際のマスコン操作は従来車とあまり変わりがないものの、三菱、日立の両社製間接自動制御器はいずれもカム軸式の自動進段機構を備えていて追いノッチ操作ができず、交差点通過などの急加速時には別途アドバンス・スイッチを操作する必要があったため、直接制御器に慣れたベテラン乗務員を困惑させた。また、制動時には15km/hまではマスコン操作による電気ブレーキ、15km/h以下になって空気ブレーキを使うこととなっていたのだが、従来の習慣でいきなり空気ブレーキで制動をかける乗務員が多かったことから、ドラムブレーキを焼きつかせる故障が続発した。さらに、力行中に制動に移る場合もカム軸の回転によるアイドルタイムが数秒入るため、電気ブレーキがすぐに利かずに接触事故を起こす事例もあった(これは各都市の間接制御車においても同様の事例が見られる)。このために、従来の直接制御車に慣れたベテラン乗務員の中には3001形を敬遠するものも見られたが、若手乗務員の中には高加減速性能を見事に使いこなし、高性能を十二分に発揮して3001形への乗務を歓迎する乗務員が現れた。信号や道路条件がよければ、南北線(四ツ橋筋)で大阪駅前~難波駅前間を12分(地下鉄で10分)で走ったり、肥後橋~湊町駅前間を7分(地下鉄で6分)で走破することもあった。地下へのアクセスタイムを考えれば、地下鉄と十分に勝負できる速さといっていい。また、道路上で併走するバスやタクシーの運転手からは、通常の市電なら加速時に楽々引き離せるものが、3001形の場合は負けることなく追いつくので驚いた、という話がある。
[編集] 配属及び運用
3001形は3001~3030が天王寺車庫に、3031~3050が都島車庫にそれぞれ配属され、大阪市電の幹線である南北線、堺筋線、上本町線といった南北の幹線やそれに接続する土佐堀南岸線、守口線などで活躍した。この他にもラッシュ時の応援運行で他車庫担当の九条高津線や鶴町線などにも入線したことがあるほか、夏の海水浴シーズンにはまだ海がきれいだった三宝線沿線の海水浴場への臨時電車にも起用されている。また、工場出場後の試運転で、三宝線や西野田桜島線などを走ったことがある。同じ和製PCCカーである東京都電5500形が1系統(品川駅~銀座4丁目~日本橋~上野駅)専属運用だったのに比べると、3001形は大阪市電の標準的な寸法の車体であり、まとまった両数があったことから、市内各所で活躍することができたといえる。
[編集] 短い栄光
3001形が登場した1956年前後が戦後の大阪市電の全盛期であった。しかし大阪市内におけるモータリゼーションの進行は早く、1960年代に入ると市電の走行環境を大いに脅かすようになった。このような状況下で大阪市交通局は市電事業に見切りをつけ、地下鉄への代替を図るようになる。3001形のメインラインでは、1963年に南北線が、1966年に堺筋線がそれぞれ地下鉄建設のために廃止された。同時に進行した市電ネットワーク崩壊の過程で、1966年から3001形の余剰廃車が始まり、1967年以降は天王寺車庫の廃止によって3001形は全車都島車庫に集中配置された。その後も3001形は徐々にその数を減らしながらも市電最後の日まで活躍を続けた。3001形最後の晴れ舞台となったのは、1968年に数回実施された「おなごり乗車会」で、交通局主催の乗車会では3001形が起用され、当時残存していた路線のほぼ全区間に入線した。
廃止後、3050が交通局の保存車に指定され、現在も緑木検車場内の市電保存館で保存されており、公開日には他の保存車ともども展示されている。譲渡車両としては3021~3024を連接車に改造した鹿児島市電700形があったが、すでに全車廃車済みである。また、南米のある国が3001形の譲渡を打診してきたが、途中で立ち消えになってしまった。この他にも、個人や学校などに払い下げられた車両が30両前後あり、現在でも一部の車両が残存している。
このように、大阪市電3001形は最後はモータリゼーションの荒波にのまれて不遇な面があったにせよ、和製PCCカーとしては名古屋市電1900形・名古屋市電2000形と並んで最も成功した車両となった。その後、日本においてはこれらの和製PCCカーに比肩する性能を備えた路面電車向け車両は、特殊な使用環境にあった京阪80形(1961年)を例外とすると、1980年竣工の軽快電車(広電3500形、長崎2000形)まで出現せず、日本の路面電車は実に約4半世紀の長きにわたって技術的な停滞の中に留められることとなった。
また、他都市で和製PCCカーの導入失敗事例が相次いだ中、大阪市電が3001形の導入に成功したのは、3000形の導入から慎重にステップアップを図って技術の熟成を待ち、3001形の製造時に当時最高の技術を実用的なレベルで導入することに成功した、当時の車輌課長宮本政幸の手腕によるところが大きかったといえる。この他の理由としては、名古屋・大阪の両都市では同時期に交通局が地下鉄を保有していた関係で、間接制御などの(路面電車としては新しい)技術に慣れていたことも、この両都市が和製PCCカーを長く多く運用できた一因とする見方もある。
[編集] 脚注
- ^ トラックブレーキ本体の線路面からの高さを一定範囲に保つ必要からこのような構造が採用された。ただし、後年このサイドバーを取り外す工事が一部で施工されている。
[編集] 参考文献
- 『第二すかたん列車』 吉谷和典著 1987年 日本経済評論社
- 『なにわの市電』 小林庄三著 1995年 トンボ出版
- 『大阪市電が走った街 今昔』辰巳博著 福田静二編 2000年 JTB
- 『路面電車の技術と歩み』 吉川文夫著 2003年 グランプリ出版
- 『路面電車の歴史に輝く名車たち』 『鉄道ダイヤ情報No.110』 1993年6月 弘済出版社
- 『大阪市交通局特集PartIII 大阪市電ものがたり』 『関西の鉄道』42号 2001年 関西鉄道研究会
- 『全盛期の大阪市電』 『RM LIBRARY 49』 2003年8月 ネコ・パブリッシング