東京都交通局5500形電車
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東京都交通局5500形電車(とうきょうとこうつうきょく5500がたでんしゃ)は、東京都交通局(東京都電)の鉄道車両(路面電車)である。営業運転開始当初は「防振防音電車」と公式に呼ばれていた(その他「和製PCCカー」とも呼ばれた)。
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[編集] 概要
1953年より新造を開始。アメリカで開発したPCCカーのライセンスをウェスティングハウス・エレクトリック社より購入の上、その技術を取り入れ製造した車両である。
最初に竣工したのは5502であった。これは都電で初めて、日本でも京阪電気鉄道、東武鉄道に次いで3事業者目にカルダン駆動方式を、集電装置は都電初のパンタグラフを採用した。ブレーキ装置も電気指令式を採用している。屋根には換気装置であるファンデリアを搭載している。
主要機器類は本来6500形用に準備していたものを、後述の5501の工期遅れから、新車への都民の期待に応えるべく急遽5501同様の車体を新製し、こちらに振り替えたものである。5501と異なり、電装品は三菱電機製、台車は住友金属工業製。車体はナニワ工機製である。3社の頭文字をとって“MSN車”なる呼称もある。この為6500形(当初は6000形の6291を予定していた)の電装品は後日改めて同一のものを再発注した。
遅れて翌年の1954年に5501が製造された。竣工当初は手動マスコンで操作する方法ではなく、日本の鉄道車両では極めて珍しく、かつアメリカ本国のPCCカーの標準装備である自動車と同様の足踏みペダル式を採用した。また台車部分も車体(スカート)に覆われているのが特徴である。アメリカ製の部品を一部採用しているのが特筆される。台車は内側台枠で、レール圧着ブレーキ、直角カルダン駆動方式、主電動機は各台車に両軸モーター1台装備である。車体外観も5502や5503~5507とはかなり異なる。5500形は形式全体でPCCカーと呼ばれることもあり、更に同時代の高性能車は、大阪市電3001形(通称:無音電車)や名古屋市電1820形、土佐電500形(都電6000形同様の車体を持った純国産高性能車)等の路面電車のみならず、極端な場合京阪1800系等の高速電車に至るまでPCCと呼ばれることすらあったが、日本国内における純正はこの5501のみである。
1954年より翌1955年にかけて上記2両の他に5503~5507が竣工。この5両は5500形の量産車と言える。但し、運転台での運転操作方法は5502同様の手動マスコン方式となったため、ペダル式は採用されなかった。車体は細部を除き5502をベースとしたものである。
[編集] 主な特徴
- マイク式の放送装置を都電では初めて採用した。
- 蛍光灯照明を採用し、都電従来車と比較して照明数を多くしている。
- 都電車両では全長が最大となっている。
- 尚特殊な構造と大型の車体である事から、芝浦にあった工場に近い三田車庫に所属し、都電1系統(上野駅-銀座-品川駅)のみでしか使用出来なかった。
[編集] 改造
- 竣工当初はパンタグラフであったが、1960年代前半にビューケルに換装された。
- また塗装がクリーム色に近いものから後年は黄身のやや強いものに変更されている。
- 5501のペダル式のノッチ・ブレーキ装置は1960年に通常のマスコン式に改造された(運転部門・車両部門の現場からの要請によるもの)。
[編集] 運用と廃車
前述の様に構造等の面から1系統以外の都電の他の路線に入線する事が出来ず(事実14m級の大型車体は1系統での限定運用を見込んでのものだった)、又、他の都電車両と比較して、特殊な電装品の構造が保守面で手間が掛かる事等があった(5500形が芝浦にあった工場に近い三田車庫に配置され、運用終了まで一貫して転属しなかったのもそれが理由である)ので、1967年12月、第1次都電本格撤去の開始と同時に廃車された。
その後、5501のみ上野公園にて保存されていたが、野外での展示だったため荒廃が進み、後に荒川線の荒川車庫に移され、その際に一度修復が行われた。しかしそれからも歳月が経過し、近年は荒川車庫の片隅に雨ざらしで車体が相当に腐食していたが、東京都交通局では再度修復の上、荒川車庫内のスペースで再度静態保存する計画を発表している。これに伴い荒川電車営業所から3月中に搬送された。尚5502~5507は廃車後解体されており現在は存在していない。
[編集] 主要諸元
[編集] 関連項目
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