岡山県第4区
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行政区域 | 岡山県倉敷市(旧船穂町、真備町域を除く)、 都窪郡 |
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比例区 | 中国ブロック |
設置年 | 平成6年(1994年) |
選出議員 | 柚木道義(民主党) |
有権者数 | 358,783人(2005年9月2日現在) |
岡山県第4区(おかやまけんだい4く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区である。 現在の区域は1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置されたものである。
目次 |
[編集] 特徴・実情
中選挙区時の旧岡山県第2区のうち、倉敷市と都窪郡早島町が選挙区域となった。その後、第5区の区域である浅口郡船穂町、吉備郡真備町が倉敷市に編入されたため、現在の選挙区域は旧船穂町と旧真備町の区域を除く倉敷市と都窪郡早島町となっている。
小選挙区比例代表導入時に旧2区選出の自由民主党所属議員には、加藤六月、橋本龍太郎、村田吉隆がいたが、加藤は離党し新進党に移ったため、橋本は地盤が重なる(橋本は総社市、村田は井笠地区が地盤)5区を村田に譲り、自身は加藤と対峙する4区から出馬した。1996年の総選挙では「六龍戦争」と呼ばれたが、現職の首相であった橋本の圧勝で加藤は比例区で復活当選となった。
加藤は2000年に政界を引退、後継者の加藤勝信は比例中国ブロックからの単独立候補となったため、第42回・第43回の総選挙は事実上無風選挙であった。2005年の第44回衆議院議員総選挙では前年に日本歯科医師連盟からの1億円献金疑惑で橋本龍太郎が4区からの不出馬を表明、後継の準備も後手に回ってしまったため、小泉劇場の追い風に乗れず2003年の総選挙で比較的善戦し、落選後も地道に地元で地盤固めを行っていた民主党の柚木が当選した。
[編集] 選出議員
比例代表当選者を含む。
[編集] 選挙結果
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 102,370 | 柚木道義 | 民主党 | 新 |
比当 | 96,356 | 橋本岳 | 自由民主党 | 新 |
17,094 | 東毅 | 日本共産党 | 新 |
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 104,653 | 橋本龍太郎 | 自由民主党 | 前 |
66,199 | 柚木道義 | 民主党 | 新 | |
14,367 | 東毅 | 日本共産党 | 新 |
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 128,888 | 橋本龍太郎 | 自由民主党 | 前 |
46,484 | 熊谷裕人 | 民主党 | 新 | |
21,091 | 赤坂てる子 | 日本共産党 | 新 |
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 152,595 | 橋本龍太郎 | 自由民主党 | 前 |
比当 | 56,646 | 加藤六月 | 新進党 | 前 |
15,173 | 垣内雄一 | 日本共産党 | 新 |
[編集] 大日本帝国憲法下
1889年(明治22年)に衆議院議員選挙法が成立した際には小選挙区制であり、浅口郡、小田郡、後月郡が岡山県第4区であった。(定数は1、1900年まで)
1919年から1925年の間にも岡山県第4区があり都窪郡、吉備郡が選挙区域、定数は1人であった。