岸野靖之
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岸野 靖之(きしの やすゆき、1958年6月13日-)は、和歌山県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は、Jリーグデビィジョン2(J2)・サガン鳥栖の監督。
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[編集] 経歴
現役時代は三菱重工業サッカー部(現在の浦和レッドダイヤモンズ)・読売クラブ(現在の東京ヴェルディ1969)でプレイし、1990年に引退。
以後、1991年に読売クラブジュニアユース監督に就任したのを皮切りに、ヴェルディ川崎、さらに東京ヴェルディ1969にチームが変わって2004年まで読売クラブ・ヴェルディ一筋に、トップチームからユースまで幅広い世代で指導者経験を積み、1996年にはトップチームの監督代行を務めた。中澤佑二や平本一樹、森本貴幸などを育てるなど、若手育成には定評がある。
2005年にサガン鳥栖・松本育夫監督の招聘を受けて鳥栖のヘッドコーチに就任。鳥栖にはユース世代の代表も経験するなど能力は高いがこれまで出場機会に恵まれなかった選手が多く、その手腕が注目されたが、この年は新居辰基がJ2の日本人得点王に輝くなど、かなりの成果を残した。また、この年にS級ライセンスを取得した。オフには、松本が総監督に就任するという話が一部で流れ、それが実現した場合は岸野が昇格する、というのが大方の予想になっていた(松本自身「俺の後は岸野しかいない」と言うほど信頼は厚い)。しかし、結局は松本が続投した。
2006年は前年からの若手育成の効果もあり、後半戦ではクラブ史上でも最高のペースで勝ち点を積み上げていった。2007年2月1日付けで松本がGMに就任することが決定。岸野は監督に昇格し、V川﨑時代の代行を除けば初めてトップチームの監督を務めることになった。古巣の東京ヴェルディなど複数のチームからオファーもあったが、鳥栖への愛着が深かった。
[編集] 性格
とにかく熱い性格。その熱血漢ぶりはラモス瑠偉(現東京ヴェルディ1969監督)も認めるほどである。試合中も監督より前に出て指示を出すため、観客やアナウンサーなどに監督と間違えられることがある。鳥栖に移ってからも「鳥栖が第2の故郷になった」と発言するなど、チーム作りには並々ならぬ意欲を見せており、選手寮に住み込み、自ら練習を実践するなど、選手に近い立場で指導している。松本育夫は、「24時間選手のために行動できる優れた指導者」と評価する。
[編集] 選手経歴
[編集] 指導経歴
- 読売クラブ:ジュニアユース監督 1991
- ヴェルディ川崎:サテライトコーチ 1992
- ヴェルディ川崎:サテライト監督 1993
- ヴェルディ川崎:コーチ 1994-1998
- ヴェルディ川崎:監督代行 1996
- ヴェルディ川崎:サテライト監督 1999
- ヴェルディ川崎:ユースコーチ 2000
- 東京ヴェルディ1969:サテライト、トップコーチ 2001-2003
- 東京ヴェルディ1969:トップコーチ、サテライト監督 2004
- サガン鳥栖:ヘッドコーチ 2005-2006
- サガン鳥栖:監督 2007-
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目
サガン鳥栖 スタッフ - 2007 |
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監督 岸野靖之 コーチ 内藤就行 コーチ 中村敦 コーチ 吉永一明 |
サガン鳥栖 - 2007 |
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1 浅井俊光 2 小井手翔太 3 加藤秀典 4 吉田恵 5 飯尾和也 6 村主博正 7 山口貴之 8 尹晶煥 9 アンデルソン 10 宮原裕司 11 蒲原達也 12 赤星拓 13 田中淳也 14 高橋義希 15 鐡戸裕史 16 髙地系治 17 サポーター 18 廣瀬浩二 19 山城純也 20 内間安路 21 太田弦貴 22 石田博行 23 衛藤裕 24 清水康也 25 藤田祥史 26 長谷川豊喜 27 栫大嗣 28 野崎陽介 29 日高拓磨 30 レオナルド 31 中林洋次 32 ジョズエ 33 河田晃兵 34 副島貴司 35 栗山裕貴 36 谷口堅三 37 柴小屋雄一 監督 岸野靖之 |
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