小森和子
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小森和子(こもりかずこ、女性、1909年11月11日 - 2005年1月9日)は映画評論家。旧姓は安彦(あびこ)。愛称は「おばちゃま」「小森のおばちゃま」。
[編集] プロフィール
東京都赤坂に生まれ育つ。東京府立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)卒業後、『婦人公論』誌編集部や、当時神戸にあったイギリスの船舶会社『P&O』の日本支店でOL生活を送る。32歳でNHK元会長の息子小森一郎と結婚。神奈川県藤沢市の鵠沼で終戦を迎えた。
1947年に『映画の友』誌の編集部に入って映画評論活動を開始。のち一身上の都合で『映画の友』誌の編集部を一方的に辞職し、そのために当時の編集長の淀川長治と一時険悪な関係にあった。
ジェームス・ディーンの熱狂的崇拝者として有名。三島由紀夫が戦後早々と渡米して、ジェームス・ディーン行きつけのバーを訪れたことを知るや、「その時にあなたが穿いていたズボンを頂戴。ジミーが座っていた場所に座っていた、そのズボンを」と要求し、三島を驚かせたことがある。
自らも、まだ日本人の渡米が困難だった時期に単身渡米して、ジェームス・ディーンの墓参を果たすと共に、『映画の友』編集者時代からの親友シャーリー・マクレーンの紹介でハリウッドを訪問。当時まだアメリカでは日本人女性が大変珍しかったのでフランク・シナトラたちから大歓迎を受けた。シャーリー・マクレーンの娘サチコの名前は小森和子の命名による。
宇野千代の愛読者。奔放な性遍歴と率直な人柄の持ち主としても知られ、菊池寛や川口松太郎や檀一雄の愛人だったことを隠そうともしなかった。
自分のことを「おばちゃま」と呼ぶことから小森のおばちゃまと親しまれ、片岡鶴太郎が小森のものまねをしたことがきっかけでバラエティ番組出演も多かった。
映画ファンが集まり語り合う場所として、六本木でムービーサロン『ココ』を主宰したことがある。晩年はパーキンソン病を患い、親類による財産乗っ取りがマスコミで報じられたこともあった。2005年1月9日午前1時42分、呼吸不全のため、東京都の自宅で死去。享年95
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