山口信夫
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山口 信夫(やまぐち のぶお、1924年(大正13年)12月23日 - )は、日本の実業家。旭化成会長。第17代日本商工会議所会頭。広島県甲奴郡総領町(現・庄原市)出身。21世紀臨調特別顧問、同台経済懇話会副代表幹事。
[編集] 来歴・人物
広島高等師範附属中学(現広島大学附属高校)から、1945年(昭和20年)6月陸軍士官学校(58期)を卒業し、旧ソ連タタール共和国での抑留生活を経て1952年(昭和27年)東京商科大学(現・一橋大学)卒業、同年旭化成入社。同社「中興の祖」宮崎輝元社長の右腕となり1974年、住宅事業部長に就任し赤字部門からグループ内で最も利益を上げる部門に転換させた。常務、副社長を経て1992年、宮崎会長が現職のまま亡くなると代表取締役会長に就任。グループ内の多くの事業を再編成することに成功し同社を日本一の総合化学会社に躍進させた。世界でも12位にランクされる(2000年)。その他積水化学工業取締役、東京商工会議所副会頭、日本テレビ放送網取締役などを歴任。温厚な人柄かつ決断力もあって人気が高く2001年(平成13年)7月12日、日本商工会議所会頭に就任した。他に21世紀臨調特別顧問、中小企業庁中小企業政策審議会会長、日本銀行参与、財団法人財務会計基準機構評議員、日本経済団体連合会常任理事、日本産業デザイン振興会(グッドデザイン賞)会長、地上デジタル推進会議議長、全日本実業柔道連盟会長、アサヒビール取締役他、多くの役職を務めている。
その他の特筆事項に旭化成スポーツ部躍進に於ける大きな業績がある。宮崎輝元社長が種を蒔いたといわれる、総花的に活動を行っていた社内スポーツ部を、陸上競技部、柔道部、バレーボール部の三つのみに集中強化した事である。この三つの部を日本有数の強豪チームに育て、ここから数え切れないオリンピックメダリストや優秀な選手、指導者を生んだ。
広島出身なのに巨人を応援する財界人の団体「燦燦会」の会長を2007年から務めている。
[編集] 参考文献
- 旭化成の運動部 大野誠治 中経出版 (2000年8月)