富山弥兵衛
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富山 弥兵衛(とやま やへえ、天保14年(1843年) - 明治元年閏4月1日(1868年5月22日))は、新選組伍長、後に御陵衛士。薩摩藩出身。大久保利通が送りこんだ間者とされる。
伊東甲子太郎と共に入隊。伍長に任ぜられる。油小路事件ではその場を切りぬけ、薩摩藩に付く。伊東らを殺された怨みから、伏見街道で阿部十郎と共に近藤勇を銃撃し重傷を負わせる。
その後、越後国出雲崎で会津藩の動向を探っている最中に敵兵に怪しまれ、逃走を図って応戦するが、全身約50ヶ所を串刺しにされて死亡。遺体は、戦線にて埋葬されたが、墓碑が高田にあらためて合装墓が作られ遺体も移されたという。 その後、靖国神社に祀られる。
[編集] 小説
[編集] 参考文献
- 新選組史跡事典新人物往来社編