淀川長治
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淀川 長治(よどがわ ながはる、男性、1909年4月10日 - 1998年11月11日)とは、日本の映画評論家である。兵庫県神戸市出身。
- 旧制兵庫県立第三神戸中学校卒、日本大学予科除籍。
- その独特の語り口からサヨナラおじさんとして親しまれた。
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[編集] プロフィール
- 有名な芸者置屋の跡取り息子として神戸に生まれる。実母は、父の本妻の姪にあたった。長く病身で、自分に子ができないことを悔いた本妻が、妾として姪を夫に推薦したのだった。本妻は、生まれてまもない淀川を病床で抱かせてもらい、安心したように数日後に永眠。実母がその後、本妻になおった。姉が二人と、弟が一人いる。(弟はのち自殺。)映画館の株主だった親の影響で子供の頃から映画に精通。
- 旧制の兵庫県立第三神戸中学校(現在の兵庫県立長田高等学校)を卒業後、慶應義塾大学予科の入試に失敗し、日本大学予科に籍を置くが出席せずそのまま除籍となった。
- 雑誌『映画世界』の編集者として活躍。その後UIP(ユナイテッド・アーチスト映画社)の日本支社、東宝映画の宣伝部勤務、雑誌『映画の友』編集長を経て映画評論家として活動を開始。
- 1936年(昭和11年)2月、来日したチャップリンとの会談に成功している。その後日本におけるチャップリン評論の第一人者と言われる。
- 1960年代中盤に日本教育テレビ(現在、テレビ朝日)で放送された海外映画『ララミー牧場』の解説で脚光を浴び、中でも、1966年から始まるテレビ朝日系長寿番組『日曜洋画劇場』(当初は『土曜洋画劇場』)の解説者として、番組開始から死の前日までの32年の間、独特の語り口でファンを魅了し続けた。特に「怖いですねえ、恐ろしいですねえ。」や番組末尾の「それでは次週をご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら・・・。」は淀川の名台詞として語り草とされており、子供たちやタレントの小松政夫がこれをものまねするなど一躍お茶の間の人気者となった。かつてはその都度「さよなら」の回数が異なっていたが、ある日少年から直接電話をうけ、何回「さよなら」と言うかが少年達の間で賭けられている、との話を淀川が耳にした。このとき、淀川は少年に「賭けをするのは良くないことだ」と、諭し、それからは常に3回とするようにした。なお、回数が異なっていたのは、単に放送終了まで「さよなら」と連続して言い続けたからで、意図したものではないと本人が語っている。
- 横浜市鶴見区に自宅があったが、1987年末からは日曜洋画劇場の収録を行っていたテレビ朝日アーク放送センターと同じアークヒルズ内ある東京全日空ホテル34階のスイートルームで暮らしていた(「棺桶がちゃんと入るかどうか、エレベーターの大きさを調べて決めた」と徹子の部屋で明言)。スイートルームの広い部屋の中は映画に関する書籍や資料で埋め尽くされていたという。
- 生涯独身を貫いたのは、「淀川家の血筋を絶やさぬためだけに政略結婚させられた母が可哀相で仕方がなく、母に辛い思いをさせた淀川家に復讐するため、結婚せずに子供をつくらないことで血筋を絶やした」という痛切な告白を著書『私はまだかつて嫌いな人に逢ったことがない』の中で記述している。
- 「名作映画は、人類にとって最高の総合芸術である」などの言葉を残している。
- 1972年に公共広告機構初のCMに出演した。
- 1996年に著書「男と男のいる映画」で「子どものころから男が好きだった。」とホモセクシャルであったことを告白している。また、マーティン・シャーマンの戯曲『BENT』(同性愛が主題の戯曲)について「私はこれまでに映画や芝居でどれだけのラブ・シーンを見てきたかは数えきれないが、『BENT』のラブ・シーンくらい痛ましく悲しく美しく強烈なラヴ・シーンに接したことはなかった。」と言ったコメントも残している。また、アーノルド・シュワルツネッガーが来日した際に長寿の秘訣を聞かれた際にも「わかりました。じゃあ、お風呂でお聞きしましょう。」とコメントしている。
- なお、今や日本中で親しまれているシュワルツネッガーの愛称である「シュワちゃん」は淀川の命名したものである。
- 親友の黒澤明が死去した後の追悼放送で「夢」が放送された際、通常邦画の解説はしない(番組名に配慮して)淀川は喪服を着て解説に臨んだ(本人の意思か局側の要請かは不明)。
- 1998年11月放送の『ラストマン・スタンディング』の解説収録後、死去(1998年11月10日収録)。収録を黒柳徹子が見学しており、一回でOKが出た直後に「汚ない!」と言い切り、2回目のOKでうなずいて、車椅子でスタジオを出たとのこと(病院からのスタジオ入りだった)。※参考文献より。なお映画「ラストマン・スタンディング」は黒澤明の「用心棒」のギャング映画としてのリメイクである。
- 1998年11月11日午後8時7分、腹部大動脈瘤破裂が原因による心不全で死去。享年89。喪主は姪の編集者淀川美代子。
- 1998年11月15日の日曜洋画劇場の放送では最後の解説のあとに「淀川長治さん、32年間ありがとうございました。」というテロップが出た。ただ死去する数年前から「日曜洋画劇場」では視聴率が容易に取れる近来のアクション映画がプログラムの中心になっており、淀川が繰り返し語っていた「良い映画」をテレビで解説する機会はめっきり減っていた。
- 2006年12月20日には、自身の代名詞ともいえる日曜洋画劇場が放送開始から40周年を迎えたのを記念して、『淀川長治の名画解説』と銘打った前代未聞の『映画本編は一切収録されない解説者の解説のみが入ったDVD』が発売されている。このような作品が出ることは淀川の死後多くの者から要望があったが、死から8年経っての実現とあってファンを喜ばせた。このDVDには『スター・ウォーズ』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』といったSF作品から、『ローマの休日』のような古典作品も解説されており、特典映像として最期の解説となった『ラストマン・スタンディング』の解説も収められている。
[編集] 淀川長治のベスト集
(その折々で選出する作品等が異なる為、これらが決定稿とはいい難い。)
一本の映画 「キネマ旬報」1967年10月上旬号
- 「愚かなる妻」(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)
ミュージカル映画この一本 「キネマ旬報」増刊「ミュージカル・スター」(1968年)
- 「ウエスト・サイド物語(ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス)
日本映画史上のベスト3 「キネマ旬報」1979年11月下旬号
外国映画史上のベスト3 「キネマ旬報」1980年12月下旬号
- 黄金狂時代(チャールズ・チャップリン)
- 戦艦ポチョムキン(セルゲイ・エイゼンシュテイン)
- グリード(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)
- 大いなる幻影(ジャン・ルノワール)
- ベニスに死す(ルキノ・ヴィスコンティ)
オールタイム・スター ベスト5 「キネマ旬報」1985年1月上旬号
(男優)
- チャールズ・チャップリン
- オーソン・ウェルズ
- ルイ・ジューヴェ
- ローレンス・オリヴィエ
- スペンサー・トレイシー
(女優)
松竹映画 オールタイム・ベスト10 「キネマ旬報」1986年8月下旬号
- 戸田家の兄妹(小津安二郎)
- 浪華悲歌(溝口健二)
- 祇園の姉妹(溝口健二)
- 春琴抄・お琴と佐助(島津保次郎)
- 父ありき(小津安二郎)
- 秋刀魚の味(小津安二郎)
- 彼岸花(小津安二郎)
- 二十四の瞳(木下恵介)
- 女(木下恵介)
- 東京物語(小津安二郎)
- 張り込み(野村芳太郎)
- 復讐するは我にあり(今村昌平)
- マダムと女房(五所平之助)
- 元禄忠臣蔵 前・後編(溝口健二)
- 男はつらいよシリーズ(山田洋次)
- 天一坊と伊賀亮(衣笠貞之助)
- みかへりの塔(清水宏)
- 浅草の灯(島津保次郎)
- 生まれてはみたけれど(小津安二郎)
- 転校生(大林宣彦)
その他のベスト
[編集] 受賞歴
- 1986年、第4回川喜多賞受賞。
[編集] 参考文献
- 『徹子と淀川おじさん 人生おもしろ談義』(徹子の部屋での対談を纏めた本)NTT出版、2002年。光文社〈知恵の森文庫〉、2006年。