姫路市交通局
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姫路市交通局(ひめじしこうつうきょく)は、兵庫県姫路市の交通運営部門である。市営バスを運営している。かつてはモノレールと書写山ロープウェイも運営していた。
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[編集] 沿革
- 1946年(昭和21年) - 市営乗合自動車業務開始。
- 1958年(昭和33年)3月19日 - 書写山ロープウェイ運行開始。
- 1966年(昭和41年)5月17日 - モノレール線、姫路駅~手柄山駅間(1.6km)が開業。
- 1972年(昭和43年)12月、翌1973年4月の二度に分けて神姫バスと路線交換・再編成。
- 1974年(昭和49年)4月11日 - モノレール線休止。
- 1979年(昭和54年)1月26日 - モノレール線正式廃止。
- 1992年(平成4年)10月1日 - 書写山ロープウェイリニューアル。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 書写山ロープウェイを姫路市観光交流推進室に移管して運営から撤退。
[編集] 姫路市営バス
戦後の混乱期に民間事業者のバスがストライキ等で麻痺した経験から、市民のための交通機関として石見元秀市長が主導して設立された。開業初期は車両が足りず、トラックに幌をかけて客席を取付け、幌バスとして運転したりした。
以前は神姫バスとの競合路線も多く非効率だったため、主に市域の中部から南部を市営バス、市域の東部・北東部・北西部や市域外にかけては神姫バスのエリアとして路線交換を行った。
モータリゼーションの進展と、運行エリアがインナーシティ問題や重化学工業衰退の影響を強く受ける地区のため経営状況は非常に厳しい。累積欠損額は約12億7千万円に達しており、様々な合理化が行われている。
2006年10月に読売新聞の情報公開請求により、2004年7月22日にJR姫路駅付近を走行していた同市営バス回送バスが前方に急な車線変更を行った車に激怒した運転手がその車に対し煽り運転をしたあげくに追突事故を起こしたのにも関わらず、警察へ事故を届けずに運転手の処分も事故発生後に訓告処分を行っていたことが発覚した。警察もこの情報公開請求を行った2006年10月に事件を知り、調査することとなった。
- 営業路線 27路線52系統
- 営業距離 135.27km
- 輸送人員 15,025人/日
(この段落の数値:平成14年度末。2004年4月の姫路市交通事業検討懇話会資料より)
[編集] 姫路市営モノレール
交通混雑の緩和と市勢拡大を目指して、市南部の工業地域や市北部の住宅地域と都心を結ぶ目的で企画され、1966年、手柄山で開催された「姫路博」会場への輸送機関という名目で、姫路(仮)駅~手柄山駅間を先行開業させた。
運行距離も短く、終端が山上の都市公園内という立地もあって姫路博終了後は利用者が激減(※)。開業後に建設推進派の石見元秀が市長選挙で落選し、反対派の吉田豊信が当選したことや、当時は国からの補助金交付制度がなかったこともあり、累積赤字が膨らみ路線が延伸されないままわずか8年で営業休止となった。その後1979年に正式に廃止された。
- (※)起終点の立地もさることながら、「手柄山から姫路駅まで何人かでタクシーに乗った方が安い」あるいは「バスなら同じ運賃で2人乗っておつりが来る」と酷評された高額な運賃設定の影響が大きかった。
廃止後も軌道桁などの設備は、撤去費用や起債の償還等の問題もあり放置されていたが、一部で歩道化など再利用についての検討も行われていた。この間、休止中は実施されていた、保線車両による保守が廃止で取りやめとなった結果、「饋電線落下事故」を阻止できず、このため以後は他事業に絡む部分から撤去が開始された。しかし恒久施設として建設された鉄筋コンクリート製橋脚の解体や、大型レッカー車の手配を要する軌道桁の撤去はその費用があまりに膨大であり、現在でも軌道桁や橋脚の一部が残存している。
[編集] 駅一覧
姫路駅 - 大将軍駅 - 手柄山駅
姫路駅は仮駅として建設されたため、軌道桁が神姫バスの姫路バスターミナル直前で断ち切れ、終端部に車止めが設けられているだけのシンプルな線路配置で、駅舎も仮設の簡素なものであった。延長時には、大手前通りをまたいで東側に直進する予定であり、これに備えて国鉄姫路駅構内の播但線ホームの北側に正規の駅用地の一部が確保されていた(※)。
- (※)このためこの地区には現在も旧国鉄用地に食い込むようにして、姫路市有地が存在している。
これに対し、恒久施設として建設された大将軍駅は、アパートなどが入居する高層ビルの途中階が吹き抜け構造とされ、そのままホームと軌道が設置されているという、他にあまり例のない構造である。
手柄山駅は山の斜面に埋め込まれたおとぎの国の城をモチーフとしたようなデザインの建物の中心に開口したトンネルの中に軌道と列車が吸い込まれるような構造であった。この手柄山駅の奥にはトンネルの出口が存在し、車両はここでスイッチバックして検車線に入っていた。このスイッチバック構造は飾磨方面への延伸を考慮して用意されたものであり、ここに設けられた巨大な可動部を持つポイント機構は、ロッキード式モノレールのものとしては本線用として日本で設置された唯一のものであった。
[編集] システム
跨座式モノレールであり、ロッキード式と称された。軌道桁の上に設置された一本の鉄製レールの上を鉄車輪で走行する方式である。高速走行も可能で、一般的な鉄道車両技術とも一定の共通性があり都市交通機関として発展が期待された。しかしながら、その走行時の騒音は後年日本跨座式として標準化された、ゴムダイヤを用いる日立アルウェーグ式に比べて格段に大きく、特に国鉄山陽本線を乗り越えるトラス橋を中心とする、鋼製橋梁部分の通過時には、大きな反響音が発生した。しかもその最終期はシステム開発に携わったロッキード社がモノレール市場そのものから撤退して日本ロッキード・モノレール社が解散、これに伴う補修部品の供給難と予算不足で車両、軌道共に保守状態が悪化していた(※)ために乗り心地が著しく低下してもいた。
- (※)部品不足を補うため、4両在籍した旅客車の内1~2両を休車として部品の補填を行っていた。
最高160km/hまで可能とされた高速走行のメリットを除外すれば、鉄車輪と鉄軌条を用いるこのロッキード式は急勾配登坂能力と静粛性の点で不利であり、遊園地の送迎はともかく未来の都市交通の担い手として考えた場合、部品供給を絶たれたこの方式の継続使用に合理性を見いだすことは著しく困難であった。
ロッキード式は日本国内では他に小田急電鉄向ヶ丘遊園モノレールに採用されたが、こちらは部品を自社工場で製作する技術力と資金力があり、しかも鉄道車両と親和性の高いシステムであったことで保守上致命的な問題が長期にわたって発生せず、姫路市営線の廃止後も長く運行された。
[編集] 車両
開業時に片運転台式の100形101・102、両運転台式の200形201・202の計4両が川崎航空機で製造された。
アルミニウム合金製の部材を沈頭鋲で組み立てるという、完全に航空機の流儀で設計された軽量セミモノコック構造の流線型車体で、全長15m、全幅2.9m、自重18t(100形)あるいは18.4t(200形)であった。車体前面は曲面ガラスと貫通扉を組み合わせ、100形の連結面と200形には貫通幌が装着された。側窓は軽量化と転落防止の意図から全固定式とされた。窓配置はd1D4D11(100形。d;乗務員扉、D:客用扉、D隣接の1枚窓は戸袋窓で幅が約半分、それ以外は約1.5m幅の広窓を採用した)、あるいはd1D4D1d(200形)である。車内は窓配置に合わせた固定式クロスシートのみという、当時としては贅沢な設計で、固定窓採用で換気ができないことから、天井にはファンデリアが設置され、常時稼働で強制換気を実施した。
電装品は端子電圧300Vの75kW級主電動機を4基搭載、直角カルダン駆動により各台車の各車輪を個別に駆動し、4.0km/h/sという高加速性能を実現した。
台車はダイアフラム式空気バネとトーションバーを組み合わせた、特徴的な構造の2軸ボギー式で、610mm径(※)の弾性車輪を採用、タイヤのフラット発生が直接乗り心地に悪影響をおよぼすため、自動車によく見られたドラムブレーキが採用された。ブレーキシステムは三菱電機製HSC電磁直通ブレーキで回路構成の簡略化のためか発電制動はなく、減速度は4.0km/h/sである。
- (※)車輪径が610mmと小型であるため、コンパクトかつ低い車高で完全にフラットな床面構造を実現していた。
[編集] 現状
モノレール姫路駅跡は神姫バスターミナル及び山陽百貨店新館となった。大将軍駅は上層部のビルや東側の軌道桁も含めほぼ当時の姿のままである。手柄山駅はトンネル状の入り口が封じられ、その中に当時の車両が眠っている。軌道は他の交通機関に支障する部分を中心に撤去されたが、軌道跡下にビルなどが建っている部分などには橋脚や軌道桁が撤去されずに残っている区間がある。
[編集] 政策的特徴
全体構想は一般的な市内交通としての位置付けだったが、開業区間は都心地域と都市公園(手柄山総合公園)を地理的に近づける水平エレベーター(短距離の公共交通機関をエレベーターに例えたもの)としての機能が意識されており、また手柄山公園の駐車場を利用したパークアンドライド・観光バスアンドライド(観光バスを郊外に起き公共交通機関へ乗り換えること)を実施するなど、非常に先進的な実施事例があった。また大将軍駅のある公団高尾アパートは、都市再開発と軌道敷を一体整備し、都心部での導入空間確保と市街地改善を同時に行う工夫として注目された。もっとも大将軍駅は姫路駅に近すぎて歩いた方が早いほどだったため利用客は見込みほど多くなかった。
[編集] 外部リンク
- 姫路市交通局ホームページ
- 姫路市営バス時刻表ダウンロード
- モノレールのしおり (個人サイト、計画線の調査や車両・軌道設計資料も掲載)
- 麗しの姫路モノレール (個人サイト、ロッキード式の詳しい資料も掲載)
- 28年眠り“姫” 姫路モノレール
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